2019年8月3日土曜日

冤罪ほど罪深い「犯罪」はない(日々雑感)

 今年1月に松山市内で発生したタクシー内での窃盗事件で誤認逮捕された女子大学生が手記を公表しました。警察や検察からの発表のみでは真相が伝わらないからでした。
 この事件は確か真犯人の女性が自ら名乗り出たために誤認逮捕であったことが明らかになったものでその点は幸運でしたが、もしもそれがなければ、本人も書いているように最終的には冤罪に屈していたかもしれません。警察・検察の思い込みはそれほど異常で、追及は執拗でした。
 
 偶然に真犯人が判明したために、勾留中や服役中に冤罪が晴れたという事例は他にもありますが、それが只ただ「幸運なこと」であること自体、実に恐ろしいことです。そもそも真犯人の判明は、警察・検察の再捜査に拠るものではありません。余罪の追及で偶然に判明したり、服役中の犯人が告白したりしたものです。
 当人が強い意思を持ち不当な逮捕に屈しなかったのは勿論評価されますが、当人が学生であり、一家を支える稼ぎ手ではなかったいという点も幸いしました。勾留されていれば家族は飢えるしかないという状況下では人はそう頑張れるものではありません。
 事実、長期勾留に耐え抜いて「冤罪」を証明できた人たちは、その条件からは解放されていた人たちでした。それが人質司法の恐ろしさです。
 
 ドライブレコーダーに移った画像に女子大生が似ていたのかどうか分かりませんが、そのタクシーには載っていないのですから当然指紋はなかった筈です。冤罪が晴れた後でも検察がそれらの事実を明らかにできないのは、彼らの後ろめたさをそのまま示しています。
 この手記をブログで取り上げた「日々雑感」氏は、「いまだに江戸時代さながらの抱き石水責めに等しい取り調べを行っている」と述べていますが、まさにその通りです。
「中世の司法」と酷評される日本の警察・検察の在り方は、少なくとも10数年来、国連の人権委員会や拷問禁止委員会からも是正勧告を受けていますが、法務省の上層部は一顧だにせず事実上無視し続けています。恐るべき人非人ぶりです。
 
「日々雑感」氏は取調べ中の時間給相当分の補償を求めていますが、精神的苦衷への慰謝料なども当然含められるべきです。
 さらに人質司法による冤罪を防止するためには、勾留中の家族への「収入保障」にも踏み切るべきです。この司法の闇はいつまで続くのでしょうか。
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冤罪ほど罪深い「犯罪」はない
日々雑感 2019年8月2日
 今年1月に松山市内で発生したタクシー内での窃盗事件で私が誤認逮捕された件について、警察や検察からの発表のみでは伝わらない部分も多々あるかと思い、今回コメントを発表させていただきます。
 この事件の捜査では、決して適切とは言えない対応を警察から繰り返されました。そのため私は、取り調べが終わるたび、すぐに全てを日記に付けて記録してきました。ドライブレコーダーに写っている女と私が似ていたこと、その女と私が同じアパートに住んでいたことなど悪い偶然が重なり、私が容疑者になってしまうことは仕方がないのかもしれません。しかし、私は一番初めの取り調べから一貫して容疑を否認し、その女と私が別人であることを何度も訴えてきました。にもかかわらず、捜査に関わった刑事全員が私の話に耳を傾けることはありませんでした。
 
 取調官は、私が「本当の犯人を捕まえてください。こんなの何の解決にもならない。」と言えば、「犯人なら目の前にいるけど。」と言い、初めから私を犯人だと決めつけていました。他にも「やってないことを証明できないよね?」「タクシーに乗った記憶ないの? 二重人格?」「いつ(自分がやったと)言うのか待ってるんだけど」「罪と向き合え」等、耳を疑うようなことを次から次へと言われました。
 また、自白を強要するかのような言葉を執拗(しつよう)に言われました。「就職も決まってるなら大事にしたくないよね?」「君が認めたら終わる話」「こんなに時間のかかるものじゃない」「ごめんなさいをすれば済む話」「懲役刑とか罰金刑とか人それぞれだけど早く認めたほうがいいよ」「認めないからどんどん悪い方へ行ってるよ」「今の状況は自分が認めないからこうなってるんだ」「また取り調べか、とか思ってるんだろう。認めないと終わらないよ」等、挙げればきりがありません。逮捕された後は、弁護人の助言で警察の取り調べに対しては黙秘していたのですが、「弁護士に言われたから黙秘するのではなく自らの意思で話せ」と言われました。
 
