22日の各紙は福島原発停電事故を問題視して、東電の体質が変わっていない、事故の教訓が生かされていない、東電に切迫感がない、事故を迅速に公表する姿勢がない、事故は収束していない等々と批判する社説を掲げました。これまでは東電を批判しなかった朝日新聞や毎日新聞も同様な社説を掲げました。
東京新聞は東電幹部が「事故」と言わず「事象」と呼び、「原子力の世界では放射性物質の影響が出なければ事故ではない」と言い張ったことを、住民の心情への思いがないと批判しました。
東電は事故対応でいつも「何処が悪い」という態度を見せて批判されますが、それは大量の官僚の受け皿(天下り先)であったことに加えて、事故後も大手のメディアが決して批判がましいことを言わないで来たことにも拠っていると思われます。
しんぶん赤旗は、問題の配電盤が2年前の事故直後から屋外に置かれたトラックの荷台に仮設されたままで、バックアップも持っていなかったことに驚き、炉心が破壊した1~3号機には高放射線量でいまだに近づくこともできない実態は、「収束」とは程遠いとしています。
福島原発は東電の説明では日量48億ベクレル(実際はその5倍くらいでは、という人もいます)を空中に放出しているということですが、最近、東京海洋大学が、海への放出がなくなったとされる2011年6月以降も 計算上1日80億~930億ベクレルのセシウム137が放出されていることになる※と公表しました。
※ 原発専用港の海水は、海流や潮の満ち干で1日に44%が入れ替わると推定され、セシウム137が公表されている濃度になるにはそれだけの流入がある筈と
いずれにしても収束とはほど遠い状況です。
以下に新潟日報の記事を紹介します。
なお22日付の福島原発停電に関する社説は、新潟日報・朝日・毎日・東京・赤旗に加え下記の地方紙などが載せています。
福島原発停電 東電の変わらない体質 南日本新聞 3月22日
福島第1原発停電 事故の教訓を忘れたのか 徳島新聞 3月22日
福島原発停電 東電対応に切迫感がない 神戸新聞 3月22日
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【社説】 福島原発停電 電源対策の甘さ露呈した
新潟日報 2013年3月22日
東京電力の電源対策への甘さがあらためて露呈したといえる。
福島第1原発で停電があり、1、3、4号機の使用済み核燃料プールといった重要設備の冷却が最大29時間停止した。
複数の冷却システムがこれほど長時間にわたって停止したのは、事故後初めてのことである。
使用済み燃料プールの冷却をめぐっては、昨年も4号機の装置が自動停止するなどトラブルが絶えない。
過酷事故から2年が過ぎたというのに、原発がいまだに不安定な状況にあるということだろう。
東電が各配電盤を調べた結果、3、4号機の冷却システムに接続されている屋外の仮設配電盤内部で、焦げ跡とネズミとみられる小動物の死骸が見つかった。
配電盤に小動物が接触してショートし、停電の原因になった可能性があるという。
この配電盤は事故から2カ月後の2011年5月から使用している。
問題はケーブルを引き込むための隙間などから小動物が入り込む恐れがあったのに、十分な対策を講じていなかったことだ。
原子炉の冷却と異なり、バックアップの電源もなかったのである。さらに今回は、電源多重化工事のために、本来別系統の1号機電源と連結していたことが影響を広げた。
冷却機能が失われれば、燃料の温度は上がり続け、再び深刻な事態を引き起こしかねない。
東電はバックアップがない理由について、プール内の燃料は冷えており、危機的状況になるまで時間的な余裕があることを挙げている。
確かに、管理温度上限の65度に達するには4~26日程度要するといわれる。だが、約4日と短い4号機は燃料体が1533体あり、発熱量も他に比べて高い。
原発事故は東日本大震災に伴う電源の喪失で冷却ができなくなり、炉心溶融につながったのである。
背景にあったのは「安全神話」を過信して、万が一への対策を怠っていたことだ。
それがどれほどの被害を今なお、もたらしているか。東電は現実を直視すべきだろう。
公表の遅れも見過ごすわけにはいかない。原子力規制庁が最初に発表したのは停電から約3時間後、東電はさらにその後である。
福島県や協定を結ぶ原発周辺の12市町村に連絡したのは約40分後とはいえ、こうした姿勢では住民らの不信や不安が募るばかりだ。帰還の動きにも影響を与えよう。
事故時をはじめ、東電の情報開示への姿勢は度々問題視されてきた。時間的余裕が今回も同様の対応をさせたとしたら、緊迫感が足りないと言わざるを得ない。
福島第1原発では汚染水が1日数百トンも増え続けており、保管は限界に近づきつつある。放射線量はいまだに高く、廃炉への道のりは不透明と言っていい。
求められるのは原発事故の収束であり、安定だ。東電と国にはそのことを強く胸に刻んでもらいたい。