沖縄駐留米兵による少女誘拐暴行事件と米日政府によるその隠蔽に関しては殆ど連日しんぶん赤旗が報道しています。
長周新聞がこの件について 総括的な記事を出しましたので紹介します。
一読すると米国(米軍)の横暴さと日本政府の弱腰に怒りを禁じ得ません。その根源には、かつて日本が米軍によって占領されていた時期の占領政策をそのまま文書化した「日米地位協定」があります。
かつて三国同盟を結んだ、日、独、伊の3国は等しく連合軍に占領され 独立時には米国との間に「地位協定」を結びました。しかし協定時の内容を今日に至るまで一字一句も変えないで維持しているのは日本だけで、他の2国は改定の努力を重ねて自国の主権を明確化させてきました(沖縄県の独自調査で判明しています)。
国民に対して殆ど全容を明らかにしない「日米合同委員会」も、占領時代の形態を確実に維持するためのもので、日本の独立後 随分経過した時期に偶然その会議に立ち会った米国務省の高官は、その時代錯誤の在り方に呆れて廃止させようとしたのですが、「日本の政府からその様な要求は出されていない」という口実の下に米軍が拒否したため、現在まで継続されているものです。
こうした根本的な問題を解決しないことには沖縄の悲劇は解決しないように思われます。
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在沖米兵が少女誘拐暴行 政府は3カ月も沖縄県に伝えず 身柄拘束せず起訴後に釈放も 国民の安全より米軍の利益優先
長周新聞 2024年7月1日
沖縄県中部で16歳未満の少女を誘拐して性的暴行を加えたとして、米軍嘉手納基地所属の空軍兵が起訴されていたことが6月25日に判明した。事件が発生したのは昨年12月下旬で、即日少女の関係者による110番通報を受けて沖縄県警が捜査し、約2カ月半後の3月11日に書類送検、同27日に起訴していたにもかかわらず、県警も地検も県に報告せず、事件を把握していた外務省も3カ月間にわたって県に知らせていなかった。沖縄県は25日の報道で初めて事件の発生を把握しており、凶悪事件の発生から半年間も地元自治体にその事実が知らされないという異常事態となった。戦後79年たった現在も沖縄には広大な米軍基地が盤踞しており、米軍関係者による凶悪事件は数知れない。明らかになっている米軍関係者の刑法犯の検挙件数は1972年の日本復帰から50年で6000件超、そのうち強盗、殺人、強制性交等の凶悪犯の摘発は759件にものぼる。県民を守ることよりも米軍忖度を優先して情報すら隠蔽する政府の事件対応は、「日米安保」が誰から誰を守るものなのかを改めて浮き彫りにしている。
県民・国民の危険を放置する「日米安保」の実態
起訴されたのは、米国籍のブレノン・ワシントン被告(25歳)で、嘉手納基地所属の米空軍兵長とされている。起訴状によると、ワシントン被告は昨年12月24日、沖縄県中部の公園で、少女に「寒いから車の中で話さないか」などと言葉をかけて自分の車に乗せ、わいせつ目的で基地外にある自宅に連れ込み、16歳未満の少女とわかったうえで性的暴行を加えたとされる。2人に面識はなかった。
捜査関係者が地元報道機関に明かした情報によると、即日、帰宅した少女から事情を聞いた少女の関係者からの110番通報を受け、県警が捜査を開始。現場付近の防犯カメラの映像からワシントン被告を特定して米側に照会した。このさい県警は容疑者の身柄を拘束することなく、米軍はすぐに加害米兵を米軍基地内で管理下に置き、在宅捜査となった。沖縄県警は「米側から捜査に必要な協力が得られた」などとして起訴前の身柄引き渡しを求めていない。
県警は加害米兵を逮捕することなく、3月11日にわいせつ誘拐、不同意性交罪の容疑で那覇地検に書類送致した。地検は同27日に同罪で起訴し、被告米兵は一時的に身柄が拘束されたが、その後、那覇地裁に保釈金が支払われ、保釈されたと米側が明かしている。
一般的に起訴後の保釈は、凶悪犯罪や常習として犯罪を犯した場合や、逃亡、証拠隠滅、証人威迫などのおそれがある場合は認められない。過去には、犯罪を犯した米兵が基地内に逃げ込み、口裏あわせや証拠隠滅を図って不起訴になったり、日本の刑事捜査権が及ばない米軍基地から米本国に逃亡して裁判から逃れた事例もあった。
