2013年3月2日土曜日

3.1 ビキニ・デー ビキニの被曝から59年


1954年、アメリカがビキニ環礁(マーシャル諸島)で水爆実験を行い、そこで漁をしていた第五福竜丸の船上で「死の灰」を浴びた久保山愛吉さんが、半年後に亡くなりました。広島・長崎に続く3度目の被爆でした。
その後31日は「ビキニ・デー」と呼ばれ、久保山さんを悼み、核兵器の非人間性を思い起こし、核廃絶への決意を新たにする日となりました。 

59年目の今年、静岡市や焼津市で27日から関連の諸行事が行われました。 
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焼津でビキニデー集会 核廃絶実現に決意
 東京新聞 201331

 米国がビキニ環礁で行った水爆実験で遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくして59年の1日、「3・1ビキニデー集会」が静岡県焼津市文化センターで開かれ、参加者約1700人(主催者発表)は、核廃絶の実現に向けて取り組む決意を新たにした。

 水爆実験で被害に遭った島国、マーシャル諸島の国会議員ケネス・ケディさんが講演。放射性物質「死の灰」を浴び、いまだに帰島が進まないロンゲラップ島の状況を説明し「核実験が起こる前の島に戻してほしい」と訴えた。
                 1029日付「水爆実験から58年 マーシャルの人々はいま・・・」
                        http://yuzawaheiwa.blogspot.jp/2012/10/blog-post_7684.html 
集会は核廃絶や非核三原則の堅持を求めるアピールを採択し閉幕した。(共同)
 
 

ビキニデー:平和行進が静岡県焼津市で行われる
毎日新聞 20130301日 

 1954年、ビキニ環礁の水爆実験で焼津港所属の漁船「第五福竜丸」が被ばくしたビキニデーの1日、「死の灰」を浴びて亡くなった久保山愛吉さん(当時40歳)を追悼する平和行進が静岡県焼津市で行われた。実験のあったマーシャル諸島のケネス・ケディ上院議員も参加。福島第1原発事故の現状に「放射能で全島民が避難したロンゲラップ島と同じ。故郷を奪われた人々の悲しみや不安は計り知れない」と核の恐ろしさを訴えた。 

 水爆実験では約200キロ離れたロンゲラップ島にも死の灰が降り注ぎ、多くの島民が被ばくし、別の島への避難を余儀なくされた。元島民のケディ上院議員によると、米政府は除染が終わったとして帰島を促しているが、59年後の今も島民は「本当に安全かどうか」と不安を抱き一人も帰っていないという。 

 行進では約1300人が一輪のバラを手に「核のない世界」をアピール。福島県郡山市から初参加した病院事務職員、小幡拓也さん(29)は「原発事故の後、たとえ放射線の線量が低くても不安は消えない。放射能におびえないで住める世の中にしたい」と話した。

 焼津市によると第五福竜丸の元乗組員は、吉田勝雄さんが22183歳で亡くなるなど、23人のうち16人が死亡し生存者は7人となっている。【荒木涼子】
 

3・1ビキニデー 核兵器禁止条約迫ろう 
原水協が国際交流フォーラム
しんぶん赤旗 2013228

 核兵器廃絶にむけた行動を開始する「2013年3・1ビキニデー」の諸行事が27日、静岡市内で始まりました。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が主催する「国際交流フォーラム」では、海外代表と日本の草の根運動の代表が「核兵器のない世界、非核平和のアジア太平洋へ 憲法9条と非核三原則を輝かせよう」をテーマに報告し、全国から参加した人たちの会場発言が相次ぎました。

 ことしのビキニデーは、2015年の次回核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけて、核兵器禁止条約の交渉開始を核保有国をはじめとした各国に迫る全国的な行動の出発点となります。

 アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソンさんは、核軍縮にむけた市民社会の役割に期待する潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の演説を紹介し、人々の力を築くために全力をあげましょう、と呼びかけました。

 グアム平和正義連合のキャマリン・キツグアさんは、米軍の軍備増強のすさまじさを告発。韓国・「平和共感」研究委員の李俊揆(イ・ジュンキュ)さんは、東アジアで平和秩序を構築するには、日本が平和憲法の理念と精神を生かすことが必要だと訴えました。

 日本原水協代表理事の高草木博さんは、核保有国に対して核兵器全面禁止の決断を迫ることが必要であり、日本の運動は率先して行動することが求められていると語りました。