2025年8月9日土曜日

長崎 原爆投下から80年「被爆の記憶伝え続ける」

 長崎に原爆が投下されて80年になる9日核兵器をめぐる国際情勢が厳しさを増すなか、長崎市で行われた平和祈念式典の平和宣言で鈴木史朗市長は「長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける」と決意を表明しました。

 平和祈念式典には、被爆者や遺族の代表、石破総理大臣に加え、アメリカやイギリス、それにロシアなど核保有国を含む94の国と地域の代表などおよそ2600人が参列しました。
 NHKが報じました。
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長崎 原爆投下から80年「被爆の記憶伝え続ける」
             NHK NEWS WEB 2025年8月9日 1429
長崎に原爆が投下されて9日で80年です。核兵器をめぐる国際情勢が厳しさを増すなか、長崎市で行われた平和祈念式典の平和宣言で鈴木史朗市長は「長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける」と決意を表明しました。

平和祈念式典 94の国と地域の代表参列
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、被爆者や遺族の代表、石破総理大臣に加え、アメリカやイギリス、それにロシアなど核保有国を含む94の国と地域の代表などおよそ2600人が参列しました。
式典では、この1年間に亡くなった被爆者などあわせて3167人の名前が書き加えられた20万1942人の原爆死没者名簿が「奉安箱」に納められました。そして、原爆がさく裂した時刻の午前11時2分に黙とうをささげ、犠牲者を追悼しました。

鈴木市長「被爆の記憶 国内外に伝え続ける」
長崎市の鈴木市長は平和祈念式典の平和宣言の冒頭、1982年に被爆者として初めて国連の演壇に立った山口仙二さんが演説した際の「私たち被爆者のような核兵器による死と苦しみをたとえ一人たりとも許してはならない」ということばを紹介しました。
そして最後に「被爆80年にあたり、長崎の使命として、世界中で受け継ぐべき人類共通の遺産である被爆の記憶を国内外に伝え続ける決意です。永遠に『長崎を最後の被爆地に』するために、地球市民の皆さんと手を携え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くしていく」と結びました。

被爆者代表 「絶対に核兵器使ってはならない」
このあと、長崎で被爆し、現在は横浜市に住む西岡洋さん(93)が被爆者を代表して「平和への誓い」を述べました。
西岡さんは13歳のとき、爆心地から3.3キロ離れた中学校で被爆したときのことについて、「オレンジ色と黄色が混じったような光の海の中に一瞬全身が埋もれたような感覚でした。続いて、すさまじい爆風で窓ガラスが破壊され、私は部屋の隅に頭を抱えて転がり込みました」と振り返りました。
また、みずからも所属する日本被団協が去年、ノーベル平和賞を受賞したことについて、「平和に繋がるこの動きを絶対に止めてはいけない、さらに前進させよう」と述べた上で、「絶対に核兵器を使ってはならない、使ったらすべてがおしまいです。皆さん、この美しい地球を守りましょう」と締めくくりました。

石破首相「核兵器のない世界へ 国際社会の取り組み主導」
続いて、石破総理大臣があいさつし、「唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、『核戦争のない世界』、そして『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の取組を主導していくことこそが我が国の使命だ」と述べましたた。
  【全文】石破首相あいさつ

ことしの式典では、中東地域で対立が続くイスラエルとパレスチナ、それにイランの代表も出席し、立場の違いを超えて原爆による犠牲者をともに追悼しました。
全国の被爆者はことし初めて10万人を下回り、平均年齢も86歳を超えて「被爆者なき時代」が迫るなか、核兵器をめぐる国際情勢は厳しさを増しています。
9日、被爆地・長崎は「長崎を最後の被爆地に」という願いを改めて国内外に発信する1日となります。

被爆者や遺族 祈りをささげる

原爆で父親と姉亡くした女性「もうこりごり 核兵器なくして」
長崎市にある被爆者およそ350人が暮らす養護ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」では原爆がさく裂した午前11時2分にあわせて被爆者や職員が亡くなった人たちに祈りをささげていました。
被爆者の飛永彌三郎さん(91)は「80年前の11時2分は妹をだっこして自宅に向かう最中で、すごい光のあと2メートルくらい飛ばされた。戦争が今起きているところは早く平和になるよう話し合うことが第一ではないか」と話していました。
原爆で父親と姉を亡くした被爆者の尾下良子さん(82)は「その後、母親もいなくなって戦争孤児になり、ずっと悲しい思いで星空を眺めて過ごしていました。中学生の頃までは原爆への憎しみでいっぱいでした。もうこりごりです。核兵器をなくしてほしい」と話していました。

