安倍首相が憲法記念日に、現行の日本国憲法9条の1項、2項をそのままに、3項に自衛隊の存在を書き込むという新憲法改正提案を打ち出しましたが、それは全く不要なことで、自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります。
この提案について憲法学者で首都大学東京教授の木村草太氏は、
「9条は自衛権行使も含め、あらゆる武力行使を禁じる文言に見えが、憲法13条によって政府には国民の生命・自由を保護する義務があるので、そのための必要最小限度の武力行使と実力(自衛隊)の保有は、憲法9条の文言の例外として許容される、と政府はこれまで解釈してきた。
政府が集団的自衛権を認めているなかで自衛隊を明記すれば、自衛隊の戦力と戦闘行為に歯止めがかからなくなるので、到底国民の理解は得られない。それを20年までに実現するというのは幻想的な目標である(要旨)」
と述べています。
また、弁護士で関西学院大学教授の宮武嶺氏はブログ「Everyone says I love you !」で、
「9条1、2項の戦力の不保持はそのままに自衛隊を次の項に書き込むというのは法論理的には矛盾。これまで自衛隊は違憲としか言いようがない憲法9条があるからこそ、防衛予算の拡大や自衛隊の海外派兵に歯止めがかかってきたのに、自衛隊を明記すれば歯止めが失われてしまう。現に自衛隊は存在しているのだから、わざわざ憲法9条に3項を設けて自衛隊を書き込む意味はない。敢えて自衛隊を明記するのは、軍拡化への歯止めをなくし、海外派兵で米軍に協力することをより容易にし、徴兵制的な制度も導入しやすくするのが真の目的。
かつて現状を追認するだけとして制定された ”国旗国歌法” によって国旗掲揚時の起立や国歌の起立斉唱が強制されて、良心的な教師たちがどれほど弾圧されることになったのかを見れば良くわかる(要旨)」
かつて現状を追認するだけとして制定された ”国旗国歌法” によって国旗掲揚時の起立や国歌の起立斉唱が強制されて、良心的な教師たちがどれほど弾圧されることになったのかを見れば良くわかる(要旨)」
と述べています。
国旗国歌問題では、裁判所(最高裁)は過酷な処罰こそ禁止したものの、法律そのものは憲法に違反しないとしました。この問題でも裁判所は頼りにはなりませんでした。
木村草太氏と宮武嶺氏の論文を紹介します。
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木村草太の憲法の新手(55)安倍首相の改憲表明 20年施行は幻想的目標
沖縄タイムス 2017年5月7日
木村 草太(きむら そうた) 憲法学者/首都大学東京教授
1980年横浜市生まれ。2003年東京大学法学部卒業し、同年から同大学法学政治学研究科助手。2006年首都大学東京准教授、16年から教授。法科大学院の講義をまとめた「憲法の急所」(羽鳥書店)は「東京大学生協で最も売れている本」「全法科大学院生必読書」と話題となった。主な著書に「憲法の創造力」(NHK出版新書)「テレビが伝えない憲法の話」(PHP新書)「未完の憲法」(奥平康弘氏と共著、潮出版社)など。
ツイッターは@SotaKimura
5月3日の憲法記念日、安倍晋三自民党総裁は、都内の改憲派集会にビデオメッセージを寄せた。「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」とし、憲法9条1項、2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記する改憲を議論するという。これを憲法学的に検討してみよう。
まず、政府は、憲法9条と自衛隊についておおむね次のように解釈してきた。憲法9条は、自衛権行使も含め、あらゆる武力行使を禁じる文言に見える。しかし同時に、政府は国民の生命・自由を保護する義務を負っている(憲法13条)。したがって、そのための必要最小限度の武力行使と実力の保有は、憲法9条の文言の例外として許容される。
安倍総裁の提案は、こうした政府解釈を明記する憲法文言の変更であり、内容は現状維持だと言う。もっとも、自衛隊明記の改憲発議といっても、2種類の方法が考えられ、それぞれ意味が異なることに注意が必要だ。
第一は、自衛隊の任務を個別的自衛権の行使に限定し、集団的自衛権の行使を認めない改憲発議だ。
これは、2014年の閣議決定前、すなわち、集団的自衛権を限定容認する以前の政府解釈を明文化するものとなる。この解釈は、国民にも広く支持されており、ある程度、可決の可能性もあろう。