 本当に悔しかったです。自分たちが正しいと過信している警察には何を言っても無駄だと気付き、ただひたすら真犯人が出てくることを祈るしかありませんでした。
 そもそも、私は取り調べの他にも指紋採取ポリグラフ検査3D画像の撮影等、全ての任意捜査に素直に応じてきました。朝の10時ごろから夕方17時ごろまでかかることもあり、体力的にも精神的にも辛かったですが、素直に応じました。そうすることで身の潔白を証明できると信じていたからです。
 しかし、最後の取り調べから1カ月以上たってから突然家宅捜索に入られ、そのまま逮捕されてしまいました幸いにして、勾留請求は認められず釈放されましたが、逮捕直後、もし勾留されたら取り調べに耐え切れずにやっていないことを認めてしまうかもしれないという不安な気持ちがあったのも事実です。
 
 誤認逮捕であることが分かった後、警察からは「真相の解明に必要な逮捕だった」と説明を受けましたが、到底納得できるものではありません。3D画像はきちんと解析したのか、ポリグラフ検査の結果はどうだったのかという私からの質問に対しては、はっきりした回答を得ることができませんでした。担当刑事からの直接の謝罪はいまだにありません。5月27日から7月19日という期間は私にとってはとても長く、不安、恐怖、怒り、屈辱といった感情が常に襲い、ぴったりと当てはまる言葉が見つからないほど耐え難いものでした。手錠をかけられたときのショックは忘れたいのに忘れることができず、今でも辛いです。
 私には前歴・前科もなく、本当に真面目に生きてきたつもりです。このような事件に巻き込まれ、犯人と決めつけて自白を強要するかのような取り調べを受け続け、実名報道までされたことを絶対に許すことはできません。
 今回の誤認逮捕は、適正な捜査を行っていれば起こらないはずでした。私のような思いをする人を二度と出さないためにも、口先だけの謝罪で済ませるのではなく、今後どのような指導を行い再発防止に努めるのか具体的に公表してほしいです
(以上「時事通信」より引用)
 
 冤罪があとを絶たない。取り調べの可視化の必要性をこれほど求めても、未だに実施されていないのはなぜだろうか。任意という人権保無視した取り調べが常態化していることに強い怒りを覚える。
 なぜ冤罪が根絶できないのか。それは可視化一つ完全実施できない因循姑息な取り調べにある。なぜ「推定無罪」の原則が適用されないのだろうか。そして裁判所はなぜ安易に身柄を拘束する「逮捕状」を出すのだろうか。
 
 現代では証拠主義に基づく捜査を実施すべきとされている。自白による事件解決を目指すのは冤罪を製造しているようなものだ。これほど科学技術が進化した現代で、物証なき立件・逮捕などあり得ない、という姿勢で裁判所は臨むべきだ。
 科学捜査が現場の警察官に徹底していないのだろうか。いまだに江戸時代さながらの「抱き石」や「水責め」に等しい取り調べを行っているとは。ゴーン氏の長期勾留に、日本の警察の取り調べの前近代的な人権無視を世界に発信してしまった。それは日本の国家と国民に関わる不名誉だ。
 
 そして取り調べの結果「誤認逮捕」だったのなら、拘束した「時間給」を「謝罪・賠償」として支払うべきではないか。逮捕・勾留された者が受ける物質的、精神科的な不利益はその程度では到底償えないが、せめて「拘束した時間給」相当額は支払うべきではないか。
 当然、「誤認逮捕」なら謝罪が伴うのは当たり前ではないか。それは警察だけではなく、「逮捕状」を出した裁判所も裁判所と判事の名で「謝罪文」を「誤認逮捕者」に付与すべきではないか。そうしなければ「風評被害」に「誤認逮捕者」はいかにして対処できるというのだろうか。
 
 上記記事にある「誤認逮捕であることが分かった後、警察からは「真相の解明に必要な逮捕だった」と説明を受けましたが、到底納得できるものではありません。3D画像はきちんと解析したのか、ポリグラフ検査の結果はどうだったのかという私からの質問に対しては、はっきりした回答を得ることができませんでした。担当刑事からの直接の謝罪はいまだにありません。5月27日から7月19日という期間は私にとってはとても長く、不安、恐怖、怒り、屈辱といった感情が常に襲い、ぴったりと当てはまる言葉が見つからないほど耐え難いものでした。手錠をかけられたときのショックは忘れたいのに忘れることができず、今でも辛いです」という本人の思いは悲壮でもある。
 
 真相の解明に必要なら警察は何をやっても良い、ということはない。自白を強要する警察官の言動は断じて許し難い。本人がやったのなら、座席などに本人の衣服の繊維が残されているはずだ。そうした「物証」を整えた上で「逮捕状」請求すべきだし、裁判所も物証なき「逮捕状」請求を容認してはならない。冤罪ほど罪深い「犯罪」はない。