原爆展全国キャラバン隊は3日から6日まで、広島市の平和記念公園で街頭「原爆と戦争展」をおこないました。全国各地からそして世界各国から平和公園を訪れた人々が展示に足を止めて見入りました。
今回も各国の人々から沢山の感想文が寄せられましたが、日本人の感想文も末尾にまとめて掲載されました。
長周新聞の街頭「原爆と戦争展」に関する記事は今年に入って3回目になります。
全文8200文字の長文の記事ですが紹介します。
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様変わりした世界の世論反映 広島平和公園での原爆と戦争展を参観した各国市民の声 国籍越え広がる共感と連帯
長周新聞 2024年8月10日
「原爆と戦争展」パネルを参観する人々(6日、広島平和公園)
原爆展全国キャラバン隊は3日から6日まで広島市の平和記念公園(原爆の子の像横)で街頭「原爆と戦争展」をおこなった。人類史上初めての広島への原爆投下から79年目を迎えるにあたり、全国各地、世界各国から多くの人々が平和公園を訪れ、展示に足を止め見入った。長期化するロシア―ウクライナ戦争や、パレスチナ自治区ガザ地区でおこなわれているイスラエルによる民間人の大虐殺をはじめ世界的な戦争情勢が続くなか、第二次大戦下における日本での沖縄戦、本土空襲や原爆など凄惨な出来事と人々の体験、それから79年を経た現在の情勢を重ね合わせ、展示に真剣な眼差しを向けた。
参観後にアンケートに感想を記す外国人たち(6日)
原爆投下からガザまで重ねて論議
海外から広島を訪れる観光客が多数展示に足を止め、長時間掛けてパネルの英訳を読む姿が目立った。海外では、原爆の被害については概略だけ伝えられているものの、市民がどのような体験をし、どのような苦しみを味わったかはほとんど知らされていないという。広島市民の心を表現した峠三吉の詩や子どもたちの詩、被害を伝える写真を通じて原子雲の下で何が起きていたのかを知り、多くの外国人参観者が衝撃を受けていた。アメリカ人男性の一人は、涙ぐみながら展示を見たあと、スタッフに「本当にひどい。アメリカ人として、心から謝りたい」と語った。
展示では、戦争による被害の実態を体験者の証言や写真を通じてあからさまに伝えると同時に、戦前から戦中、戦後の時系列に沿って解説している。日本の軍国主義の暴走や、「リメンバー・パールハーバー」といって日本と戦争をしたアメリカが、実際には真珠湾攻撃以前から対日経済制裁を強め、日本が先に手を出すことを待ち構えていたことなども資料を使って紹介している。
パネルに掲載されている資料・スチムソン米陸軍長官「真珠湾攻撃」10日前の極秘電文と日記では、「日本との外交交渉が中断することは明らかであって、日本の作戦行動が避けることができないのであれば、アメリカは最初に明白な行動をとるべきではない」(電文)、「日本に最初の一発を発射させることにはリスクがあるが、アメリカ国民から全面的支援を得るには、日本にそれをやらせ、誰が見ても侵略者が誰なのか、少しも疑問を抱かないよう、はっきりさせることが望ましい」(日記)と記述されている。
そして展示パネルでは、米国は敗色濃厚の日本市民を都市空襲や原爆で虐殺し、戦後日本を単独占領して現在に繋がる統治体制を敷いていったことなども指摘している。
第二次大戦後、西側の国々では「原爆は戦争を早く終わらせるために必要だった」「原爆によって多くの人の命が救われた」「アメリカは救世主だった」という論調が当然のように流布されてきたが、展示を見た外国人参観者の多くはそれを誤りだとのべている。現在起きている世界的な戦争の背後で糸を引く米国の存在と、過去の日本との戦争とその後の占領・統治の構図を結びつけて考え、鋭い問題意識をアンケートに記している。以下、外国人参観者のアンケートの一部を紹介する。
