2017年5月5日金曜日

憲法第9条を発案したのも、具体的条文を制定したのも日本人

 戦後に制定された新憲法の政府案は1946年6月20日に衆議院帝国議会に提出され、本会議で4日間審議された後、憲法改正案委員会(委員長:芦田均)に移され、そこで合計20回の審議(9条の審議はそのうち9回)が行われました
 その後7月23日に憲法改正委員小委員会を作り、合計13回(9条に関してはそのうち4回)審議し修正案作成されました。
 現行の憲法9条の文言はこの憲法改正委員小委員会で審議されて確定しました。有名な芦田修正条項もこの段階で生まれました。
 
 NHKは4月30日スペシャル番組 『憲法70年 “平和国家” はこうして生まれた』 で、その小委員会での議論の過程を資料に基づいて明らかにしました。
 
 もともと憲法9条の「戦争放棄」は当時の首相・幣原喜重郎氏の発案になるもので、1946年1月24日にGHQを訪ねたときマッカーサーにそれを提案し、れに感動したマッカーサーがGHQの憲法原案に盛り込んで実現しました。NHKの番組によって更に9条の具体的な文言についても日本の国会議員が討議を重ねて定めたものであることが明らかにされました。要するに9条に関しては発案も条文の確定もすべて日本人が行ったということです。
 
 因みに憲法9条の条文は下記の通りです。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
    (関係記事)
         2012年7月12日 【憲法制定のころ3】 9条はどのように審議されたか?
         2016年8月13日 「9条は幣原首相が提案」マッカーサー書簡に明記

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第9条の条文は日本人がつくっていた! 
NHKが“日本国憲法はGHQの押し付け”を真っ向否定する検証番組
LITERA 2017年5月2日.
 明日、憲法記念日の5月3日は、1947年に日本国憲法が施行された日である。あれからちょうど70年、4月30日放送のNHKスペシャル『憲法70年 “平和国家” はこうして生まれた』がいま、静かな話題を呼んでいる。
 
 その内容は、日本国憲法の中枢をなす憲法9条の制定過程を、資料をもとにして、丹念に解き明かすというもの。周知の通り、憲法9条は「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を明記した“平和主義”の要だが、安倍首相をはじめとする改憲タカ派は、9条も含めて“日本国憲法はGHQから強要された”なる「押し付け憲法論」を振りかざし、強引に改憲を主張してきた。
 しかし、NHKがつぶさに紹介した制定過程の歴史的事実は、憲法がアメリカからの「押し付け」などではなく、当時の日本人たちによる多大なる労力と議論によって築き上げられたものであることを明白にしている。
 
 番組が主に取り上げたのは、敗戦の翌年、1946年7月から開催された帝国憲法改正小委員会での議論だ。戦後、46年4月に初の普通選挙を経て、GHQ草案をもとにした政府案の修正議論を担った同小委員会は、のちの首相・芦田均を委員長とし、各党議員合わせて計14名で構成された。当時は「秘密会」扱いで、その記録が公開されたのは実に1995年のことである。
 9条の冒頭は、《日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し》と始まる。だが、その「平和」の文言は、ダグラス・マッカーサーが指示したGHQ草案にはもともと存在せず、これを条文の文言に取り入れたのが同小委員会であった。
 
 9条の「平和」について提言したのは、法学者でもある鈴木義男(当時日本社会党)だ。鈴木は7月27日の委員会でこのように述べた。
「みなさんのご意見を伺います。ただ戦争をしない、軍備を皆棄てるということは、ちょっと泣き言のような消極的な印象を与えるから、まず平和を愛好するのだということを宣言しておいて、その次にこの条文を入れようじゃないか」
 他の議員からも賛同の声が上がったという。たとえば、犬養毅の息子である犬養健(当時日本進歩党)は「(現状の戦争放棄の文言は)何だか仕方がない、やめようかというような所があります。何か積極的な摂理として、戦争はいかぬというような字が入ればなお良いかと思います」と発言している。
 
 鈴木の「平和」の文言提言の背景には、2度の世界大戦への反省から国際強調的な平和主義の実現に動き出した世界の潮流があった。『Nスぺ』のなかで、鈴木義男の孫で一橋大学・東京大学名誉教授である油井大三郎氏は、鈴木の提案の真意についてこう分析している。
「単に戦争は二度とこりごりだというような消極的な考え方で9条が入るというだけではなくて、もっと積極的に第二次世界大戦の反省から国際連合ができるというような新しい平和維持の国際構想の中に9条を積極的に位置づけていく。日本人自身の問題として、戦争を二度と繰り返さない制度というものをつくらないといけない」
 