入市被爆した女性「被爆者に残された時間ない」
長崎市の爆心地公園でも午前11時2分にあわせて訪れた人たちが黙とうし、犠牲者を悼みました。
このうち、原爆投下から5日後に疎開先から長崎市に戻り入市被爆した竹下芙美さん(83)は「7キロ離れた場所に疎開していました。窓からとても強い光が見えたことが記憶に残っています」と80年前のあの日を振り返りました。
そして、「毎日のように原爆投下のことを考えます。来年もこの場所に来られるかどうか心配で、被爆者に残された時間はないと思います。1日も早く世界から戦争や紛争がなくなってほしいと願っています」と話していました。

浦上天主堂 復元の鐘が鳴る
長崎市の浦上天主堂では、原爆によって壊れ、被爆80年のことしに復元された鐘が午前11時2分に鳴らされました。
浦上天主堂ではかつてあった2つの鐘のうち原爆によって壊れた1つが、被爆80年のことし、600人余りのアメリカのカトリック信者たちの寄付によって復元されました。
9日は原子爆弾の開発計画に関わった医師を祖父に持ち、寄付を呼びかけて鐘を寄贈したアメリカの大学教授、ジェームズ・ノーラン・ジュニアさんと、ノーランさんに鐘の復元を提案した長崎市に住む被爆2世の森内浩二郎さんも天主堂を訪れました。
そして、鐘が鳴らされると、2人は並んで厳かな鐘の音に耳を澄まし、握手を交わしていました。
森内さんは「父から『2つの鐘の荘厳な音』の話を聞いてきたので、鐘の設置を実現できてうれしい。きょうから新しい浦上天主堂の歴史をつくりたい」と話していました。

長崎市 路面電車でも祈り
長崎市内を走る路面電車の中でも午前11時2分に合わせて乗客が祈りをささげました。午前11時2分が近づくと爆心地の近くを走る路面電車の車内では「黙とうのため、停車しますのでご協力お願いします」というアナウンスが流れ、電車はいったん止まりました。そして、乗客たちは静かに手を合わせ、原爆の犠牲者に祈りを捧げていました。

67歳女性 天気が雨となったことに触れて
「原爆が投下され、お水が欲しいと言いながら亡くなった人たちのために、きょうは雨が降ると思っていました。今までに聞いた被爆者の方々のお話を思い出し、いろんな人の思いをこれからも受け継いでいかなければと思って手を合わせるときに涙が出ました」

68歳男性
80年前に原爆の被害があったことを長崎の人が忘れることは絶対にないし、世界中の人が忘れてはならないと思います。きょうは一人ひとりが自分は何ができるのか考える日だと思って祈りました」

長崎市内 早朝から祈りをささげる人たち
長崎市の平和公園では、9日早くから平和祈念像の前で祈りをささげる人たちの姿がみられました。

母親の胎内で被爆したという長崎市 79歳男性
「この年まで生きることができたことを産んでくれた母親に感謝したいです。いまは平和な世の中に見えますが、世界を見ると、難しい時代だと思います。同級生の中には亡くなった人もいて、そうした人たちや子や孫のためにもう少し頑張りたいと思います」

福岡県に住む73歳の被爆2世の男性
「祖母とその妹は、原爆によって何を思うまもなく亡くなり、あの世で悔しがっていると思います。核兵器だけはあってはなりません。被爆2世の男性はならないと思います」

毎年 2歳下の弟と平和公園を訪れている 長崎市 19歳大学生
「戦後80年ということで例年よりも強く核兵器がなくなって平和な世界になるようにと願いました。私たち若者が、被爆者の声を次の世代に語り継いでいきたいです」

長崎県長与町 56歳女性
「ことしは80年ということで原爆にあわれた方のご冥福をお祈りしたいと思って来ました。核兵器をなくして、子どもたちが安心に平和に暮らせる世の中になってほしいです」

埼玉県 66歳男性
「原爆投下や戦争で亡くなった人たちを思い、手を合わせました。ガザやウクライナなど、世界ではいまも戦争が続いています。日本で平和に暮らせることはありがたいことだと改めて感じました」

父親が11歳のときに被爆 長崎県長与町 64歳女性
「この地には原爆の犠牲になり、悔しさや悲惨な思いを抱えて亡くなったかたがたがいます。平和を祈ることを忘れてはいけないし、核兵器をなくす努力を続けていかなければならないと思います」

