2018年11月4日日曜日

04- 朝ドラ『まんぷく』に「憲兵を悪く描くな」の攻撃

 NHK連続テレビ小説『まんぷく』で、軍需物資を横領したという無実の罪で主人公の萬平が逮捕され、憲兵から執拗な拷問を受けるシーンが数日間断続的に流されたことに対して、ツイッターで、
乱暴な憲兵の拷問シーンでもう見る気が失せた。いつも悪者に描かれて憲兵が気の毒」「また拷問しているところです。優しい兵隊さんのエピソードは全く出てこない
全くひどい。NHKは、戦時を描くのに必ずこのパターンを使用する。庶民は、軍部に苦しめられたというGHQが東京裁判で使ったロジックをそのまま使い続けている」
などという投稿が飛び交ったということです
『まんぷく』は日清食品創業者の安藤百福と妻・仁子をモデルにその半生を描くドラマで、細部では色々史実とは異なる筋書きになっていますが、この拷問は安藤百福が実際に受けた事実、実際にはもっと凄惨な、いつ死んでもおかしくないようなものでした(結果的には幸運にも知り合いの元陸軍中将により救出されました)。
 
 憲兵(隊)は軍の規律を守らせる機関として軍隊の創設と共に作られましたが、当初から「自由民権運動の牽制」も目的の一つにされていました(明治10年代)。取り締まりは軍隊内部に留まらずに軍需品の管理などでは当然軍需工場や市民が対象になったし、戦争がはじまれば「特高警察も顔負け」(警察を上回る権力)と言われるほど市民を弾圧し、軍需工場で工員が憲兵に殴られるのは日常茶飯事で「泣く子も黙る憲兵隊」と怖れられました。
 関東大震災の直後に渋谷憲兵分隊長甘粕正彦憲兵大尉が大杉栄、伊藤野枝及び橘宗一を殺害したほか、その後の朝鮮人大虐殺に憲兵(の一部)も関わっていたとして、李承晩大統領(当時)は、朝鮮人大虐殺には官憲も関与していたと非難しました。また満州国内では憲兵隊が警官の役割を果たしました。
 
 もしも「愛される憲兵」というイメージの下に、NHKの朝ドラにクレームをつけているのであればそれは間違いです。
 やや長い記事ですがLITERAの「朝ドラ~本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい」を紹介します。
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朝ドラ『まんぷく』への「憲兵を悪く描くな」攻撃は異常! 
首絞め、逆さ吊るし…本当の憲兵や特高の拷問はもっとヒドい
LITERA 2018.11.02.
 10月1日から放送が始まった、NHK連続テレビ小説『まんぷく』。日清食品創業者の安藤百福と妻・仁子をモデルにその半生を描くドラマだが(役名は立花萬平と福子に改称されている)、ツイッターを中心に、この内容に対して驚くような声が出ている。
 10月15日から放送された第3週「そんなん絶対ウソ!」では、軍事物資を横領した罪で萬平が逮捕され、憲兵から執拗な拷問を受けるシーンが流された。萬平は無実のため、獄中では食事もとらず、ひたすら「僕はやっていない」「僕は知らない」と訴えるのだが、憲兵たちは聞く耳をもたない。さらに、罪を認めさせるために、素手で殴るのはもちろん、蹴り飛ばす、壁に叩き付ける、竹刀で叩くといった暴力行為を行った。
 結果的に、福子たちの必死の根回しにより萬平の無実が証明され、命からがら釈放される。釈放直後の萬平は自力では立つことができないぐらいボロボロの状態で、福子の姿を見るや「生きて会えるとは思いませんでした」と呟いて涙を流す。
 こういった一連の描写に対して、ツイッターではこんな投稿が飛び交った。
〈朝ドラ「まんぷく」乱暴な憲兵の拷問シーンでもう見る気が失せた。昭和30年代40年代の戦争ドラマの見過ぎだよ。いつも悪者に描かれて、憲兵が気の毒だ〉
〈朝ドラ。また日本兵が拷問しているところです。「やったといえー」と。優しい兵隊さんのエピソードは全く出てこないTV。日本人をどこまで貶めるのか〉
〈全くひどい。NHKは、戦時を描くのに必ずこのパターンを使用しますね。庶民は、軍部に苦しめられたというGHQが70年前に東京裁判で使ったロジックをそのまま使い続けています。NHKを潰しましょう〉
 
『まんぷく』の拷問シーンは別に過激なものでもなんでもない。せいぜい、萬平を演じた長谷川博己の口の端に血が滲んでいたり、顔の一部に痣らしきメイクが施されていたり、着ている白いシャツが汚れたり破れたりしているぐらい。
 血しぶきが飛んだわけではないし、殴られ過ぎて誰か判別できないぐらい顔が腫れあがっていたり、痣で身体がどす黒く変色しているわけでもない。非常に抑えた表現であったといえるだろう。
 
