2019年8月11日日曜日

政治家首長でもこのレベル この国で憲法論議ができるのか

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件では、国会議員も務めた大阪と名古屋という大都市の首長が「表現の自由」をまったく分かっていないことを露呈しました。
 
 ガソリンを持ち込むという強迫に屈して簡単に中止してしまったことは問題でしたが、実行委員会会長大村知事5日の定例会見で、「卑劣なメールが来ることは言語道断」と脅迫行為を強く非難したうえで、首長などの政治家たちが中止を求めたことに対して、「憲法21条は検閲は、これをしてはならない』としていて、公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていない」と述べ、税金でやるならこういうことをやってはいけないという主張に対しても、「逆ではないか。公権力を持ったところだからこそ表現の自由は保障されなければならない、この内容は良くて、この内容はいけない”ということを公権力がやるということは、許されていない」と否定したことは、右翼政治家たちの主張が憲法に抵触し、民主的手続きをも理解していないことを明確にしました。
 
 この問題の本質は大村知事の指摘に尽きています。批判する側がその程度の認識も持っていないのであれば首長などを務めるべきではありません。それなのに吉村大阪府知事が7日、大村知事を「辞職相当だと思う」と述べるなどは余りにも認識不足で、大村知事から8日、「はっきり言って哀れだ」と切り捨てられたのは当然です「反日」などというネトウヨ用語を平然と用いる自らのことを大いに反省すべきでしょう。
 日刊ゲンダイがこの問題を、記事「政治家首長でもこのレベル この国で憲法論議のアホらしさ」で取り上げました。
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政治家首長でもこのレベル この国で憲法論議のアホらしさ
日刊ゲンダイ 2019/08/10
阿修羅文字起こしより転載
 愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、政治の圧力と卑劣な脅迫によって中止に追い込まれた一件が、きのう(9日)、神戸市に飛び火した。市の外郭団体「神戸市民文化振興財団」が、愛知の企画展の芸術監督を務めたジャーナリスト・津田大介氏を招いて18日に開催予定だった現代アートのシンポジウムの中止を決めたのだ。財団は「津田氏が登壇すると愛知の問題ばかりが注目される。『公金』を使うイベントの目的が達成できない」と理由を説明したが、シンポジウムには抗議が相次いでいたという。
 
 7日に逮捕された企画展を脅迫した男は「従軍慰安婦を表現した『少女像』の展示が気に入らなかった」と供述しているようだが、少女像の展示をめぐる“場外バトル”も過熱化している。「あいちトリエンナーレ」実行委員会会長を努める大村秀章愛知県知事に対し、7日、吉村洋文大阪府知事が「辞職相当だと思う」としたうえで、「反日プロパガンダと国民が思うものを愛知県が主催者として展示するのは大反対だ」と言い放ったのだ。
 これに対し8日、大村は「はっきり言って哀れだ」と反論。「(吉村が所属する)日本維新の会は憲法21条の表現の自由を理解していないのではないか」と批判すると、同日、吉村の親分に当たる松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)がツイッターで加勢し、<大村さん、ピンぼけな批判はやめて頂きたい。我々は、表現の自由は尊重するが、今回の展示会は公が税金を使って開催する事に相応しくないと考えているのです>と噛みついたのだった。
 
 本はといえば、この企画展の少女像を「日本人の心を踏みにじる反日作品」と断じ、「展示中止」を求めたのは維新と連携する河村たかし名古屋市長だが、抗議が憲法21条が禁じる「検閲」に当たると非難されると、河村は運営費が公費であることを理由に「公共事業としてふさわしくない作品への便宜供与を中止するのは憲法が禁止する検閲とは関係ない」と言ってのけた。
 
為政者がネトウヨ用語を使う異様
 ここまでの流れだけでも唖然ではないか。国会議員も務めた大阪と名古屋という大都市の首長が「表現の自由」をまったく分かっていないことがこれだけ露呈したのだから、驚くべきことである。自民党のウルトラ右翼議員らでつくる「日本の尊厳と国益を護る会」も「公金を投じるべきではない」と言っていたが、「表現の自由」を何だと思っているのか。
「表現の自由」は憲法が保障する人権の中でも、とりわけ重要だとされる。それは表現の自由が最も権力によって傷つけられやすい性質の自由であり、最も不当な制限を受けやすいものだからである。
 つまり、表現に権力が制限をかけることなどあってはならないのだ。
 
