2019年8月14日水曜日

戦後74年で戦前に逆戻りするのか この息苦しさ

 何が愚かといっても、この日本を戦前の軍国主義に戻すことほど愚かなことはありません。
 別掲の対談記事で、立川談四桜さんは、田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が政治の中枢となった時は危ない」と語ったことを紹介していますが、まさにその戦争を知らない世代の安倍首相が安倍一強の独裁政治を行っているのがいまの時代です。彼は戦争を知らない世代の中でも一番できの悪い人間です。
 安倍政権は、この6年半、特定秘密保護法、新安保法制、共謀罪を成立させ、戦争するための国づくり、軍国主義化の準備を着々と進め、最後の憲法9条の改悪を目指しています。軍国主義を押しすすめればその分民生が圧迫されるのは火を見るよりも明らかです。
 
 小笠原泰氏は、10~30代の男子が高率で安倍政権を支持している理由を、「とりあえず生きていけているので、変化を起こされるより今のままがよい」と思っているからと分析していますが、このまま現状が維持されるということはあり得ません。日本の政治状況は極めて危うい状況になりつつあります。
 
 終戦記念日を目前にして日刊ゲンダイが、「戦後74年で逆戻りか 真綿で絞められるような息苦しさ」と題する記事を出しました。
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戦後74年で逆戻りか 真綿で絞められるような息苦しさ
日刊ゲンダイ 2019/08/13
阿修羅文字起こしより転載
〈白が黒と言われ、黒が白と言われ、上のものが下に置かれ、下のものが上に置かれはじめた時、その国は「乱れ」、民は幸福と安寧を失い、貧困と混沌を生きねばならなくなります。そしてまさに今の日本は、国は「乱れ」、貧困と混沌を生きることを余儀なくされています
〈こうした「乱れ」を正していく、最も強い力を持っているのはもちろん「政府」です。しかし、その政府自身が「乱れ」はじめては、もはやその国で、政治の力で民の幸福と安寧を取り戻すことなど、期待できなくなります
 内閣官房参与を昨年末退任した藤井聡京大大学院教授は〈壊れかけた日本〉と題し、こう書いていたが、今のこの国の姿はもはや「壊れかけ」どころか、「すでにあちこちが粉々にぶっ壊れている」といった表現の方が正しいのではないか。2012年の第2次安倍政権発足以降、戦前の軍国主義時代を彷彿とさせるような「乱れ」が当たり前になりつつあるからだ。
 最近の出来事で真っ先に思い浮かぶのが、学校法人森友学園の国有地売却をめぐる財務省の文書改ざん・廃棄事件だろう。大阪地検特捜部の不起訴を受け、大阪第1検察審査会は佐川宣寿元財務省理財局長ら10人を「不起訴不当」と議決。特捜部の再捜査が行われたものの、結局、結論は変わることなく終結してしまった。
 
権力犯罪を許す特捜部は即刻、解体すべきだ
「再度の不起訴処分は極めて遺憾。非常に怒りを持っている」
 佐川元局長らを告発した阪口徳雄弁護士が会見で怒りをあらわにしたのも当然だ。財務省はなぜ森友に国有地をタダ同然で売却する契約を結んだのか。コトの経緯を記した決裁文書や報告書はなぜ改ざん、廃棄されたのか。誰がいつ、どういう理由で改ざんや廃棄を指示したのか。何一つ、明らかになっていないのだ。
 国有財産が毀損し、自殺者まで出るなど、戦後史に残る重大事件と言ってもいいのに、政治家も官僚も誰ひとりとして責任を取らない。これが犯罪に問われないのであれば、この先も政府や役所はやりたい放題。都合が悪いことが起きたら、関連文書をすぐに改ざん、廃棄し、後は組織を挙げて知らぬ存ぜぬを貫き通せば許されてしまうからだ。
 
 佐川元局長らを告発していた上脇博之神戸学院大教授はこう言う。
今回の結論に沿えば、公文書変造・同行使や、公用文書毀棄といった罪は成り立たなくなる。森友問題を反省し、二度と起きないよう行政文書をきちんと残すべきというのではなく、むしろ積極的に隠す方向に向かいかねない。とても民主主義国家とは言えません
 その通りだ。それなのに特捜部は「必要かつ十分な捜査をした」とオウムのように繰り返すだけ。どんな追加捜査をしたのかもサッパリ分からない。かつては「巨悪を眠らせない」と息巻いていた特捜部だが、今や権力犯罪の真相に迫るという本来の役割を放棄し、グウグウと高いびきをかいて眠る巨悪をやさしく見守る組織に成り下がった。権力者の顔色をうかがい、言いなりで動く組織であれば、即刻、解体するべきだろう。
 
