2024年8月10日土曜日

長崎 原爆投下から79年 平和祈念式典 “最後の被爆地に”

 長崎に原爆が投下されて79年となる9日、長崎市で平和祈念式典が行われ、鈴木市長は平和宣言で核保有国などに向けて「核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきだ」と訴えました。
 100の国と地域の代表などおよそ2300人が参列しました。


 関連する以下の3つの記事を併せて紹介します。
世界大会長崎交流フォーラム 核禁条約 国際共同行動を 核なき世界実現へ
長崎平和宣言
イスラエル招待しなかった長崎市長「苦渋の決断」…6か国大使の欠席「理解求めたが平行線だった」
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長崎 原爆投下から79年 平和祈念式典 “最後の被爆地に”
                      NHK NEWS WEB 2024年8月9日
長崎に原爆が投下されて79年となる9日、長崎市で平和祈念式典が行われ、鈴木市長は平和宣言で核保有国などに向けて「核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきだ」と訴えました
一方、長崎市はことしの式典でイスラエルの駐日大使を招待しておらず、各国の駐日大使らが参加を見合わせる事態となりました。
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典には、被爆者や遺族、岸田総理大臣のほかあわせて100の国と地域の代表などおよそ2300人が参列しました。

岸田首相 被爆者の支援に取り組む考え強調
式典では、この1年間に亡くなった被爆者などの名前が書き加えられた19万8785人の原爆死没者名簿が「奉安箱」に納められました。
そして、原爆がさく裂した時刻の午前11時2分に黙とうをささげ、犠牲者を追悼しました。
長崎市の鈴木市長は平和宣言で、核戦力の増強が加速し、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や中東での武力紛争が続くことに強い危機感を示しました。
そのうえで核保有国と核の傘の下にいる国の指導者に向けて「核兵器が存在するが故に人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきだ。どんなに険しくても軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求める」と訴えました。

このあと被爆者を代表して三瀬清一朗さん(89)が「平和への誓い」を述べ、被爆から数日後、通っていた国民学校を見に行った時のことについて「目に入ったのは男女の区別もつかないほど血だらけの人や、上半身裸で傷を負った人だった。自分の学校が死体処理場に変わった光景は今でも忘れられない」と振り返りました。
そして岸田総理大臣に対し「被爆国日本こそが核廃絶を世界中の最重要課題として、真摯に向き合うことを願ってやまない」と核兵器廃絶に向け主導的な役割を果たすよう求めました。

続いて岸田総理大臣は「長崎と広島にもたらされた惨禍を決して繰り返してはならない。この信念の下『核兵器のない世界』の実現に向け、現実的かつ実践的な取り組みを着実に進めることこそが、唯一の戦争被爆国である我が国の使命だ」と述べました。
                (中 略)

「被爆体験者」代表も岸田首相との面会に初めて出席
平和祈念式典のあと、国から「被爆者」と認定されていない「被爆体験者」の団体の代表が総理大臣と初めて面会し、被爆者と認めるよう要望しました。
「被爆体験者」は爆心地から半径12キロ以内のにいながら、国が認定する地域ではなかったことから「被爆者」と認定されていない人たちで、医療費の助成などで大きな差が出ています。
長崎原爆の日には例年、「被爆者」の団体の代表者が総理大臣に要望を伝える機会が設けられていますが、ことしは初めて「被爆体験者」の団体の代表者も参加することになり、式典後に市内のホテルで面会しました。
この中で、被爆者団体と被爆体験者の団体の代表者はともに「被爆体験者」を「被爆者」として認定することや、日本が核兵器禁止条約に署名・批准し、多くの国々に条約への参加を呼びかけることなどを求める要望書を手渡しました。
続いて被爆体験者を代表して「第二次全国被爆体験者協議会」の岩永千代子会長が、原爆投下後に灰を浴びている被爆体験者の絵を紹介しながら、「私たちは被爆者ではないのでしょうか。被爆体験者も内部被ばくによる疾患にさいなまれています。私たちを被爆者と認めないのは、法の下の平等に反します」と訴えました。

これに対し岸田総理大臣は「つらい経験を話してもらい心から感謝する。被爆から80年がたとうとしていて、被爆体験者は高齢化している」と述べました。
一方で、核兵器禁止条約への署名・批准については「日本政府としては、核兵器禁止条約に参加していない核兵器国を動かすことを重視している。核兵器国を核兵器のない世界にどれだけ近づけることができるか、それが日本の責任だと思っている」と述べるにとどまりました。
                (後 略)