▼展示は写真が多く、自分が小さい頃から習ってきた第二次世界大戦よりも衝撃的な内容だった。アメリカが原爆を落としたのは間違いだった。いかなる理由があっても、人々がこんなにも苦しむ核兵器を使うことは許されない。この活動は世界平和のために重要だ。ぜひこれからも続けてほしい。アメリカのカリフォルニアで生まれた者として、原爆の恐ろしさや、今の広島の街をこの目で見たいと思っていた。そしてこの展示に出会い、被爆者のことを知り、大きな衝撃を受けた。影響力の強い良い展示だった。また、原爆だけではなく、戦争の恐ろしさをもっと人々に見せるべきだ。そうすればその人たちも戦争に反対するはずだ。(アメリカ・40代女性)
▼原爆投下について、日本人の視点から考えることができる展示であり、とても衝撃を受けた。同じような悲劇をくり返さないためにも、より多くの人々が、片方だけではなくどちらの視点も理解することが重要だと思う。世界で今も戦争や紛争が続いているが、これらすべては複数の当事者による誤解に基づいている。為政者たちは対等な条件で合意するくらいなら、むしろ武力を使うことを好む。その結果、議論に参加できなかった無実の民間人が犠牲になってしまう。(アメリカ・26歳男性)
▼強烈だ。アメリカ人として、第二次世界大戦の出来事に対する日本の視点を知ることができて嬉しい。米国の教育制度は、敵国側から見た戦争の悲劇を説明することにもっと重点を置くべきだと思う。戦争は権力者たちがおこなう単なるゲームだ。そして一般人がその代償を払わされる。世界がより良くあるうえで、平和は必要不可欠だ。(アメリカ・21歳女性・大学生)
▼非常に重苦しい。我が国(アメリカ)がこのような残酷な行為をおこない、多くの人々を苦しめていることを悲しく思う。この展示はとても重要だ。私たちは、アメリカの原爆による破壊を決して忘れることはできない。なんの罪もない一般市民を殺すことは決して解決策ではないと思う。現在起きているウクライナ戦争やガザ戦争のなかでも、とくにガザ戦争(非道というには余りある数の民間人の殺傷)は理解しがたい。我が国の指導者たちはどうしてこれほど残酷なのだろう。指導者の家族、妻、子供たちが苦しむことはないが、その代わりに、最も弱い立場にある人々の家族が苦しむことになるし、そのことについてなんの思いやりもないと思う。(アメリカ・31歳男性・公務員)
▼初めて広島に来たが、今日(8月6日)という日に来ることができてよかった。簡単に言葉でいい表せない。また、自分がどう感じたかさえうまく言葉にできない。強烈なメッセージ性のある展示で当時の日本をさまざまな視点で描いていた。思わず立ち止まって友人たちと一緒に見たが、写真や記事は初めて見るものばかりだった。当時の日本がどれほど大変な状況にあったかがわかった。私たちがすべきことはただ一つ、二度と戦争をくり返してはならない。戦争は人々の無関心と金によって引き起こされると私は思う。説明して納得できる理由など何一つないと思う。今も戦争が続いているが、いつか誰かが、できればアメリカが、戦争というものがこの地球上で起きてはならないものだと気づくことを願っている。(イタリア・27歳男性・会社員)
▼原爆が落ちたときの写真やその後の様子など、初めて見ることができた。それらはショッキングなものであると同時に、人々の立場によって視点が違うということを知ることができて興味深かった。当時の日本の状況を想像することすらできなかった私たちだが、展示の写真と記事のおかげで想像することができた。この展示はさまざまな国で戦争の問題を抱えている人々に共有されるべきだと思う。「人間」として戦争を認めるべきではないと思う。歴史のなかで、さまざまな国がさまざまな理由で戦争をしてきたが、私が思うに、暴力で他の国を潰すことが一番簡単なやり方だったのだろうと思う。もちろん、反対に対立を解決するために戦争に参加したり、人口を減らさないために恐れていた国もあると思う。しかし、多くの場合、人々の意志とは反対に政府の方が戦争に意欲的だと思う。(ドイツ・17歳男性・学生)
