2024年8月7日水曜日

広島で被爆79年目の平和記念式典

 米国による原爆投下の惨禍から79年を迎え広島は6日平和公園で平和記念式典が開かれました。
 この1年に死亡が確認された原爆死没者は5079人で、総数344306人となりました。広島・長崎で被爆し被爆者健康手帳を持つ人たちの平均年齢は85・6歳です
 核兵器禁止条約発効から3年が過ぎ、条約への批准は70カ国、署名は93カ国と国連加盟国の半数に迫りますが、日本は唯一の戦争被爆国でありながら、米国の核の傘を強調して加盟しようとしていません
 しんぶん赤旗の二つの記事を紹介します。「広島平和宣言2024」は広島市ホームページに拠りました。(関連して植草一秀氏のブログ「核廃絶言えない対米隷属の日本」を別掲します)
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広島 きょう被爆79
                         しんぶん赤旗 2024年8月6日
 広島は6日、米国による原爆投下の惨禍から79年を迎えます。広島市中区の平和公園では市主催の平和記念式典が開かれ、原爆投下時刻の午前8時15分に原爆死没者を追悼し、黙とうします。
 ウクライナ侵略を続けるロシアが核の威嚇を繰り返し、ガザ攻撃を激化させるイスラエルの閣僚が核使用を「選択肢」と発言するなど、世界は核兵器を巡り緊張を強いられています
 一方、核兵器禁止条約発効から3年が過ぎ、条約への批准は70カ国、署名は93カ国と国連加盟国(193)の半数に迫ります
 松井一実広島市長は昨年の平和宣言で、核抑止力論からの脱却を主張しましたが、核抑止に固執する岸田政権に同調する動きに被爆者や市民から、不安の声が上がっています。
 昨年から第2次「黒い雨」訴訟が始まりました。2021年、広島高裁判決は幅広く被爆者と認めることを国に求めました。しかし、国は「新基準」をつくり、さまざまな口実で高齢化した「黒い雨」被害者を選別、被爆者健康手帳申請を却下しています。第2次原告はこの新基準の撤回を求めています。
 広島で被爆し、この1年に死亡が確認された原爆死没者は5079人で、合わせて34万4306人となりました。広島・長崎で被爆し、被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で全国に10万6825人。前年より6824人減りました。平均年齢は85・58歳です。


主張 広島原爆投下79年 「核抑止」許さぬ被爆者の訴え
                         しんぶん赤旗 2024年8月6日
 アメリカが広島に原爆を投下してからきょうで79年です。被爆者は「ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな」「一刻も早く核兵器の廃絶を」と訴え続けてきました。ロシアのプーチン政権が核で威嚇し、各国が核戦力を強化するなか、いまこそ、被爆者の声に耳を傾け、核兵器の使用が招く究極の非人道的状況を世界に発信しなければなりません。

■核禁止条約に結実
 原水爆禁止日本協議会(原水協)顧問で物理学者の沢田昭二さんは中学2年の時に広島で被爆、爆心地から1・4キロの自宅で家の下敷きになりました。はい出したものの、梁(はり)に体を挟まれた母親を助けられないまま火が迫ってきました。「早く逃げなさい」「おまえは生き残って立派な人間になりなさい」という母親の声を背に、火事嵐のなか「お母さんごめんなさい」と言って逃げました。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局次長の児玉三智子さんは7歳で被爆しました。焼けただれた皮膚がぶら下がった人、真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱いた母親、内臓や眼球が飛び出し逃げ惑う人を見ました。父母、弟だけでなく、決断して産んだ娘をがんで亡くしました。

 被爆者が高齢化するなか被爆の実相を語り継ぎ伝え続けることが求められています。広島の基町(もとまち)高校の生徒は被爆者の話を何度も聞き資料にあたりながら絵を描きました。広島の原爆資料館に所蔵されているその絵をパネルにした展示会がいま、全国で開かれています。各地の高校で展示する試みも広がっています。
 核兵器を二度と使ってはならない。自らの尊厳をかけて声をあげた被爆者を先頭にした草の根の運動がいま、核兵器禁止条約に実っています