 この拷問エピソードは安藤百福が実際に受けた紛れもない史実である。そして、もちろん、現実は『まんぷく』の描写ほど甘いものではなかった。
 安藤百福による自伝『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)には、彼が憲兵から受けた拷問の詳細が綴られている。
 戦時中の安藤百福は軍用機のエンジンを製造する会社を共同経営していた。製造のための資材は軍から支給されたもので、毎月、軍が厳しい点検をしている。
 そんななか、資材担当の社員が「数が合いません」と報告を入れてきた。社員の誰かが資材を横流ししていたのである。彼はすぐさま憲兵に訴え出るが、なぜか安藤百福が犯人扱いされて取り調べを受けることになってしまう。資材を横流しした社員と憲兵は親戚同士であり、裏でつながっていたからだ。
 留置場に入れられた安藤百福はまるでデタラメの自白調書に判を押すように強要されるも、拒否。その結果、無実の罪で留置場に入れられ続けることになる。そして、罪を認めるよう脅され、〈いつ果てるともなく続いた〉という〈暴行〉を受け続けた。
 殴り殺されてもおかしくない状況下で安藤百福が考えたのは、敢えて食事をとらずに自ら身体を衰弱させ、暴力を伴う尋問を回避することだった。それほどまでに追い詰められていたということである。
 
〈憲兵隊の追及は、私が頑固な分、さらに厳しくなった。どうしたらこの状況から逃れられるのかと考えた。生きるために、不潔な食事に耐えたとしても、殴られ続けて死んでしまうかもしれない。私は再び絶食を決意した。なまじ健康なために拷問を受けるより、食べることをやめて病気になる方がよほど心が安らぐだろう、と考えたのである。
 食事はすべて同房の人に分けた。食を絶ってしばらくすると、下痢が始まった。体力は目に見えて衰え、今度は間違いなく死と直面していると感じた。あまりの衰弱ぶりに、同房の人たちもいたく同情してくれた〉
 
本当の憲兵や特高はもっとヒドい! 虐殺された小林多喜二が描いた拷問
 結果的には、知り合いの元陸軍中将の助けにより解放されたわけだが、それがなければ命を落としていてもおかしくない。それに、留置場での生活が災いし、その後、二度にわたって開腹手術を受けなければならなかったという。
 ただ、生きて出ることができただけ、安藤百福はマシだったともいえるかもしれない。というのも、当時、憲兵や特高警察の拷問によって命を奪われた人は少なくないからだ。
 そのなかでも有名なのが、『蟹工船』で知られる作家の小林多喜二だろう。彼は治安維持法により逮捕された人間に対し特高警察が加えた暴行を告発した『一九二八年三月十五日』を「戦旗」に発表したことがきっかけで小説家として本格的に世に知られるようになった。しかし、結果的には、この作品の描写が特高の怒りを買ったことで後に逮捕され、1933年2月20日、取り調べ中の拷問により29歳の若さでこの世を去ることになる。彼の遺体の写真は公開されているが、身体中(特に太もも)が痣で真っ黒に変色しており、どれだけひどい拷問が行われていたかを窺い知ることができる
 
 小林多喜二のデビュー作『一九二八年三月十五日』は、1928年3月15日に日本共産党関係者など1000人以上が治安維持法で一斉に検挙された「三・一五事件」について描かれた小説。このなかでは、何の容疑なのかもまともに教えられぬまま強引に逮捕されていく過程や、逮捕した人々に対して苛烈な暴力が加えられていく様子を生々しい筆致で描いている。
 その描写の数々はまるで拷問の見本市のようである。
 拷問は単純に殴る蹴るの暴行だけではない。こんな危険な手段まで用いられる。
 
〈そのすぐ後で取調べられた鈴本の場合なども、同じ手だった。彼は或る意味でいえば、もっと危い拷問をうけた。彼はなぐられも、蹴られもしなかったが、ただ八回も(八回も!)続け様に窒息させられた事だった。初めから終りまで警察医が(!)彼の手首を握って、脈搏をしらべていた。首を締められて気絶する。すぐ息をふき返えさせ、一分も時間を置かずにまた窒息させ、息をふきかえさせ、また……。それを八回続けた。八回目には鈴本はすっかり酔払い切った人のように、フラ、フラになっていた。彼は自分の頭があるのか、無いのかしびれ切って分らなかった〉
 
 警察医がついているとはいえ、こんな危険な拷問を加えるというのは、最悪、取り調べ中に相手が死亡したとしても、適当に隠ぺいすればそれで話は終わるというぐらいに認識していたということの裏返しでもあるのだろう。また、『一九二八年三月十五日』には、さらに、こんな拷問器具が用いられる描写まで登場する。
〈取調室の天井を渡っている梁に滑車がついていて、それの両方にロープが下がっていた。竜吉はその一端に両足を結びつけられると、逆さに吊し上げられた。それから「どうつき」のように床に頭をどしんどしんと打ちつけた。そのたびに堰口を破った滝のように、血が頭一杯にあふれるほど下がった。彼の頭、顔は文字通り火の玉になった。眼は真赤にふくれ上がって、飛び出した。
「助けてくれ!」彼が叫んだ。
 それが終ると、熱湯に手をつッこませた〉
 