被告の米兵について、米軍は基地内で「禁足処分」(一定の場所に留め置かれ外出できない状態)を科していると説明している。だが、1993年に嘉手納基地内で発生した米兵による女性暴行事件では、容疑者の米兵に禁足処分が科されていたが、米兵は書類を偽装するなどして那覇空港から米本国に逃亡している。2003年に宜野湾市で起きた強盗致傷事件では、米軍によって米兵3人の身柄が確保され基地内で「拘禁」されたが、実際には基地内を自由に移動でき、3人で口裏合わせが可能となり、結果1人は不起訴となった。当時の公判では「被告らを自由に通牒できる環境に置き、3カ月程度の拘置で“十分な制裁を受けた”とのべるなど、軍の自浄作用はまったく期待できない」と検察官から異例の批判が出されたほどだ。
1995年に沖縄県金武町で起きた米兵3人による少女暴行事件では、日米地位協定に身柄引き渡し義務を定めた規定がないことを理由に、米軍は加害米兵の身柄引き渡しを拒否。沖縄県内では本土復帰後最大となる8万5000人の県民総決起大会が開かれ、積もり積もった県民の怒りが爆発し、島ぐるみの基地撤去運動が巻き起こった。そのため日米両政府は、普天間基地を含む米軍基地の整理縮小とともに、犯罪米兵の起訴前引き渡しを可能にするように地位協定の運用を「改善」する格好を見せた。だが、それは引き渡しの義務化ではなく、殺人や強姦などの凶悪犯罪については米軍側が「好意的な考慮」「日本側の見解十分に考慮」を払うというもので、あくまで米側の裁量に委ねるものでしかなかった。この事件をきっかけに外務省沖縄事務所も設立されたが、今回の事件対応は、それがなんの連絡機能も果たしていないことを示している。
沖縄復帰の1972年から2019年までに沖縄県内で起きた米軍関係者による凶悪犯罪は580件(1カ月当り1件の発生頻度)にのぼるが、地位協定の「運用改善」がされた1995年から2021年の間に日本政府が米側に身柄引き渡しを要求したのはわずか6件(うち1件は米側が拒否)。そのあまりにも消極的な日本側の姿勢の背景として、1953年に日本政府が米政府と交した「日本にとって著しく重要と考えられる事案以外については第一次裁判権を行使するつもりがない」とする密約の存在も取り沙汰されている。
戦後79年もたって起きた今回の事件も、県警は犯罪米兵の身柄引き渡しを要求せず、起訴後には保釈した。日本国内で起き、少女が犠牲になった事件であるにもかかわらず、犯人の処遇は米軍の「好意的考慮」に委ねるという措置は、占領下と何も変わらない治外法権(犯罪捜査権の放棄)ぶりを露呈している。
なぜ隠蔽されたのか 国ルートで政治的判断か
さらに今回、県警と検察は、犯罪米兵の逮捕起訴後も事件について沖縄県当局に知らせていなかった。外務省は犯罪米兵の起訴前に事件を把握したとのべており、3カ月にわたって沖縄県に情報伝達すらしなかった。沖縄県が事態を把握したのは今月25日で、那覇地裁から7月12日に事件の初公判がおこなわれる情報を得た沖縄メディア報道陣が地検に起訴状の交付を要請し、その報道を受けて玉城デニー知事が政府に問い合わせ、初めて事件の概要が伝えられたという。県民が事件を知ったのも発生から半年後のことだ。
県が管轄する県警をはじめ、検察、外務省などの関係機関は、この事件を沖縄県に報告しなかったことについて、「被害者のプライバシーが最優先で、保秘は徹底すべき」(県警幹部)、「被害者のプライバシーに関わる事案には、慎重な対応が求められる。(米軍関係の事件事故が)常に関係各所に漏れなく通報が必要だとは考えていない」(小林麻紀外務報道官)などと口裏を合わせたように釈明している。
米軍との窓口機関である防衛省の関係者も「米軍や県警から情報はなかった」としており、県内で起きた米軍関連事件情報が沖縄県や防衛省も素通りするという異例の意志決定プロセスが働いたといえる。