■「核の傘」脱却せよ
 日本政府に核禁条約への参加・署名・批准を求める意見書決議は683自治体(7月4日現在)と、全国の市町村の4割に広がっています。政府は、思想・信条を超えたこの声にこたえるべきです。
 岸田文雄首相はこれまでに「核兵器による威嚇も使用もあってはならない」「核兵器の使用がもたらす惨禍、非人道性を世界に訴えていく」「広島、長崎の惨禍は決して繰り返してはならない」などとのべています。
 ところが、岸田政権は7月28日に東京で行われた日米安全保障協議委員会(2プラス2)に合わせて、米国による「核抑止」を強化するための閣僚会合を初開催し、核戦争体制づくりの議論の継続を確認しました。広島・長崎の非人道的な惨禍の再現を前提に核で威嚇するのが「核抑止」論であり、首相の言明とまったく矛盾する行いです。
 唯一の戦争被爆国・日本は最も説得力を持って核兵器廃絶を訴えられる国です。その国の政府が核禁条約や核兵器廃絶の世界の流れに背を向け、核禁条約の締約国会議にオブザーバー参加すらせず米国言いなりを続ける姿は異常です。
 ただちに「核の傘」のくびきから脱却し、核兵器禁止条約に参加すべきです。
 ヒロシマ・ナガサキから、核兵器は絶対悪だという声を世界に発信するとともに、核に固執する日本政府を包囲していこうではありませんか。


平和宣言  (広島平和宣言2024)

皆さん、自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか。また、他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化により、罪もない多くの人々の命や日常生活が奪われています。こうした世界情勢は、国家間の疑心暗鬼をますます深め、世論において、国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考えが強まっていないでしょうか。こうした状況の中で市民社会の安全・安心を保つことができますか。不可能ではないでしょうか。

平和記念資料館を通して望む原爆死没者慰霊碑、そこで祈りを捧げる人々の視線の先にある原爆ドーム、これらを南北の軸線上に配置したここ平和記念公園は、施行から今日で75年を迎える広島平和記念都市建設法を基に、広島市民を始めとする平和を願う多くの人々によって創られ、犠牲者を慰霊し、平和を思い、語り合い、誓い合う場となっています。

戦後、我が国が平和憲法をないがしろにし、軍備の増強に注力していたとしたら、現在の平和都市広島は実現していなかったのです。この地に立てば、平和を愛する世界中の人々の公正と信義を信頼し、再び戦争の惨禍が起こることのないようにするという先人の決意を感じることができるはずです。

また、そうした決意の下でヒロシマの心を発信し続けた被爆者がいました。「私たちは、いまこそ、過去の憎しみを乗り越え、人種、国境の別なく連帯し、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させなければなりません。」これは、全身焼けただれた母親のそばで、皮膚がむけて赤身が出ている赤ん坊、内臓が破裂して地面に出ている死体…生き地獄さながらの光景を目の当たりにした当時14歳の男性の平和への願いです。

1989年、民主化に向けた市民運動の高まりによって、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しました。かつてゴルバチョフ元大統領は、「われわれには平和が必要であり、軍備競争を停止し、核の恐怖を止め、核兵器を根絶し、地域紛争の政治的解決を執拗に追求する」という決意を表明し、レーガン元大統領との対話を行うことで共に冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略兵器削減条約の締結を実現しました。このことは、為政者が断固とした決意で対話をするならば、危機的な状況を打破できることを示しています。

皆さん、混迷を極めている世界情勢をただ悲観するのではなく、こうした先人たちと同様に決意し、希望を胸に心を一つにして行動を起こしましょう。そうすれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずです。必ずできます。

争いを生み出す疑心暗鬼を消し去るために、今こそ市民社会が起こすべき行動は、他者を思いやる気持ちを持って交流し対話することで「信頼の輪」を育み、日常生活の中で実感できる「安心の輪」を、国境を越えて広めていくことです。そこで重要になるのは、音楽や美術、スポーツなどを通じた交流によって他者の経験や価値観を共有し、共感し合うことです。こうした活動を通じて「平和文化」を共有できる世界を創っていきましょう。特に次代を担う若い世代の皆さんには、広島を訪れ、この地で感じたことを心に留め、幅広い年代の人たちと「友好の輪」を創り、今自分たちにできることは何かを考え、共に行動し、「希望の輪」を広げていただきたい。広島市は、世界166か国・地域の8,400を超える平和首長会議の加盟都市と共に、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいきます。

昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。

NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議が過去2回続けて最終文書を採択できなかったことは、各国の核兵器を巡る考え方に大きな隔たりがあるという厳しい現実を突き付けています。同条約を国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石として重視する日本政府には、各国が立場を超えて建設的な対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう強いリーダーシップを発揮していただきたい。さらに、核兵器のない世界の実現に向けた現実的な取組として、まずは来年3月に開催される核兵器禁止条約の第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が85歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めます。

本日、被爆79周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、改めて被爆者の懸命な努力を受け止め、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。皆さん、希望を胸に、広島と共に明日の平和への一歩を踏み出しましょう。
                         令和6年(2024年)8月6日

                               広島市長 松井 一實