 当時、日本自由党だった芦田も、条文に積極的に「平和」を希求する文言を組み込むべしという鈴木の提案を「外務省から来た印刷物に『国際信義を重んじて条約を守る』ということがどこかにあって欲しいというような意見が出ておりましたがね」と言って、受け止めた。
 『Nスペ』は、このとき芦田が言及した「外務省から来た印刷物」の資料を発見。その資料は当時の条約局長・萩原徹が作成したもので、外務省が憲法案の修正がどのような国際的影響を及ぼすかを考察し、国際法規を憲法と共に遵守するよう求める内容が含まれていた。
 
 戦前の日本は満州事変の後に国際連盟を脱退し、孤立していったが、萩原はこうした状況を「ドンキホーテ式外交」と指摘し、その反省を促した。これを受け、憲法の最高法規性を謳った第98条に、条約と国際法規を《誠実に遵守することを必要とする》と記す第2項が加えられたという。芦田はこの外務省資料を9条の修正にも生かそうと考えた。小委員会では、各党議員が党派を超えて、次々と条文を提案した。
 
廿日出庬(日本自由党)「一つの案ですが、色々と折衷しまして『日本国は平和を愛好し国際信義を重んずることを国是とし国権の発動たる戦争』と言って後は続けても差し支えないと思うのです」
芦田  「私の個人の意見としては、ただ平和が好きだというのみならず、自動的に平和維持のために努力する」
廿日出 「それではこうしたらどうでしょう。『日本国は恒久平和の建設に志す』」
森戸辰男(日本社会党)「『日本国は恒久平和の愛好者として国権の発動たる戦争』云々というようにしても良いと思います」
 
 そして、7月29日の小委員会の冒頭で芦田が一つの案を示す。
「こういう文字にしたらどうかという思案が一つ出ているのですが、『日本国民は正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を否認することを声明す』」
 これに、鈴木が最後の「声明す」の削除を求めた。
「『戦力を保持しない』『国の交戦権を否認する』と言い放せば良い。自分の行動を規律することをここに意思表示するのです」
 ここに、GHQ草案や当初の政府案になかった現在の9条の文言、すなわち日本国憲法の平和主義が誕生したのである。
 
 こうした日本人による綿密な議論を経て生まれた憲法が、なぜ “GHQによる押し付け” との誹りを受けなければならないのだろう。そもそも、憲法9条に限ってみても、もともとの発案者は幣原喜重郎、あるいはマッカーサーと幣原の“合作”というのが主流の捉え方であり、単に占領国による “日本無力化政策” という右派の言い分は、あまりにその経緯を軽んじている。
 さらにいえば、欽定憲法である明治憲法はまさに「押し付け」に違いないが、対する日本国憲法は、日本史上初の普通選挙のもとで国民が選んだ国会議員による審議・修正が徹底してなされた。それは、『Nスペ』が取り上げた芦田や鈴木らによる帝国憲法改正小委員会での議論をみても明らかだろう。換言すると、日本のそれまでの歴史上でもっとも民主的な選挙制度を経て審議され、かつ、圧倒的多数で可決された憲法なのである。
 
 一方、安倍首相や日本会議など、「押し付け論」を振りかざす改憲派は、こうした歴史的事実をネグり、そればかりか、一度破滅した日本という国を建て直した先人たちの労苦までも全否定しているのだ。これのどこが「保守」なのだろうか。少なくとも、平和主義をつくりあげた憲法9条を「押し付け」だとして排斥することに、正当性など微塵もなければ、「我が国の伝統の尊重」などほざく権利があろうはずもない。
 
 だが、安倍政権は目下、悲願の改憲にむけて、マスコミを徹底して締め上げると同時に、市民の護憲集会までも標的にしていることは、本サイトでも報じているとおりだ。そんななかで、今回、NHKが「押し付け論」を否定する客観的な事実を放送したのは、確実に意味のあることだろう。
 
 もちろん、その “平和憲法の誕生” から68年後、安倍首相が違憲の安保法制によって9条を空文化したことに触れていないなど、首をかしげたくなるところがないわけではない。それでも、北朝鮮危機を煽って日本を戦争へ導こうとしている安倍政権の現況を考えれば、『Nスペ』が再確認した平和主義の意義は、素直に賞賛すべきだと言える。
 
 NHKスペシャル『憲法70年 “平和国家” はこうして生まれた』は、3日0時10分から再放送される。この国の戦後、つまり「平和国家」のあり方は、決して受動的に押し付けられたものではなく、先人が積極的に作り上げてきたものだ。そのことをぜひ、思い出してもらいたい。 (編集部)