2018年1月23日火曜日

23- 西部邁氏の逝去を悼みます

 元東大教授で評論家の西部邁氏が22日多摩川に入水し亡くなられました
 2014年に奥様を亡くされ、ご自身も強い痛みを伴う病気に悩まされていたということです。
 ご自身は右翼を標榜されていましたが、所謂右翼とは一線を画していました。
 非常に頭の切れる方というのが多くの人の評価です。

「保守とは何か?」というご自分の勉強会在野時代の安倍晋三氏を招くなどしましたが、第二次安倍政権結成以降は一転して安倍首相は保守でもなんでもない」「それを理解しない安倍首相は愚かなジャップなどと安倍首相を激しく批判しました。

 植草一秀氏の哀悼の辞とLITERAの記事を紹介します。
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西部邁氏逝去の報に接し衷心より哀悼の誠を捧ぐ
植草一秀の「知られざる真実」 2018年1月22日 (月)
元東大教授で評論家の西部邁氏が亡くなられた。多摩川に入水されたという。
衝撃的なニュースであり、深い悲しみに包まれるが謹んでご冥福をお祈りしたい。
日本の知性が現世を去られた。この直前まで発言を続けられたが、自死を示唆されていた。
私が大学の教養課程に在籍していた折には教養学部の教官をされていた。
その後、大学の人事案が否決されて大学を去られた。
それ以前に別の方を教官として採用する話があり、その方と一緒に新宿でお会いしたのが最初の直接の接触だった。その後も折に触れて声をかけてくださった。
保守の論客として、そして日本を代表する知性として発言と表現を続けてこられた。
自死という最期を遂げられたが、死は人間の宿命である。我々は死を恐れるが死から逃れることはできない。
その死を見つめて、死を恐れずに行動を遂げられた。自死を賛美するつもりはないが、有言実行の死をも克服する生き方であった。

「言論は虚しい」の言葉を最後に発せられたが、言論を否定されたのではなく、最期まで言論人であることを貫いた方である。
何度もお会いしてお話をする機会を得たが、先立たれた令夫人に対する思いをいつも語られていた。
人間の存在、慈愛のあり方、そして、人間としての出処進退のあり方について私たちに投げかけられた姿に考えさせられることが多い。
残された親族の方々に思いをいたすとともに心からのお悔やみを申し上げたい。

その1月21日に沖縄県南城市で市長選が実施された。
以下省略


西部邁が自殺を予告していた!
10月22日に死ぬ気だったが、総選挙になったので延期した」
LITERA 2018年01月22日
 衝撃のニュースが飛び込んできた。評論家の西部邁氏が昨日午前7時前、大田区の多摩川河川敷で死亡したのだ。報道によると西部の長男から「父親が川に飛び込んだ」と通報があり、また遺書のような文書もあったことから、自殺の可能性が高いとみられている。

 実はその予兆があった。西部氏は昨年12月29日に放送された『チャンネル桜』の「年末特別対談 西部邁氏に聞く」に出演、対談相手であるチャンネル桜代表の水島総氏に、自分の死についてこんなことを語っていたのだ。
「もう過ぎましたけど、10月22日という日付を忘れられない。総選挙の日なんです。実はあの日、僕ね、あえてニコニコ笑って言いますけど、実は僕、死ぬ気でいたんです。計画も完了していて」

 西部氏は10月22日に"死ぬ気"だった。しかしその日が総選挙になったため計画を変更したとして、"死"についてこう続けたのだ。
「ところがね、ちょっと手はずが狂って。どうしようかと思っていたときに発表があって。(10月22日が)総選挙だと」
「世間が忙しい時に騒ぎを加えるのは私が意図することじゃない」

 一体どういうことか。西部氏といえば、東京大学時代に60年安保闘争に参加するも転向、その後は保守論客として活躍を続けてきた人物だ。とくに1990年代には『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)に"レギュラー"出演、改憲はもちろん、自虐史観批判、核武装や徴兵制の導入まで主張し、歴史修正主義団体「新しい歴史教科書をつくる会」にも理事として参加。"ネトウヨ"の生みの親のひとりでもあった。

 そんな西部氏だが、注目すべきは、安倍首相との"関係"だろう。第一次安倍内閣が崩壊直後には「保守とは何か?」という勉強会を定期的に開催、また『西部邁ゼミナール』(MXテレビ)にも安倍氏をゲスト出演させるなど、安倍氏を支持、支援していたはずだった。が、しかし第二次安倍政権からは一転、"安倍首相は保守でもなんでもない""それを理解しない安倍首相は愚かなジャップ"などと安倍首相を激しく批判する側に転じていたからだ。

