20日付の東京新聞に「茶色に染まり始めた朝」と題された短いエッセー風の文章が載りました。
「茶色」はカギ十字の色、ナチスドイツを表します。ナチス党が生まれてから90数年、ナチスドイツが消滅してから既に70年弱を経過した今日、この日本に何やらナチスの台頭を連想させるものが・・・という著者の思いが書かせたものと思われます。
よく知られている様にナチス党が台頭した時期には共産党も躍進しました。発足10年後の1930年の総選挙でナチス党が第2党に躍進したとき共産党は第3党でした。それで財界は共産党を抑えるためにナチス党に献金し応援しましたが、ナチス党は勢力を拡大する過程で人民寄りの姿勢も見せたので、一時は財界からの献金がなくなって財政的に困窮したりもしました。
32年、ついにナチス党は第1党になり翌年1月にヒットラーが首相になると、その3日後に国会を解散させました。そして選挙期間中に国会放火事件が起きると、それを口実に3,000人以上とも4,000人以上ともいわれる共産党幹部を逮捕・拘束しました。
選挙後にはただちに「全権委任法」を、これは憲法に規定のないものであったために成立には議員の2/3以上の出席で2/3以上の賛成を要しましたが、反対議員は拘束し欠席議員も出席とみなす(特例法)という暴挙のもとに成立させました。
またナチス党以外の全ての政党は解散させ、軍隊と警察を掌握し秘密警察(ゲシュタポ)を創設して完全な独裁体制作り上げましたが、それは首相就任後僅か2年のうちでした。
そしてヒットラーが首相になってから数カ月しかたたないうち、国民には「当局に反対しただけで警察の追求を受ける」という認識が広まり、「今更じたばたしても無駄である」という感情に包まれたといわれます。また恐怖体制の中ではナチスはみせしめのために左右両派の人物を攻撃するだけで良く、人々を威嚇する必要はなかったいうことです。
当時の大統領や前首相はヒットラーのことを「ボヘミアの伍長」とか「ペンキ屋風情」と見下して、首相につけてもすぐに挫折すると見做していました。
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ナチスの台頭を許したものは「事なかれ主義」。
インテリの無力と評する人もいます。
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茶色に染まり始めた朝
【私説・論説室から】 東京新聞 2013年3月20日
「事なかれ主義」がファシズム台頭を許すと警鐘を鳴らし、フランスでベストセラー、多くの国でも翻訳された短編寓話(ぐうわ)『茶色の朝』。作者のフランク・パブロフ氏を仏グルノーブル市の自宅に訪ねたのは、邦訳が出版された九年前のこと。欧州で移民排斥など右傾化の嵐が吹き荒れ、日本も教科書検定問題など息苦しさが漂う時期だった。
“茶色”とはナチスの象徴の色だ。あらすじはこうだった。
ある日、毛が茶色以外のペットは法律で禁止された。これを批判した新聞が廃刊となり、本や服装、政党名に茶色が強制されていく。しかし、不自由のない日々だからと声を上げないでいると、過去に茶色以外のペットを飼った者まで逮捕される法律ができ、主人公に危険が迫る・・・。
パブロフ氏は諭すように解説してくれた。民主主義を花瓶に例えて「少しだけ欠けたのをほっておくと、ひびはだんだん大きくなる。まあいいかと思っていると、いつの間にか割れてしまう」。毎朝起きたら注意を払い、時には行動しないと守れないものだ、と。
そう、夏の参院選まではタカ派色を隠し、「国のかたち」を変えにかかるのは選挙後だろうと油断していると・・・。武器輸出三原則は例外の積み重ねですでに骨抜きに。集団的自衛権行使を模索する動きも、自衛隊の国防軍への改編や交戦権を認める新憲法づくりも、この国ではもう相当に前のめりなのだ。 (久原穏)