▼非常に包括的で、情報や画像も豊富な展示だ。展示を見ながら怒りやフラストレーションを感じたのは私自身、興味深い出来事だった。また、これはよくいわれることではあるが、「反戦」と「平和」という言葉が使われていたことも興味深かった。また、写真や描写を見るうえで、人々の苦しみを政治的文脈で切り離すのではなく、政治的文脈で捉えることこそが重要だと思う。(イギリス・41歳女性・大学教員)
▼とても良い展示だった。ヨーロッパ(ポーランド)では、日本が唯一の敵であり、アメリカは第二次世界大戦を早期に終わらせた救世主であるという考え方しか教えられていない。すべての点と点を結びつけるためには、別の視点から物事を見ることが大切だ。私はポーランド出身なので、ロシアによるウクライナへの攻撃によって家族も含め全財産を失った人々にたくさん会ったことがある。戦争や市民への武力による抑圧は絶対に許されない。(ポーランド・33歳男性・土木技術者)
▼衝撃的だった。イギリスでは米軍や米兵による残虐行為について語られることもなければ、私自身考えたこともなかった。私たちが学校で第二次世界大戦について教わるとき、それは常に英雄についてであり、アメリカは日本の真珠湾攻撃によって戦争に巻き込まれ、アメリカがいかにしてヨーロッパを援助したかについてである。日本人の視点から、とても興味深く展示を見ることができたし、日本人がいかに平和を望んでいるかを理解した。また、正直で誠実な人をリーダーに選ぶことの重要性をよりよく理解することができた。(イギリス・40代・男性)
▼この展示はとても良い。なぜなら、第二次世界大戦中にアメリカ帝国主義が奪ったものについて、そして帝国主義そのものが多くの残虐行為と屈辱の原因であったことを指摘しているからだ。これは日本だけに限った話ではなく、全世界共通の問題だ。また、第二次大戦をめぐる解釈について、西洋の意図が必ずしも彼らが思っていたほど良いものではないことを明確にしている。世界覇権を競い合う戦いが今も続いており、ガザやウクライナでもいまだに多くの民間人が軍事攻撃の標的となって犠牲になっている。過去と何も変わっていない。それなのに彼らは西側諸国の一般市民に対しては決してそうではないといい続けている。それだけでなく、彼らは西洋の政治と世界支配のおかげで、全世界はより良い場所になったと私たちに伝えている。(ベルギー・49歳男性・教師)
最終的な悲劇招く前に 「沈黙してはならぬ」
▼たくさんの写真から私たちは多くの情報を得ることができた。私たちがいかに第二次世界大戦中に起こった残虐行為について知っていると思い込んでいたとしても、再び事実に直面するたびにそれらは常に検証されるべきである。人々がこの展示を読むことは、第二次世界大戦で何が起こったかを忘れず、再びこのような悲劇を避けるために平和を守る意識を持つ良い方法だと思う。現在、世界中で起きているいくつもの軍事的緊張は、政治経済と自己宣伝が依然として平和の妨げになっていることを示している。私たちはこれらの事象を歴史的に捉え、共有し、同じような戦争をくり返さないようにしなければならない。人間の命はどんな状況でも常に公正であるべきだ。(フランス・22歳男性・大学生)
▼展示はすばらしく、豊富な情報、詳細な内容、写真、文章は非常に説得力があった。核兵器の破壊力と戦争によって引き起こされた苦しみ、そしてそれらを私たちが協力して抑止する必要があることを深く理解した。現在もウクライナ戦争が続いているが、ソ連崩壊後、米国はNATOの東方拡大を推進し続け、ロシアがそれに反撃した。そしてウクライナはロシアからの軍事的圧力を引き出すために利用された。NATOはロシアの要求を無視するのではなく修正し、段階的に圧力をかけるべきだ。相手のニーズに配慮することができれば、この戦争は元々避けられたはずだと私は思う。このまま緊張関係が続くことで、さらなる核攻撃の危険性も否定できない。そうなると被害は広島の何万倍もの被害になるだろう。(中国・30代男性)
