2023年9月6日水曜日

関東大震災「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」/加害の歴史に向き合え

 2日、東京の在日韓人歴史資料館で関東大震災100周年を記念し「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」をテーマにシンポジウムが開かれました。そこでは
2010年以降、大震災時の朝鮮人などの虐殺を否定する動きが強まっている 
横浜市議会で自民党議員が中学社会科副読本の「虐殺」という言葉を問題視「殺害」に変えられる
都立横網町公園の追悼碑にある犠牲者数を自民党議員が都議会で問題にし碑の撤去を求める 
震災当時の新聞報道をもとに、虐殺を招いた流言は実体のないものではなかったなどとする論文が現れた
ことなどが語られ、「国際的な力も借りた歴史修正主義を押しとどめるために、当時の資料を発掘し事実を究明すること災害時に簡単にデマを信じ虐殺に走り、しかも罪の意識がないという異常事態を、当時の状況からどのように理解できるかの視点を提供すること」が必要とされました
 また「武装した朝鮮人が集団で襲ってくる」というのが流言の核心だったこと、当時はいわゆる「不逞鮮人」「朝鮮人パルチザン」を追うことが日本軍の日常活動となり、日本に反抗する朝鮮人は殺してもいいという考えが軍隊の中に公式化されそれが民衆に持ち込まれたこと、あるいは当時日本の民衆の中に自分たちが被害者だという意識があり、それが殺りくへの倫理的止め金を外したこと等が指摘されました。
 しんぶん赤旗の2つの記事を紹介します。
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関東大震災100周年シンポ「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」
事実を究明することで歴史修正主義を止める
                        しんぶん赤旗 2023年9月4日
 2日、東京の在日韓人歴史資料館で関東大震災100周年を記念し、「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」をテーマにシンポジウムが開かれました。
 同館館長の李成市(リ・ソンシ)・早稲田大学名誉教授は冒頭のあいさつで、2010年以降、大震災時の朝鮮人などの虐殺を否定する動きが強まっていることに懸念を表明。
 横浜市議会で自民党議員が中学社会科副読本の「虐殺」という言葉を問題視、「殺害」に変えられる ▽都立横網町公園の追悼碑にある犠牲者数を自民党議員が都議会で問題にし碑の撤去を求める ▽ハーバード大学のラムザイヤー教授が東大の支援も受け、震災当時の新聞報道をもとに、虐殺を招いた流言は実体のないものではなかったなどとする論文を発表―などの事例をあげ、「国際的な力も借りた歴史修正主義を押しとどめるために、当時の資料を発掘し事実を究明すること、さらに、災害時に簡単にデマを信じ虐殺に走り、しかも罪の意識がないという異常事態を、当時の状況からどのように理解できるかの視点を提供することで、未来に向けた信頼関係を築きたい」とのべました。

「なぜためらいなく人を殺すことができたのか」という疑問から長年、朝鮮人虐殺問題を研究してきたジャーナリストの渡辺延志(のぶゆき)さんは、「武装した朝鮮人が集団で襲ってくる」というのが流言の核心だったと強調。
 日本人が朝鮮人に恐怖を抱き流言を信じた背景に、戦時における体験があったと指摘。▽朝鮮の農民が圧政に対して蜂起した東学農民戦争(1894、95年)に日本は軍隊を送り3万~5万の農民を殺りく ▽日本の植民地支配に抗した朝鮮の義兵戦争(1906~15年)での殺りく ▽間島(かんとう)での抵抗運動を鎮圧・虐殺(20年) ▽シベリア出兵、ことに朝鮮人を含むパルチザンによって700人以上の日本人が皆殺しにされた尼港事件(20年)の経験―などがあり、「不逞(ふてい)鮮人」「朝鮮人パルチザン」を追うことが日本軍の日常活動となり、日本人に「不逞鮮人」への恐怖と敵対心が広がっていたと指摘しました。
 韓国近代史研究者の裵姈美(ベ・ヨンミ)さんは「そうした戦争を通じて、日本に反抗する朝鮮人は殺してもいいという考えが軍隊の中に公式化され、それを経験した兵士によって民衆に持ち込まれた」とのべました。
 戸辺秀明・東京経済大学教授は、市民を虐殺に駆り立てた要因として当時の日本社会が徴兵制がある社会=人を殺せる人間がいた社会だったと指摘。くわえて尼港事件などを通じて、日本の民衆の中に自分たちが被害者だという意識があり、自己防衛・正当防衛意識が殺りくへの倫理的止め金を外したと語りました。


関東大震災 朝鮮・中国人虐殺100 加害の歴史 向き合え
                        しんぶん赤旗 2023年9月4日
国会正門前キャンドル集会
 100年前に発生した関東大震災直後の混乱時に武装した市民で結成した自警団や警察官、軍人に虐殺された朝鮮人・中国人の人びとを追悼するキャンドル集会が2日、国会議事堂正門前で開催されました。「100年追悼大会実行委員会」の主催です。



(写真)政府は関東大震災での虐殺の事実を認め、謝罪せよとキャンドルをかかげて訴える参加者=2日、国会正門前


 1700人(主催者発表)が集まり、キャンドルに見立てたペンライトを掲げ、日本政府が自国の歴史に誠実に向き合い責任を果たすこと、同様の事件の再発を許さない共生社会実現を求めました。同実行委員会の渡辺健樹さんが「多民族・多文化が共生できる社会を目指すため立ち上がろう。いま再び隣国への敵愾心(てきがいしん)をあおり、敵基地攻撃を正当化する政府の戦争動員に立ち向かいましょう」とあいさつしました。

 震災後に群馬県の藤岡警察署に一時保護されていた朝鮮人が地元の自警団員に襲われ、17人が虐殺された「藤岡事件」遺族の曺光換(チョ・グァンファン)さんは、祖父の兄が30歳で亡くなったと語りました。朝鮮が植民地となり、貧しい家庭を何とかしたいと思い日本へ来たと言います。「日本は全く反省してない。資料を公開し、100年前に何があったか明らかにするべきだ。今日ここに集まった人、全員が英雄です」と訴えました。
 中国人遺族の周松権さんは、今年日本政府に2回目の督促状を提出したことを紹介。同督促状は ▽歴史を語り継ぐために殺害された現地に記念碑を建てる ▽中国人と朝鮮人の歴史を含む記念館建設 ▽日本の歴史教科書にこの事実を書き、日本の若い世代に歴史を知ってもらう―ことなどを求めています。
 集会には日本共産党の小池晃書記局長、吉良よし子、山添拓の各参院議員が参加しました。小池氏は「植民地支配という差別の構造の中で多くの朝鮮人の命が奪われた歴史を忘れてはいけない。加害の歴史に正面から目を向けることが、政府には求められている。歴史の歪曲(わいきょく)は許さない、その思いを固めあおう」と語りました。