東京新聞の「憲法を歩く」の最終回は、半世紀前に岩手県の豪雪・病気・貧困の村に、全国で初めて乳児と高齢者の医療費無料化を実現した村長の話です。
当時その村には寒さに早死にする赤ちゃんや貧しくて医者にかかれずに自殺する老人が珍しくありませんでした。それを解決すべく医療費を無料化しましたが、国も県も国民健康保険法に違反するとクレームをつけました。
しかし村長は、法の下の平等を定めた憲法14条と「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する25条を盾に、「憲法には違反しない」と押し通しました。
いまでは予算の制約から老人医療費の無料化などが実現しないということはあっても、それが法律違反だというような論調はまったくなくなりました。特筆すべき闘いでした。
その後村長の半生を描いた映画「いのちの山河」が09年に作られ、08年に県が町の病院の診療所化を求めると、即座に婦人会や老人クラブ、障害者団体などが中心となって「医療、福祉の原点を守ろう」と立ちあがるなど、いまも「私たちはまだ憲法とつながっている」と、町の人たちは実感しています。
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憲法を歩く(下) 岩手・旧沢内村の医療・福祉
東京新聞 2013年7月19日
岩手県の南西部、奥羽山脈の山あいに、旧沢内村(現西和賀町)はある。最寄りの駅から中心部まで約二十キロ。冬は三メートルを超える積雪に覆われる。村の歴史は豪雪、病気、貧困の「三悪」との闘いだった。寒さに早死にする赤ん坊、貧しくて医者にかかれず自殺する老人。厳しい環境で生きる村民を救ったのが、憲法だった。
一九五七年に就任した故・深沢晟雄(まさお)村長は、全国で初めて乳児と高齢者の医療費無料化を実現した。国や県から、国民健康保険法に違反すると指摘されたが、法の下の平等を定めた憲法一四条、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する二五条を盾に、「憲法には違反しない」と押し通した。
高価なブルドーザーを購入しての除雪作業、村内にある沢内病院への若い優秀な医師の招聘(しょうへい)。「生命行政」と評価され、六二年には全国初の乳児死亡率ゼロを達成した。
「人はみな平等、命に格差はない、という精神が深沢村長の原点だった」。当時の教育長で、村長も二十年間務めた太田祖電(そでん)さん(91)は振り返る。自らの村長時代も老人医療費無料を守り抜いた。二人に共通したのは「与えられた命を燃焼し尽くすまで守る、そんな村にしたいという気持ち」だった。太田さんは今も特別養護老人ホームの理事長を務め、住職としても現役だ。
村の社会福祉協議会で、深沢村長の妻と一緒に働いた高橋典成(のりしげ)さん(66)も、理念を受け継ぐ一人だ。現在は障害者施設で施設長を務めるかたわら、NPO法人を運営。虐待に遭った児童のホームステイを受け入れている。「赤子や年寄りなどの弱者に光を当てるのが生命行政。後期高齢者医療制度や生活保護費の削減など、国の政策は正反対の方向に進んでいるように見える」
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いま村が直面しているのは、深刻な過疎化だ。県道沿いには雪につぶされた廃屋も見える。約六千人いた村の人口は三千人台に落ち込み、二〇〇五年には旧湯田町と合併。温泉観光が主産業の隣町とは福祉に対する意識も異なり、高齢者の医療費も有料になった。「お金がないから仕方ない」と、その変化を受け入れる若者も増えた。
それでも、深沢村政の精神は生きていた。〇八年末、県が沢内病院の診療所化を求めた。即座に婦人会や老人クラブ、障害者団体などが中心となって反対の町民大会を開催。約二百五十人が参加し、「医療、福祉の原点を守ろう」と県が沢内病院の診療所化を求めた。即座に婦人会や老人クラブ、障害者団体などが中心となって反対の町民大会を開催。約二百五十人が参加し、「医療、福祉の原点を守ろう」と声を合わせたことで、存続が決まった。
声を合わせたことで、存続が決まった。
婦人会連合会長の高橋千賀子さん(65)は「私たちはまだ憲法とつながっている」と実感した。「『誰かがやってくれる』ではなく、勉強して自分の意見を持ち、声を発していく。そうしないと生きていけないんだ」
〇九年には深沢村長の半生を描いた映画「いのちの山河」(大沢豊監督)が製作されるなど、村を再評価する動きも出てきた。
元村職員の米沢一男さん(70)は、〇八年にできた深沢晟雄資料館で毎日、案内に立つ。「国が憲法を変え、原発を再稼働しようとしている。今こそ『生命尊重が政治の基本』という深沢村長の言葉をかみしめなければ」。訪れる人に、必ずそう伝えている。 (樋口薫)