2017年5月16日火曜日

沖縄本土復帰45年 今なお遠い憲法

 ひめゆりの塔の悲劇など、終戦の直前に米軍の上陸侵攻を受けて住民に多大な犠牲者を出した沖縄は、終戦後も米軍の占領下に置かれ屈辱と忍従の生活を強いられました。その間は日本国憲法の庇護を受けることもありませんでした。
 その沖縄が米軍の占領下を脱して日本に復帰できたのは実に終戦から27年が経過した1972年の5月15日でした。
 15日、本土に復帰してから45年目を迎えました。
 東京新聞、しんぶん赤旗の記事と、琉球新報の県民大会宣言(要旨)を紹介します。
 
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沖縄本土復帰45年 今なお遠い憲法 安保優位、続く米軍特権
東京新聞 2017年5月15日
 沖縄県が一九七二年に本土復帰してから十五日で四十五年。復帰を願った県民の希望は、沖縄が本土と対等に日本国憲法に守られる存在になることだった。だが、沖縄は七十年前の憲法制定・施行時も、復帰を待つ間も、そして復帰後も、憲法から遠く離れた位置に置かれ続けている。(村上一樹)
 
 「政府は(沖縄)県民の代表が帝国議会において失われんとするに当たりまして、あらゆる手段を尽くし、これを防ぎ止めねばならぬ」
 終戦直後の四五年十二月の帝国議会。沖縄県選出の漢那憲和(かんなけんわ)氏は衆院の委員会で訴えた。米軍占領下となった沖縄県の人たちの選挙権が停止されようとしていたからだ。漢那氏の願いは届かず、沖縄の代表が不在となった四六年、現憲法を審議した「制憲議会」が開かれた。
 仲地博・沖縄大学長(憲法、行政法)は当時の状況を「沖縄の声を聞くという姿勢は全くなかった。トカゲのしっぽ切りのように国のために処分されていい地域だった」と話す。
 
 憲法の施行から二十五年間、憲法がなかった沖縄では県民の生命や生活が侵され、言論や表現の自由も制限された。県民は米軍統治に抵抗し、本土復帰運動を起こした。仲地氏は「憲法が示す普遍的な価値が、沖縄では侵害されていた。その回復を求める運動に憲法は最も優良な武器だった」と指摘する。
 
 一方、本土では沖縄が復帰を求めている間も五四年の自衛隊発足、六〇年の日米安全保障条約改定と日米の軍事同盟関係が整備・強化された。「合憲」とする政府解釈のもと、平和主義と戦力不保持をうたう九条の精神はないがしろにされていった。
 小林武・沖縄大客員教授(憲法、地方自治法)は県民の思いについて「日本政府が憲法を変えたいと思っていたことも、当然知っていた」と語る。それでも復帰を望んだのは「普遍的な価値を持つ憲法は、沖縄でこそ真の姿を取り戻せるという確信(があった)」と分析する。
 
 現実は厳しかった。復帰後の沖縄は、名護市辺野古(へのこ)の新基地建設が進むなど国内の米軍基地負担の大半を担わされ、駐留米軍による事件・事故も続いている。小林氏は「安保条約を沖縄も適用することで、占領下の米軍の特権、地位を引き継いだ。憲法が適用されても安保と二元的な法体系、より実体的には、憲法は安保の下にある」と語る。
 
■漢那憲和氏の発言
(1945年12月・第89回帝国議会) 帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛恨事であります。
(中略)
 このたびの戦争において沖縄県の払いました犠牲は、その質においておそらく全国第一ではありますまいか。この県民の忠誠に対して、政府は県民の代表が帝国議会において失われんとするに当たりまして、あらゆる手段を尽くし、これを防ぎ止めねばならぬと存じます。
 
 
県民の尊厳どこに きょう沖縄復帰45年 やまぬ米軍機事故 709件
しんぶん赤旗 2017年5月15日
 1972年に沖縄が本土に復帰してから今日で45年となりました。戦後27年間にわたり米軍の占領支配が継続。復帰後も全国の米軍専用基地の7割が集中し、基地あるがゆえの被害で県民の人権や尊厳が踏みにじられ続けています。
 
 沖縄県によると、米軍機関連の事故は、本土復帰から2016年末までに709件発生。墜落事故は47件で、年間1件以上発生していることになります。
 昨年12月13日には米軍普天間基地の垂直離着陸機MV22オスプレイが名護市安部の浅瀬で大破。日米両政府は「不時着水」だと弁明しますが、沖縄県は「墜落」と断定しました。同年9月22日には米空軍嘉手納基地から飛び立った海兵隊のAV8ハリアー戦闘攻撃機が本島北部の東約150キロの海上に墜落しました。
 沖縄県警などの資料によると、米軍人や軍属等による刑法犯罪は今年3月末までに、5929件発生。うち殺人や強盗、強(ごう)姦(かん)などの凶悪犯が578件です。昨年4月には、うるま市で元海兵隊員の軍属による女性暴行殺害事件が発生しました。米軍関係者による民間人殺人は復帰後、12件発生しています。
 うるま市の事件を受け、今年1月、日米両政府は日米地位協定で保護される軍属の範囲を「明確化」する補足協定を締結しました。しかし、大半の軍属には引き続き、「公務中」の犯罪は米側が第1次裁判権を有するなど、地位協定上の特権が与えられます。地位協定の抜本的改定こそ求められています
 
 
きょう復帰45年 県民大会宣言(要旨)
琉球新報 2017年5月15日 
復帰45年 5・15平和とくらしを守る県民大会
 沖縄は45年目の復帰の日を迎えた。「即時無条件全面返還、平和な島・沖縄」を強く望んだ復帰の思いとは裏腹に、日米安保条約により米軍基地が居座り、今なお米軍基地は強化、拡大されている。
  安倍政権は圧倒的な「新基地NO」の民意を無視し、辺野古に新基地建設を強行した。予定地の大浦湾は、世界に誇るサンゴ群落など多様な生物が生息する美ら海である。埋め立ては観光立県沖縄の未来を破壊する。
  東村高江では全国から500人の機動隊を投入し、オスプレイパッド建設を強行した。このような政府の傲慢(ごうまん)なやり方は、憲法の原則を真っ向から否定し、民主主義の崩壊を意味する。
  昨年12月にオスプレイが名護市安部の海岸に墜落し、県民の不安が現実となった。トリイ通信施設での吊(つ)り下げ訓練や嘉手納基地での夜間を含むパラシュート降下訓練は、戦場そのものだ。県議会や多くの自治体で抗議決議をし、米軍に訓練中止を求めたが、改善されるどころか恣意的(しいてき)に訓練を強行している。このような状況は米国の属国である。米軍の対応は米軍統治下の復帰前と変わらない。
  他方、与那国島への自衛隊の監視部隊や宮古島、石垣島への地対艦ミサイル部隊の配備は、沖縄が軍事基地の要塞(ようさい)になることであり、捨て石にされた72年前の惨烈な戦が県民に蘇(よみがえ)る。
  日米両政府が推し進める米軍、自衛隊基地の強化、拡大に強く反対する。米軍関係者による凶悪犯罪を糾弾し、日米地位協定の抜本的改正を強く要求する。世界平和のために闘い抜くことを確認し、強く宣言する。