2018年1月4日木曜日

日米合同委員会 米国務省が廃止を提起するも米軍が拒否

 日米合同委員会の存在は知る人ぞ知るで、これまで一般の新聞が取り上げることはまずありませんでした。琉球新報が、米国の機密文書の公開で明らかにされたこととして、国務省側から廃止すべきだとする意見が出されたものの、米軍部の強い抵抗で温存されたことを報じました。

 日米合同委員会は、日米地位協定の運用を協議する機関とされており、各省庁から選ばれた日本の官僚在日米軍のトップがメンバーとして月2回60年以上に渡って定期的に協議を行っているものです。
 協議の対象は別に米軍の待遇に限るものではなく広い分野に及んでいます。実際は協議というよりも米軍からの指示を伝達する会合であり、まさに米軍占領時代の遺物というべきものです。

 これまで、米国務省で東アジア・太平洋局日本部長などを務めたリチャード・リー・スナイダー氏が、1970年代の前半にその会合に出席し、異例で異様な会合であることを知り、「米軍が日本官僚に指示を与える占領中にできた異常関係をやめるべきだ」と提言たことが知られていましたが、今回明らかになったのは72年5月にインガソル駐日米大使が国務省に宛てた秘密扱いの公電でした。
 時期が一致しているのでスナイダー氏と連携して発した公電と思われます。

 注目すべきは、国務省が「合同委員会の枠組みは現在の日本の状況下では正当化できない」と大使館に賛同したのに対して、米軍側が「合同委員会はうまく機能しており、日本側から変更を求める兆候もないと反論している点で、ここでも日本の官僚の無気力ぶりが明らかになりました。

 琉球新報の記事を紹介します。
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軍主導の日米合同委見直し提起 72年に米大使、米軍抵抗で頓挫
琉球新報 2018年1月3日
 1972年5月の沖縄の日本復帰を節目として、在日米大使館が同月、「占領期に築かれた異常な関係が存在する」として、日米合同委員会の体制見直しを米国務省に提起していたことが、機密指定を解禁された米公文書で分かった。日米合同委は米軍駐留の条件を定めた日米地位協定の運用を協議する機関。国務省側も提案を支持したが、米軍の抵抗に遭い、軍部主導の枠組みは温存された。大使館の提案は、在日米軍副司令官が合同委の米側代表を務める枠組みを変える内容。日本側は全ての委員を文民が占めていることから、米側も代表権を大使館の公使に移し、米軍は技術的見地から大使館側を「補佐」する内容を提起していた。

沖縄の日本復帰を機に日米合同委員会の米側代表者を軍部から大使館に移すべきだと米国務省に報告する在日米大使館発の「秘密」扱いの公電
 合同委では現在、米側が代表者をはじめ委員6人のうち5人を軍人が占めている。日米間の協議の場で「軍の論理」が最優先されていると指摘されてきたが、米政府の内部からも軍部主導の運営に批判が上がっていたことになる。

 在日米軍の2002年7月31日付の通知は、在日米軍副司令官は合同委で「米国防総省や米軍のみならず、米政府全体を代表する立場にある」と明記している。さらに合同委の場で「米側を代表する発言または行動を認められた唯一の人物」と位置付けており、現在も米軍が強大な権限を持っていることを示している。

 72年5月にインガソル駐日米大使が国務省に宛てた秘密扱いの公電は「沖縄返還を機に合同委の在り方を再検討する必要がある。制服の軍人が日本政府と直接やりとりし、大使館は対応方針に異論を唱える余地がない状況になるまで素通りされている」と不満を示し、見直しを提起した。
 これを受けた同じ5月の国務省の秘密扱いの返信は「合同委員会の枠組みは他の多くの国におけるものと整合せず、現在の日本の状況下では正当化できない」と大使館に賛同した。

 だが米太平洋軍や在日米軍が「軍の柔軟性や即応性を維持する必要がある」「合同委員会はうまく機能しており、日本側から変更を求める兆候もない」などと抵抗したことが、72年6月の米大使館発「秘密」公電に記録されている。
 これに対し大使館は72年6月の「関係者限り」の文書で「占領期に築かれた、軍部と背広組が直接やりとりする異常な関係だ」と現行の枠組みを批判した。その上で「安全保障を巡る日本との関係は経済や政治的側面に影響されるようになった」とし、大使館への代表権の移管を求めた。

 だが72年8月の米大使館発公文書は、大使館の公使を在日米軍副司令官に次ぐ「代表代理」に任命し、また政治的に敏感な問題に関する情報を早めに提供するなど、米側内部の運用を変更する形で大使館と米軍の交渉が最終的に決着した経緯を記している。

 在日米大使館発の公電は米国立公文書館所蔵。(座波幸代本紙ワシントン特派員、島袋良太)