第二次安倍政権発足から一転、安倍首相を激しく批判する側に転じていた西部氏
 たとえば今から3カ月ほど前の「DIAMOND on line」(2017年10月3日)インタビューで西部氏は安倍首相についてこう辛辣に批判していた。
〈口にするのも辟易してしまうような論点ですね。残念ながら、日本は保守という言葉の意味をきちんと理解しようとしない人ばかりのように思える。私はそうした人々に憤りを込めて、あえて「ジャップ」と呼んでいます〉

 そして本来の保守とは〈その国のトラディション(伝統)を守ること〉だとして、安倍首相の姿はそこからかけ離れていること、さらにアベノミクスについてもこう断じている。
〈アベノミクスにおいて、安倍政権が国土強靱化をはじめとするインフラ投資に躍起になっていることは嘆かわしい。あまりにも近視眼的で、ただ橋を何本つくり替えるとかいった施策を進めているだけに過ぎないからです。国のインフラ(下部構造)を整備するに当たっては、まずはスープラ(上部構造=日本社会の今後の方向性)についてしっかりと議論することが大前提。 しかし、それがまったく欠如しているのが実情です。
 これで保守と言えるのでしょうか。〉
 さらにアメリカの顔色ばかり伺う安倍首相の対米追従姿勢、治外法権の米軍基地についても〈どうして保守がそのような振る舞いができるのかは甚だ疑問だし、大問題であると僕は考えています〉と断じている。

 また「月刊日本」(ケイアンドケイプレス)15年6月号でもアメリカとの関係に100%絶望しているとして、〈戦後レジームからの脱却を唱えていた安倍首相の訪米によって、日本の属国化あるいは保護領化は完成したわけですから。事実上の属国は名実共に完全なる属国と化した。ポイント・オブ・ノーリターンを超えた以上、もはや独立の道に戻ることはできないでしょう。以後、日本は属国という隘路をひたすら突き進むほかないのです〉と述べてもいた。

 さらに「AERA」(朝日新聞出版) 2017年12月18日号ではウーマンラッシュアワー村本大輔と対談し、安倍首相への批判を繰り返している。
〈デモクラシーなんぞは代表者を選ぶための手続きに過ぎないのですが、民衆の多数派がアホなら代表者もアホで、選ばれたアホな代表者はアホな決定をすることが多い。〉
〈安倍さんとは彼が最初に総理を辞めた後、1年間研究会を開いて正しい保守についてレクチャーをしていました。そのうえで気に入らないことを言わせてもらえば、日米同盟の下で安保法制をつくったことです。僕は安保法制自体には何の問題もないとの立場で、自衛隊が行く必要のある特殊事情があるなら、地球の裏側でも行け、鉄砲も撃てと思う。だけど、それを米国のような国とやるな。米国は北朝鮮の核武装はけしからんと言っておいて、自分たちの友好国のイスラエルなどには、どんどんやれと言っているような国です。〉

ネット右翼とは一線を画していた西部氏は、安倍首相の浅はかさが許せなかったのか!?
 西部氏は安倍首相のアメリカ追従に苛立ち、さらに"安倍首相は最初から保守ではなかった"と批判を繰り返してきたのだ。
 いったい、西部氏はなぜ安倍首相をここまで批判するようになったのか。その背景には、安倍首相の対米従属路線があるのはもちろんだが、もうひとつは安倍首相の無教養で浅薄な思考を軽蔑していたからではないか。

 実際、西部氏はネトウヨを生み出したひとりではあるが、その保守思想は教養に裏打ちされたもので、ひたすら安倍首相を礼賛、安倍晋三教者と化したネット右翼とは一線を画していた。
 また、自身の思想信条と対極にある左派論客と交友し、議論をたたかわせるのも西部氏の特徴だった。姜尚中氏や佐高信氏、また16年には自らが主宰する雑誌『表現者』の座談会に日本共産党の小池晃書記局長を登場させ、安倍首相の対米従属と新自由主義についてともに批判。共産党のほうが保守に近いと高く評価していた。
 こうしたある種の深み、懐の広さをもった西部氏にとって、安倍首相の浅薄さ、無教養さは耐え難いものだったのではないか。
「今度は何日にするか言いませんけどね。こんな狂った国にいるのは嫌だ」

 冒頭の『チャンネル桜』で、西部氏こんなことを言っていた。西部氏は4年前に妻を亡くし、自身も2013年に喉頭がんを患っていることを告白している。死を選択した理由は、こうした孤独や健康状態の可能性もあるが、改めて言論界や保守論壇からの総括も必要だろう。(編集部)