「アベ政治」の暴走を許せば行き着く先は戦争国家だ 
 腐敗堕落の特捜部と同様、戦前の嫌な空気を感じさせるのが、開幕から3日で中止に追い込まれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の一件だ。
「ガソリン携行缶を持って美術館に行く」と脅迫文を送った愛知県内の男が威力業務妨害容疑で逮捕されたのは当然として、それ以上に深刻なのは、河村たかし名古屋市長が「日本人の心を踏みにじる」と言って展示中止を要求したり、菅官房長官らが芸術祭への補助金交付の見直しを示唆したりしたことだ。
 
 欧米では半ば常識となっている通り、現代芸術の作品は権力者を批判したり、賛否が分かれる社会問題をあえて取り上げたりするのが一般的だ。それぞれの立場や異なる視点で物事を考えさせるのが目的の一つでもあるからで、政府や権力者の意向に沿った作品の展示しか認めないのであれば、公権力による権力の乱用、表現の自由の侵害は言うまでもないし、独裁国家のプロパガンダ芸術と変わらなくなる。「表現の不自由展・その後」の中止にネトウヨは拍手喝采だが、「表現の不自由」が積み重なるほど、74年前の「いつか来た道」の時代に時計の針は逆戻り。いつの間にかジワジワと社会全体が真綿で絞められるような息苦しさを覚えることになるのだ。
 
 政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
安倍政権は、この6年半、特定秘密保護法や共謀罪を成立させ、集団的自衛権の行使も容認するなど戦争するための国づくり、つまり、戦前の軍国主義化の準備を着々と進めてきました。表現の不自由展をめぐる今の異様な空気、排外主義とも言うべき主張は、一連の『アベ政治』の流れから生まれてきたものであり、今の日本の政治状況が極めて危うい状況になりつつある表れとも言えます」
 
対抗措置や非難の応酬で得られる成果はない
 泥沼化する日韓対立でナショナリズムをあおるような今の日本政府の強硬姿勢もまた、植民地戦争、支配を肯定させた大日本帝国の「大国主義イデオロギー」を思い起こさせる。侵略戦争による植民地拡大、膨張政策が始まった当時の日本では、「文明国である日本」と「野蛮な国であるアジア」の戦いという図式が公教育とメディアを通じて広められたが、今回の日韓対立でも〈日韓基本条約で解決済みの徴用工問題を取り上げる野蛮な韓国を日本が「ホワイト国(優遇対象国)」から除外するのは当たり前〉といった論評が目立つ。
 
 安倍首相も「日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」などと“隣国憎し”の発言を繰り返しているが、対抗措置や非難の応酬で何か得られるのか。相手国に対して拳を振り上げるばかりでは問題が解決しないのは北朝鮮問題でも分かったはずだ。安倍が「対話のための対話はしない」と言って「圧力一辺倒」の姿勢を取り続けた結果、米国や中国、ロシアなどが次々と金正恩朝鮮労働党委員長と首脳会談を行う中で、日本だけが蚊帳の外に置かれた。今回だって日韓の対立が長引くほど、核やミサイル開発を進める北を利するだけということがなぜ、分からないのか。
 
 政府の「乱れ」を正すのは本来、メディアの役目だ。「冷静になれ」と言うべき論陣を張ってもいいのに静観している。それどころか、政権と一緒に日韓対立をあおっているかのような報道もあるから何をかいわんやだ。
 元東大教授の桂敬一氏(ジャーナリズム論)はこう言う。
「今のメディアは問題の深掘りも検証もしない。やれ新元号『令和』だ、やれ進次郎が結婚した、と話題に飛びついて大騒ぎしてオシマイ。内政、外交でさまざまな問題が表面化してきた長期政権の安倍政治に対しても、大所高所から論点を整理して報じるべきなのに何もしない。全くどうかしています。メディアが権力の監視をやめて萎縮し、礼賛報道の大本営発表となれば、権力の私物化は際限なくなるでしょう」
 このまま「アベ政治」による「乱れ」を傍観していたら、間違いなく行き着く先は戦争国家だ。