浦上天主堂 朝6時からミサ 参加者が祈り
原爆で破壊され、戦後再建された長崎市のカトリック教会、浦上天主堂では、被爆80年の9日、早朝からミサが行われ、参列者が原爆の犠牲者に祈りをささげました。
爆心地の北東およそ500メートルにある浦上天主堂は、80年前、原爆の爆風とその後の火災によって一部の壁を残して倒壊しました。また周辺地域に住んでいたカトリック教徒およそ1万2000人のうち、8500人ほどが犠牲になったとされています。
1959年に再建された聖堂で午前6時から行われたミサには、およそ200人が参加しました。この中で、中野健一郎 助任司祭が「戦争体験者が少なくなったからこそ、歴史に向き合い、学び、記憶にとどめ、次世代に伝え、平和を切りひらく必要があります。原爆で犠牲となったかたがたの永遠の安息を願い、ともにお祈りしましょう」と呼びかけました。
ミサはおよそ1時間行われ、聖歌が流れるなか、参列した人たちは原爆の犠牲になった人たちを追悼し、静かに祈りをささげていました。
浦上天主堂ではかつてあった2つの鐘のうち原爆によって失われた1つが、ことしアメリカのカトリック教徒たちの寄付によって復元されました。

曽祖父が被爆した被爆4世 長崎市 中学2年女子生徒
「原爆で亡くなった方々が天国に行けるよう祈りました。 おじいちゃんやおばあちゃんから聞いた話を友だちや周りの人に伝えていくことが大事だと思っています。長崎で起きたことを世界中の人に知ってもらって、 早く戦争がなくなってほしいです」

東京から訪れた60代女性
「核のない世界を祈るのみです。長崎の方々は『長崎を最後の被爆地に』を合言葉に頑張っていて、その思いに世界が気付いて前に進めるよう祈ります」

40代男性
「この世界情勢の中で戦争や争いごとがなくなるようにと思って来ました。息子や子どもたちが元気に将来を迎えられるようにお祈りします」

原爆落下中心地碑を「人間の鎖」で囲み 平和な世界実現 誓う
長崎市の爆心地公園では、県内外から集まった高校生などおよそ40人が手をつないで「人間の鎖」をつくり、平和な世界の実現を誓いました。
長崎市の爆心地公園では、時折、雨が強まる中、9日7時すぎから集会が開かれ、核兵器廃絶に向けた活動を行う「高校生平和大使」や全国各地の高校生などあわせておよそ40人が参加しました。
高校生たちは原爆の犠牲者に黙とうをささげた後、それぞれが手をつなぎ、爆心地であることを示す「原爆落下中心地碑」を囲むように「人間の鎖」をつくりました。
参加者を代表して市内の高校3年生の島田朱莉さん(17)が「私たちは決して無力ではありません。これからも全国の仲間とともに私たちのできることを精いっぱい行い、核も争いもない平和な世界の実現という強い思いを世界中に、また後世に広げることを誓います」と宣言しました。
熊本県から参加した高校1年生の加藤一花さん(16)は「世界中で平和が当たり前になることを願っています。私たちは被爆者から話を聞くことができる最後の世代なので、一生懸命に耳を傾けないといけないと感じています」と話していました。

平和祈念式典 ことしは157のすべての国と地域に「招待状」
「長崎原爆の日」の平和祈念式典をめぐっては、去年、長崎市がイスラエルの駐日大使を招待せず、日本を除くG7各国の大使らが式典への出席を見合わせる事態となりました。
被爆80年のことし、市は「国際社会で分断が深刻化しているいまだからこそ、あらゆる国の代表に式典に参加いただきたい」などとして日本に在外公館などを置く157のすべての国と地域に「招待状」を送りました。
この中には、イスラエルや、2022年のウクライナ侵攻以降、招待を見送ってきたロシアとベラルーシも含まれていました。
市によりますと、ことしはアメリカの駐日大使のほか、イスラエルの駐日大使やパレスチナの駐日代表、それにロシアとベラルーシの代表など今月6日の時点で95の国と地域の代表が式典に出席する予定だということです。
このほか、台湾は、市から「招待状」や「案内状」を送っていませんでしたが、台湾側からの希望を受け入れ、ことし初めて出席することになりました。
一方、中国は去年の式典には出席していましたが、ことしは欠席すると市に連絡があったということです。
欠席の理由について、長崎市はNHKの取材に対し「個別の理由については回答を控えている」として明らかにしていません。