▼この展示は、少数の人々によって流布される誤情報が、いかにして無数の罪のない人々の不必要な死を招いているかという悲惨な事例を示している。現在続いているウクライナ戦争やガザ戦争については、過去数十年間に起きた地政学的な変化を考えると驚くことではないが、それでも、第二次世界大戦後の人類の時代が悲惨な状況にあることを示唆している。くり返される戦争を止めることができずに、何百万人もの不必要な犠牲が出ている。(ドイツ・30歳男性・企業相談役)
▼初めて平和公園に来たが、息が詰まるほどとても感動的だった。私は原子爆弾やそれによって広島が受けた被害などについてあまり詳しく知らなかった。しかし、この展示会は、原爆によってもたらされた広島の惨状や歴史について有益な情報を提供している。戦争は悪だ。帝国主義的な行動が戦争を招いていると思う。平和と健康こそが地球上に存在する人類にとってもっとも重要だ。(ドイツ・33歳男性・教師)
▼衝撃的な写真と、優れた個人的な文章でうまくまとめられている。一般市民はもっと判断力を持つべきだ。民間人の沈黙(80年前にここで起きていたことと同じ)によって、邪悪な指導者が私たちを最終的な悲劇に導くことを助けることになる。(中国・52歳男性・経営者)
渾身の思い語る被爆者 遺骨もない親兄弟
広島市内の被爆者や被爆二世市民も参観し、体験や思いを語った。
80代の女性は、5歳のときに広島市観音にある自宅で被爆したという。両親はもともとペルーの首都リマへ移民し、そこで時計屋を営んでいたが、日米開戦するという話が広がり始め「ここにいたら日本人は殺されてしまう」という話になり、船に乗り込んで日本へ帰ったという。女性は「船で帰国途中、太平洋のど真ん中で日米開戦を迎えた。その翌日、父は船長から“現地に残っていた日本人はみな殺された”と船の中で聞かされたそうだ」と話した。その後、広島市中広で父と母、3人の兄と1人の妹とともに家族7人で生活していたが、女性が五歳のときに原爆が投下された。当時のことについて女性は以下のように語った。
3人の兄は学徒動員で作業に出ており、一人は即死し、一番下の兄は大やけどを負い両手の皮膚がボロぞうきんのように垂れ下がった状態で家に帰ってきたが、8日目に息を引きとった。
一番上の兄は遺骨すらも見つかっていない。私は自宅で被爆し、家の下敷きになって身動きがとれなくなってしまった。そのとき、瓦礫の隙間から外を見ると、上空に巨大な原子雲が広がっており、その恐ろしい光景は今でも脳裏に焼き付いている。
しばらくして、父が仕事場から帰ってきて私の名前を呼ぶので「ここだ」と叫んだが、声だけでは場所がわからず、父から「体を動かせるなら動かしなさい」といわれて必死に天井を押した。すると屋根の瓦が少し動いたらしく、そこから父が助け出してくれた。
翌日には、焼けていない瓦礫を集めて中広の河原にバラック小屋を建てて家族で生活した。私は大きなやかんで川に水を汲みに行ったが、川岸には亡くなった人がたくさん浮いていたり、岸に打ち上げられていた。まだ息がある人もおり、「水をくれ」「水がほしい」と頼まれたが、そのことを母にいうと、一人にあげるとみんなにあげないといけなくなるからやってはいけないといわれた。そうした人たちもだんだん衰弱し、一週間後にはみんな死んでいた。河原にたくさんの死体が転がった光景やそのときのむなしさは、今も忘れることができない――。
女性は最後に「戦争は嫌。とにかく平和が大事。今世界中のあちこちで戦争が起きているが、ニュースで爆撃の映像や、傷を負った人々の映像が流れると、恐ろしくて見ることができずチャンネルを変える。それでも苦しんでいる人のことを思うと、他人事とは思えず、今すぐにでもいってボランティアでもして助けてあげたい気持ちになる。私は放射能の影響などはあまり感じずに生きてきたが、2000年に突然目の前が真っ暗になって倒れた。検査をすると血糖値が600(正常値は70~109)まで上がっていて、それから約一年間入院していた。家族には誰も糖尿病はおらず、原爆による影響もあるのだと思う。家の下敷きになったときに腰の骨も潰れてしまい、歩くのに不自由するが、8月6日には必ず平和公園に来ている。二度と戦争はくり返してはならないという思いを、若い人たちに受け継いでほしい」と話していた。
