しんぶん赤旗連載記事:「敵基地攻撃能力の危険 志位委員長質問が明らかにしたもの」(下)最終回です。
ここでは歴代の政権が「敵基地攻撃能力の保有は憲法違反」としてきたことを、その典型例として1959年の衆院内閣委での伊能繁次郎防衛庁長官の答弁と1972年の衆院本会議での田中角栄首相の答弁を紹介し、それらとの整合性を岸田首相に問いましたが、首相はただ曲解の弁を述べるだけで、何故 両者(伊藤・田中)の簡潔にして明快な説明に反する選択をしたのかについて説明することができませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敵基地攻撃能力の危険 志位委員長質問が明らかにしたもの(下)
憲法解釈と専守防衛を覆す
しんぶん赤旗 2023年2月8日
「敵基地攻撃能力の保有は憲法違反」。これが、歴代政権が維持してきた憲法解釈です。さまざまな議論を経て、こうした見解を確立したのが、1959年3月19日の衆院内閣委員会での伊能繁次郎防衛庁長官(当時、以下同)の答弁です。日本共産党の志位和夫委員長は1月31日の衆院予算委員会で同答弁を引用して、岸田文雄首相の見解をただしました。
伊能答弁のポイントは、主に次の点です。
▽他に全然方法がない場合、(敵基地攻撃は)法理上、自衛の範囲に含まれており、可能である。
▽しかし、このような事態は現実には起こりがたいので、平生から他国に対する攻撃的な兵器を保有することは憲法の趣旨とするところではない。
つまり、敵基地攻撃は「法理上」可能だが、そのための兵器を持つことは憲法違反―というものです。岸田政権による敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有と、この見解は明確に矛盾しています。
「(伊能答弁で示した)憲法解釈を変更したか否か。端的にお答えいただきたい」。志位氏がただしたのに対し、岸田首相は「結論から言うと変更していない」と述べました。
ここで持ち出したのが、「他に全然方法がない」という要件の曲解です。首相は周辺国のミサイル戦力の増強などをあげ、「安全保障環境は大きく変化した。米軍の打撃力に完全に依存するのではなく、自ら守る努力が不可欠になっている」と説明し、敵基地攻撃能力の保有を正当化したのです。
しかし、この説明は成り立ちません。志位氏は99年8月3日の野呂田芳成防衛庁長官の答弁(衆院安保委員会)を紹介。ここでは、59年の伊能答弁で述べた「他に全然方法がない」場合とは、「国連の援助もなく日米安保条約もない」場合であり、こうした事態は「現実の問題としては起こりがたいことから、他に全然手段がないという仮定の事態を想定して、平素からわが国が他国に攻撃的な脅威を与えるような兵器を保有することは適当ではないとした答弁は現在でも当てはまる」として、伊能答弁を再確認しています。
そもそも、岸田首相の説明は、米軍の打撃力の〝不足分″を日本が補うということにすぎず、「手段」である「国連」も「日米安保体制」も存在しています。「他に全然方法がない」という説明としては成り立ちません。
専守防衛は―田中答弁巡り
敵基地攻撃能力の保有と憲法をめぐる、もう一つの重要な問題は日本の安全保障政策の根幹である「専守防衛」との関係です。
安保3文書の最上位文書である国家安全保障戦略は、「反撃能力」(敵基地攻撃能力)を保有するとする一方、「専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならない」との「基本方針は今も変わらない」と述べています。
この点に関して、志位氏は72年10月31日の衆院本会議での田中角栄首相の答弁を紹介。ここでは、「専守防衛ないし専守防御とは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行う」ことだと明確に述べています。志位氏は、「『専守防衛』と敵基地攻撃は両立しないことは、この答弁でも明らかだ」と追及しました。
岸田首相はここでも、過去の政府見解の曲解に乗り出しました。
田中首相答弁のうち「相手の基地を攻撃することなく」という部分について、「武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空へ派遣する、いわゆる海外派兵は一般的に憲法上許されないとしたことを述べたものだと認識している」と述べたのです。これはどう考えても成り立たない理屈です。志位氏は、「全く説明になっていない」と厳しく批判しました。
59年の伊能答弁、72年の田中答弁、99年の野呂田答弁――過去の政府見解との関係すらまともに説明できない岸田首相。志位氏は質疑後の記者会見で、「立憲主義の破壊だ」と批判しました。
阪田雅裕元内閣法制局長官は「『専守防衛』は、そう言いさえすれば憲法九条を守れるという魔法の言葉では決してない。いうまでもなく問われるべきなのはその中身である」(『世界』2月号)と指摘しています。
岸田政権の欺瞞(ぎまん)ぶりを徹底追及することが求められます。 (おわり)