 聖学院大教授の石川裕一郎氏(憲法)が言う。
「河村氏も吉村氏も松井氏も憲法の教科書を学び直したらどうですか。公金を出しているからこそ、首長は口を出してはいけないのです。先進国では当たり前の考え方ですよ。『公共の福祉』の意味もはき違えています。『日本人の心を踏みにじった』と言いますが、最高裁の通説でも憲法学においてでも、『公共の福祉』は人権と人権がぶつかり合う際の調整原理の範囲で最低限に適用されるもの。また経済的な意味で大企業を規制する際に適用されるものです。日本人の通念などという感情論に照らして制限されるものではありません
 
 行政のトップが憲法に対しこの程度の理解度だから、ネトウヨの自称文化人も図に乗る。明治天皇の玄孫がウリの竹田恒泰氏は〈あれは「文化」ではない。反日活動の道具に過ぎない>とツイートしていた。
 権力者が表現の自由をないがしろにした弊害を、コラムニストの小田嶋隆氏はこう断じた。
「米国のオバマ前大統領が、トランプ大統領の発言を念頭に『憎悪を増幅させる指導者の言葉を拒否すべき』と異例のコメントを出し注目されましたが、公的な権力者の発言は一般の人に免罪符を与えてしまうのです。驚いたのは河村氏や吉村氏が『反日』という言葉を使ったことです。ネトウヨ用語であって、為政者が使う言葉じゃない。ネトウヨにお墨付きを与えてしまいました」
 
改ざん、隠蔽、対米従属の国のパラドックス 
 今回の企画展をめぐる一件で明確になったのは、戦後74年が経っても、この国では、為政者が憲法を理解せず、マトモな民主主義が育っていないということだ。
 ノンフィクション作家の保阪正康氏が本紙で連載中の「日本史 縦横無尽」で、GHQ(連合国軍総司令部)宛てに日本国民が送った手紙のことを取り上げていた。「拝啓、マッカーサー元帥様」といった書き出しで始まる手紙は合計5万通に及んだという。その3割は告げ口投書で、おおむね、①腹いせ、不満、貶めたいという文面 ②軍国主義の指導者の変節をなじる内容 ③敗戦後の不公平や戦犯処理の曖昧さへの陳情だったといい、保阪氏は<マッカーサーが退任後に「日本人の民主主義理解は12歳の子供と同じ」と喝破したのは、この種の手紙を読んだからではないか>と書いていた。
 マッカーサーが見抜いた日本人の本質はいまも変わっていない。悲しいかな日本の民主主義がいまも「12歳の子供」のままだということを、河村ら政治家の発言や行動が見せつけたと言える。
 70年以上経過しても、日本の民主主義はちっとも前進していない。それは、この国の民主主義が与えられたもので、自ら勝ち取ったものじゃないことも影響しているだろう。その重要性を、本質から理解していないのだ。
 
 安倍政権は森友疑惑の公文書改ざんや統計不正といった情報の隠蔽が横行してもアッケラカンだ。「年金2000万円不足問題」で国民が将来不安を抱いても、報告書を“なかったこと”にしてしまう。民主主義を破壊する事態が次々起きている異常さ。戦後の日本国憲法を占領軍からの「押し付け憲法」と唾棄しながら、一方で「米国の51番目の州」と揶揄されても対米従属を強め、高額兵器を爆買いし、いつまで経っても独立国家になろうとしない。
 つまり、そんなエセ民主主義の国ではマトモな民主主義など育つわけがないということだ。
「自分たちの努力で勝ち取っていないので、日本の民主主義はどこか弱い。政治家も意識が低い。そして、民主主義のかけらもない権力者が、国民の幸福のためにある憲法を守るために国民の代表になり、民主主義を抑圧する政治を行ってきた。そんなパラドックスが自民党政治の姿です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
 
まずは憲法のイロハを勉強せよ
 極め付きが選挙結果を尊重しないことだ。安倍首相は参院選後に「議論すべきだという国民の審判は下った」と強弁して、改憲議論を前に進めようと躍起になっているが、改憲勢力3分の2を割り込んだうえ、自民党自身が9議席も減らしたのに、バカも休み休み言え、である。
 選挙は民主主義の根幹。選挙結果を無視するような首相が、憲法で特に重要だとされる表現の自由を理解できないエセ民主主義国家で、改憲議論をしようなんて噴飯ものだ。マッカーサーも失笑していることだろう。もっとも、それでも安倍はお構いナシだから危険でもあるのだ。前出の石川裕一郎氏がこう言った。
議論するのであれば、憲法のイロハが分かったうえでにしてもらいたいですね。自由主義国家の基本である憲法21条すら理解できない状態で議論を進めたら危ない。自民党の改憲草案は、現行憲法が『公共の福祉に反しない限り』としているものを『公益及び公の秩序に反しない限り』に変更し、制限を拡大させています。こういう考えが根底にあるのですから、改憲議論を始めたら暴走しかねません」
 安倍政権下での改憲はヤバイ。国民は心して監視しなければいけない。