「憲兵を悪く描くな」という攻撃は異常! 背景に歴史修正主義の跋扈
 安藤百福の自伝には〈殴られ続けて〉や〈暴行〉とあるだけで、どれくらいの拷問を受けたのかは定かではないが、絶食して自ら身体を衰弱させようという考えが浮かんでくるほどなのだから、『まんぷく』の拷問シーンのように甘いものでなかったことだけは確かだろう。
 一部の視聴者が怒っているように「憲兵を意図的に悪く描いた」というものではない。むしろ、マイルドに描き過ぎているぐらいだ。
 
 これまで、NHK連続テレビ小説でも、戦時中の日本軍や憲兵の市民に対する横暴な態度を描いたことはあったが、こんな意見が出てくることはなかった。背景にあるのは、もちろん安倍政権と極右勢力による歴史修正主義の喧伝だろう。「慰安婦」問題や南京虐殺など日本の戦争責任に触れる言説が、ここ数年、極端にメディアから排除されているが、憲兵の描写までもが槍玉にあがるとは戦争に関する認知の歪みもここまで来たかという感がある。
 こうしたネトウヨたちの声をただのトンデモと片付けることはできない。というのも、ネトウヨたちや右派政治家たちの抗議や非難の声にメディアが過剰防衛し、どんどん表現が萎縮しているからだ。
 
 当の『まんぷく』もそうだ。『まんぷく』では以前から問題を指摘されていることがある。それは、主人公の夫・立花萬平の出自についてだ。
 安藤百福は1910年に台湾で生まれた。当時の台湾は日本領である。幼くして両親を亡くし、祖父母のもとで育てられた彼は、祖父が営んでいた呉服屋を手伝い、22歳で独立。繊維業の会社を興している。会社はすぐに軌道に乗り、1933年には大阪に居を移すことになる。
 しかし、『まんぷく』では、立花萬平の出自が明かされないのである。
 10月9日放送の8話では、「父親は僕が物心つく前に、母親はそのすぐ後に亡くなりました。僕は兄妹がいなかったからひとりで親戚の家を転々としたんです。どこの家も色々と大変だったんですよ。僕は自分が迷惑をかけるのが嫌だったから18歳で働き始めたんですよ。修理屋でね。そのうち、カメラでも時計でも、たいがいのものは直せるようになって、25歳のときに独立して大阪に来ました」と、生い立ちについてかなり詳細に語られているが、それでもやはり生まれがどこかという情報だけは出されなかった。
 実在の人物をモデルにしている朝ドラで、名前や設定などを微妙に改変するということは、これまでも度々ある。『花子とアン』での主人公の不貞および戦争協力問題や、『カーネーション』の主人公の同様の問題などがそうだ。
 とはいえ、出自まで変えてしまうのは、さすがに安藤百福の人生を描くドラマとして真摯ではないだろう。
 
台湾出身という出自を描かないのは、NHKが右派の攻撃への過剰防衛か
 ネットでは日清食品や遺族の要望だろうかなどの見方も散見されるが、日清も遺族もホームページや著書で百福が台湾出身であることは普通に書いており、百福サイドの要望ということはあり得ないだろう。
 台湾出身という百福のバックグラウンドに触れることは、アジアへの侵略という日本の負の歴史に触れることにもつながりかねない。百福の出自をきちんと描かないのは、NHKが、右派からの攻撃を恐れた結果ではないのか。
 前述の憲兵のエピソードにしても、憲兵や特高が朝鮮出身者や台湾出身者に対してより過酷だったのは有名な話。百福の受けた理不尽な拷問も、そうした背景も合わせて考えれば、見え方は変わってくるだろう。また、当然ながら百福の最大の業績である「インスタントラーメン」も、台湾や中国の食文化と切り離して語れるはずがない。
 
 ラーメンという食文化、日本による植民地支配。安藤百福とその家族を描くのに、東アジア全体の文化的・歴史的背景を抜きに語るのはあまりに不誠実だろう。それをネグるぐらいなら、最初からインスタントラーメンも百福もモデルにしなければいい。
「インスタントラーメンは日本の発明品」「インスタントラーメンは世界中で愛される和食」といった言説により、インスタントラーメンはしばしば「日本スゴイ」論の道具として担ぎ出される。『まんぷく』でも、そういった話を展開したいのだろうか。
 
 日本の侵略という負の歴史をなかったことにし、インスタントラーメン発明の物語を“日本スゴイ”として描くというのはご都合主義にもほどがある。右派からの攻撃を先取りするようなこうした萎縮が、憲兵の描写すらも炎上するような言論状況を生み出しているのだ。
 これはもちろん、『まんぷく』だけの問題でも、NHKだけの問題でもなく、日本のメディア全体が直面している問題だということをあらためて指摘しておきたい。(編集部)