被爆二世の女性は「父が16歳のときに、学徒動員で舟入の工場で働いているときに被爆した。父の妹は当時14歳で爆心地から約500㍍の平和大通り沿いの建物疎開をしているときに被爆し、父が探しに行ったが遺骨の一つも見つからなかったそうだ。また、父の母は爆心地から1・5㌔の観音にある自宅で被爆し、崩れた家の下敷きになったまま焼かれたそうだ。ただ、私が父から聞いた被爆体験はそれだけで、あとはまったく語ろうとしなかった。毎年テレビで原爆の特集が組まれて体験者が語っているところを見ながら、父は“よく喋られるのう。わしは思い出すからよう喋らん”と話していた。家族にも話せないほど辛い体験とはどれほどのものなのかと想像することしかできないが、今日のように暑い日に日光の下にいると、条件反射のように父をはじめ原子雲の下にいた人たちのことを思い“どれほど熱かっただろう”と考えてしまう」と話していた。
参観した広島市民の間では、資料館の展示内容がどんどん薄まっていると指摘する意見も多かった。外国人に被爆遺構や慰霊碑などを案内しているボランティアガイドの女性は、展示の写真を見ながら「資料館の来場者が過去最多というが、展示内容は年々薄まっていると思う。原爆のデータや放射能の恐ろしさなどは伝えるが、市民一人一人がどんなに辛く苦しい体験をしたのかが、まったく伝わらない。やけどの写真や無残に亡くなった人の写真もかなり減らされてしまった。広島市民として、海外の人に伝えたいことが資料館にはないので、私はこの展示を勧めたい」と話していた。
反省のない戦後の欺瞞 若者たちの鋭い意見
全国各地から広島を訪れた若い世代も、展示を長時間見てアンケートに感想を記した。
▼アメリカをはじめとした西側の国々が戦争を避けたかった日本に禁輸をし、戦争へと進めさせた。平和を謳いながら、常任理事国は戦争をいまだに止めようとしない。「今だけ、金だけ、自分だけ」の思想を持った国が、世界の平和を騙(かた)るのではなく、日本が世界の先頭に立って調和への道へと進むべきだ。今まで学校の授業のなかで第二次大戦の知識や原爆の惨さは知っているつもりだったが、GHQ、アメリカの戦後の対応など、今まで見てこなかった目線を昔の人が伝えてくれているこの展示を見て驚いた。そして今まで以上に戦争という究極の消費活動は誰も幸せにならないと感じた。(25歳男性・会社員)
▼私は戦争はあってはならないと思いつつも、知識が少なく、もっと勉強したいと思い今回広島に来た。展示を見ることで、過去の戦争の悲惨な現実を知ることができた。すべては読めなかったので、写真を撮り、家でじっくり学びたい。とても残酷な写真や体験談が多く、目を背けたくなるが、今の若者がしっかり学び忘れてはならないと思う。昔の人々は、人間のように扱われていなかったことを改めて知った。二度とこのようなことが起きないよう、活動に参加したり、勉強を続けたいと思った。(26歳女性・薬剤師)
▼学校で習う歴史には、日本目線で書かれているものが多く、実際に日本が世界に何をしたのか、当時の世界情勢について書かれているものが非常に少ないということをこの歳になって実感した。この展示では、戦前から戦後にかけてリアルな国民の反応を知ることができてとても興味深かった。当時の人々は政府に不満を持っている人も多くいた様子が見受けられ「敗戦した途端、国が平和主義ぶった」という表現が印象的だった。(20代女性)
▼罪のない子どもたちが苦しみもだえ死んでいく。戦争に参加した帰還兵、被爆者は戦後差別される。それなのに戦争を指揮した天皇は、マッカーサーと平然と並んでいて、戦争責任をとらなかった。彼の名の下でおこなわれたあらゆるものがムダだった。この展示がすばらしいのは、日本の加害・被害、そしてアメリカの欺瞞を余すところなく展示している所だ。外国の観光客にも平和の願いが伝わると思う。(23歳男性・大学生)