2017年5月16日火曜日

27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 

 戦時下の治安維持法による言論弾圧事件を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」がいま、各地で上映され戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいるということです
 
 横浜事件は、1942年、総合雑誌『改造』に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が、ソ連を賛美し政府のアジア政策を批判するものだなどとして細川が逮捕され、取調べの過程でたまたま富山県朝日町の旅館紋左から出てきた編集者や文人たちの集合写真が共産党再結成の謀議証拠写真と誤認されて、芋づる式に60人あまりが逮捕され、特高の拷問で4名が獄死し30人が有罪とされた事件です。
 
 上映会を企画した毛利正道弁護士は「治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していたが、実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された。歴史的教訓としなければならない」と語っています
 
      (関係記事)
4月26日 共謀罪法案 横浜事件の弁護団らが反対を訴える
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27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 
「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」
東京新聞  2017年5月15日 
 戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる。(伊東浩一)
 
 三月下旬、長野県岡谷市で開かれた上映会。
 スクリーンの中で、生前の木村さんが問い掛ける。「『おまえたち、ここで殺していいんだぞ。天皇陛下の命令だ』と(警察官が)堂々と言う。まさに殺されそうだった。こんなむちゃくちゃな時代を想像できますか」
 雑誌「中央公論」の編集者だった木村さんは四二年、朝日町出身の国際政治学者、細川嘉六らと新潟県境の親不知(おやしらず)海岸を観光し、同町の旅館「紋左(もんざ)」に宿泊。だが、警察はこの集まりを共産党再建を準備する目的だったと決め付けた。治安維持法違反容疑で木村さんら編集者、研究者ら六十人以上を芋づる式に逮捕し、拷問で四人が獄死。木村さんは丸太の上で正座させられ、さらに警察官が膝の上に乗るといった拷問を受け、うその自白をした。
 
 映画製作では、朝日町で木村さんらを接待した芸者、横浜拘置所の看守らにも取材。証拠がない中、事件がつくり上げられた実態を浮き彫りにする。「情けないことに、あの侵略戦争に屈し、拷問に屈したが、もうこれ以上は許せない」。木村さんが再審請求で冤罪(えんざい)を勝ち取ることを誓い、涙ぐむ場面で映画は終わる。
 
 上映会を企画した毛利正道弁護士は「大きな衝撃を受けた。今、政府は共謀罪(組織犯罪処罰法改正案)の成立を目指しているが、治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された。歴史的教訓としなければならない」と語る。
 
 <横浜事件> 1942年、細川嘉六(1888~1962)が雑誌「改造」の掲載論文を「共産党の宣伝」と批判され、警視庁に治安維持法違反容疑で逮捕された。その後、神奈川県警特別高等課(特高)が押収した紋左の写真をもとに、細川らが共産党再建準備会を開いたとして、同容疑などで言論、出版関係者ら60人以上を投獄。拷問で4人獄死、30人余りが起訴される戦時下最大の言論弾圧事件となった。2010年2月、元被告5人の刑事補償を巡る横浜地裁決定は「共産党再建準備会の事実を認定する証拠はない」とし、「実質無罪」と認められた。