世界大会長崎交流フォーラム 核禁条約 国際共同行動を 核なき世界実現へ
                         しんぶん赤旗 2024年8月9日
 核兵器使用の危機に対して、核保有国と核依存国の政府を変える市民社会の運動の役割が重要になっているなか、原水爆禁止2024年世界大会長崎の交流フォーラム「核兵器禁止条約第3回締約国会議にむけて国際共同行動を!」が8日、長崎市内で開かれ、各国の市民運動のリーダーが「核兵器のない世界」に向けた取り組みを討論しました。
 米国・平和・軍縮・共通安全保障キャンペーンのジョゼフ・ガーソンさんは、米国の「瀬戸際から引き返せ」運動で国民や米議会から支持を広げていることや、核兵器禁止条約を支持する下院議員が70人に達していることなどを紹介。「核抑止」論は核戦争への凶器のシステムであることを明らかにしていきたいと語りました。
 スペイン核軍縮同盟のマリベル・エルナンデス・サンチェスさんは、国民の89%が禁止条約に参加すべきだと考えていると報告し、草の根から核兵器をなくす運動を行う決意を述べました。
 韓国・平和と統一を拓(ひら)く人々(SPARK)のイ・ギウンさんは、第3回締約国会議を、朝鮮半島の核対決の危険性を解決するために朝鮮半島平和協定締結の必要性を知らせる機会にすると述べ、支援を呼びかけました。
 原水爆禁止日本協議会の土田弥生事務局次長は、被爆80年に向けた「非核日本キャンペーン」で、被爆の実相を通じて核兵器の非人道性を広げることが「核抑止力」の打破につながると指摘し、被爆者・日本の運動の出番だと強調しました。
 核兵器廃絶に向けた日本各地の運動が報告されました。


          長崎平和宣言(長崎市ホームページより)
原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼をとじ給え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ
残された者は
無から起ち上がらねばならぬ
血みどろな生活への苦しい道と
明日をも知れぬ”原子病″の不安と
そして肉親を失った無限の悲しみが
いついつまでも尾をひいて行く

これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんが綴った詩です。
家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷跡、長い年月を経ても細胞を蝕み続け、様々な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。
それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。
被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。
ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。
福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。

原爆を作る人々よ!
今こそ ためらうことなく
手の中にある一切を放棄するのだ
そこに初めて 真の平和が生まれ
人間は人間として蘇ることが出来るの

核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きく舵を切るべきです。そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。
唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。
さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、未だ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。
想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機に晒されてしまいます。
だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。
ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。
世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。
平和をつくる人々よ!
一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。
私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧げます。
長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。
                          2024年(令和6年)8月9日
                              長崎市長  鈴木 史朗


イスラエル招待しなかった長崎市長「苦渋の決断」…6か国大使の欠席「理解求めたが平行線だった」
                             読売新聞 2024/08/08
 長崎原爆の日(9日)の平和祈念式典に、先進7か国(G7)のうち、日本を除く6か国の駐日大使が、イスラエルが招待されないために出席を見合わせることについて、長崎市の鈴木史朗市長は8日、「残念だ」とする一方、「政治的理由ではなく、式典を平穏に進めるため、苦渋の決断をした」と述べた。決定は変更しない。

 同市役所で報道陣の取材に応じた鈴木氏は「8月9日は長崎市にとって1年で一番大切な日だ。式典に支障があってはならず、影響を総合的に判断した」と強調した。
 大使らは、イスラエルが招待されない場合は「ハイレベルの参加が難しくなる」などとする書簡を同市に送付していた。市長は「書簡を受け取った後、大使や代理には私が口頭で説明して理解を求めたが、平行線だった」と明らかにし、「今回の式典に限らず、我々の真意が正しく理解してもらえるよう、粘り強く説明していく」とした。
 7月19日付の書簡は米英独仏伊とカナダの6か国と欧州連合(EU)の大使らの連名で、同市が、ロシアと同国を支援するベラルーシを招待していないことに触れ、「イスラエルを同列に置くことは誤解を招く」と懸念を表明した。一方、市は同月末、イスラエルが攻撃を続けているパレスチナ自治区ガザの状況などを踏まえ、式典で不測の事態が発生するリスクを考慮したとして、招待しないと発表していた。
 市は「式典実施への支障はない」と判断し、駐日パレスチナ常駐総代表部に招待状を送っている。1等参事官が出席する予定。
 米国大使館によると、式典を欠席するラーム・エマニュエル駐日米大使は9日、東京都内で開かれる追悼会に参列する。
               
 林官房長官は8日午前の記者会見で、「式典に誰を招待するかは、主催者の長崎市において判断されたものと考えている。各国外交団の出欠やその理由については、政府としてコメントする立場にはない」と語った。