しかし、これが国民投票で可決されれば、集団的自衛権の行使を限定的にとはいえ容認した、15年安保法の違憲性が明白になってしまう。これは、現在の与党には受け入れ難い改憲であり、そんな発議はしないだろう。
第二は、集団的自衛権まで含めた改憲発議だ。これが可決されれば、15年安保法制に対する違憲の疑念は払しょくできる。
ただ、そもそも15年安保法制の言う「限定的な集団的自衛権」とは何なのかは、いまだに曖昧模糊(もこ)としている。それを適切に憲法の条文として定めることは、ほぼ不可能だろう。
かといって、もしも適切に限定しないままに集団的自衛権を認める文言にすれば、集団的自衛権行使に憲法上の歯止めがなくなる。これには、世論の反対があまりにも根強く、可決は困難だろう。この提案が否決されれば、安保法制が国民投票で否定されたことになる。そうなると、政府・与党にとっては大打撃であり、こちらの改憲発議も、極めて難しい。
さらに、改憲発議には与党の議席だけでは足りず、少なくとも維新の会の賛成が必要だ。しかし、維新の会は、集団的自衛権の行使容認について、日本の防衛活動を行う米軍等防護の範囲に止めるべきとしている。ホルムズ海峡等での軍事作戦にまで自衛隊の活動範囲を広げる与党とは考え方が違う。維新の会まで含めた合意形成には、かなりの時間がかかるだろう。20年までに改憲というのは、ほとんど幻想のようなスケジュール設定だ。
こうしてみると、安倍総裁の提案は、政府・与党の立場から考えても極めて困難だ。深い考えがあっての発言には見えない。憲法改正は、国民の熱望があってこそ実現するものだ。自民党が改憲を本気で望むなら、徹底的に国民の声に耳を傾けるべきだ。 (首都大学東京教授、憲法学者)
憲法9条に自衛隊を書き込むのはこれだけ危険だ。
国旗国歌法の教訓を思い出せ。
Everyone says I love you ! 2017年05月07日
安倍首相が、2017年5月の憲法記念日に、現行の日本国憲法9条の1項2項をそのままに、3項に自衛隊の存在を書き込むという新憲法改正提案を打ち出しました。
第二章 戦争の放棄
第九条 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
自衛隊は9条2項の戦力に当たりますから、違憲であるというのが憲法学会の多数説です。したがって、これまでの自民党の改憲案は、2項を改悪して、自衛軍や国防軍を創設するという内容になっていました。
ところが、安倍首相は公明党の加憲に配慮したのか、戦力の不保持はそのままに自衛隊を次の項に書き込むというのです。これは法論理的には矛盾です。
素直に読めば自衛隊は違憲としか言いようがない憲法9条があるからこそ、防衛予算の拡大や自衛隊の海外派兵に歯止めがかかってきたのに、それが突破されてしまいます。
また、現に自衛隊は存在するのだから憲法に書いても問題ないという考え方もあるでしょうが、憲法9条があっても自衛隊は存在しているのですから、むしろ今わざわざ憲法9条に3項を設けて自衛隊を書き込む意味がありません。
いや、改憲する側には書き込む意味があるのです。
小渕内閣の時に、国旗国歌法が制定されました。
当時も君が代日の丸は国旗国歌として扱われていたので、国旗国歌法を制定するのは現状を追認するだけだと説明されました。
現に、国旗国歌法の条文はこれだけです。
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
国会の審議では、小渕総理はじめ各大臣が、
「現状を追認するだけだ。国旗国歌が強制されることはない。教育現場に影響はない」
と言い続けました。
しかし、現実にはこの法律ができただけで、教育現場では日の丸掲揚君が代斉唱が強制され、これに従わない教職員は処分されるようになりました。
これは思想良心の自由、表現の自由、教育の自由を侵害するものです。
もし自衛隊が憲法に書き込まれれば、これまで憲法9条が果たしてきた日本の軍拡化への歯止めは全くなくなります。自衛隊が海外派兵されて米軍に協力することもより容易になるでしょう。
憲法上の存在ですから、大手を振って内外で「活躍」することになるのです。安保法案が審議された時のような慎重な議論はもうできなくなります。
それどころか、憲法上の存在である自衛隊を維持する必要があるとして、徴兵制的な制度も導入しやすくなるでしょう。
憲法に自衛隊が書かれていないことに、立憲主義的な意味が積極的にあるのです。
笑顔の改憲論というべき、今回の憲法改正新提案は非常に危険です。私はもちろん絶対反対です。
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手を変え品を変えして改憲アドバルーンをあげてきましたが、今回のが本命でしょう。