沖縄県では従来、米軍関係者による事件が起きると、県警や沖縄防衛局を通じて県に情報が共有され、県は地元自治体や県民に注意を喚起するとともに、米軍と日本政府に厳重に抗議し、即座に具体的な再発防止策や綱紀粛正を求めてきた。その後も事件が収まったことはなく、その実効性を疑問視する声もあるが、情報すら伝えられなかったことについて、行政関係者からは「被害者のプライバシー保護が重要なのは他の性犯罪でも同じことだ。だが捜査に影響を与えるのは書類送検段階までであり、起訴段階ではすでに容疑は固まり、捜査は終結している。しかも犯人が米兵であり、身柄拘束もされていない以上、県民に事件を周知して注意を喚起することが住民の安全を預かる行政としての最低限の責務だ」と指摘される。
鹿児島県警で本部長(警察庁のキャリア官僚)が所属警官の犯罪もみ消しを図ったとして元部長が内部告発した事件が取り沙汰されているが、同じように、県民が被害を受けたにもかかわらず、国側の政治的都合によって事件が意図的に隠蔽されたと考えるほかない。それによって守られたのは少女や県民の安全ではなく、米軍や犯罪米兵の側であり、事件を公にしないことで弱い立場にある被害者少女をさらに弱くさせ、米側に有利な処理をおこなうための忖度以外のなにものでもない。
沖縄全島で怒り広がる 議会で抗議決議の波
玉城知事は25日、事件に関する報道を受けて、「基地と隣り合わせの生活を余儀なくされている県民に強い不安を与えるだけでなく、女性の尊厳を踏みにじるものであり、特に被害者が未成年であることを考えれば、県民の安全に責任を持つ者としては極めて遺憾といわざるを得ず、強い憤りを禁じ得ない」とのべ、情報を精査したうえで米軍などに強く抗議をする姿勢を示した。
また、2008年に県内では米海兵隊員の男が少女に性的暴行を加える事件で、被害者に対するSNS等での誹謗中傷があいつぎ、被害者が告訴を取り下げて犯人が釈放された事例があることにふれ、「今回の事件については何よりも被害者とご家族の心情に配慮することが最も大切だ。ましてや被害者は未成年で、被害者を責めることは絶対にあってはならない」と強調。そのうえで「県に事前に一切連絡がなかったことは非常に問題だ。信頼関係において著しく不信を招くものでしかない」と批判し、「過重な基地負担は、騒音や環境汚染の実害など日常茶飯事で受忍限度をこえていると何度も声を上げている。それに加えて未成年の少女の身に危険が及ぶようなことが起こってしまうこと自体が問題だ。強く抗議しなくてはならない」と語気を強めた。
米兵が起訴された3月27日、外務省の岡野正敬事務次官がエマニュエル駐日米大使に事件について抗議したとされるが、そのさいも県に情報伝達はなかったという。
この間、沖縄県内では、辺野古新基地建設をめぐって沖縄県の不承認決定を覆して国が埋め立て設計変更を承認する代執行裁判(国側が勝訴)と埋め立て工事の再開、うるま市での陸自訓練場設置計画(住民の反対運動により国側が断念)が浮上して物議を醸していた。さらに6月16日には沖縄県議選がおこなわれ、23日には79年目の沖縄慰霊の日を迎えた。事件にかかわる情報が徹底的に秘匿され、公表されなかったことは、これらの国策をめぐる県民世論や県内政局に与える影響を恐れた日米政府の政治的な判断が働いたことをうかがわせており、県民の安全にかかわる重大問題であっても米軍絡みの情報を隠蔽する政府の体質を突きつけている。
27日には、米軍嘉手納基地の第18航空団司令官のニコラス・エバンス准将がマシュー・ドルボ在沖米国総領事とともに沖縄県庁を訪れ、事件に対する「遺憾の意」を表明したが、県側の抗議に対して米側から謝罪の言葉はなかった。
こうしたなか沖縄県内各地の議会では事件に対する抗議決議の波が広がっている。
26日には浦添市議会が、「米兵による蛮行に激しい憤りを覚える」として、事件の全容解明と速やかな公表、誠意ある対応と実効性ある再発防止策、そして日米地位協定の抜本的な見直しを求める抗議決議を全会一致で採択した。
27日には那覇市議会が、「繰り返される米兵等による蛮行は、女性の尊厳を踏みにじり市民・県民の生存権を脅かすものであり、綱紀粛正が何ら果たされていないことは、激しい怒りを禁じえない。さらに、事件発生後、関係機関等への迅速な情報伝達や市民・県民への公表が遅れたことに対しても疑問を呈さざるを得ない」とし、日米政府や米軍に対して、被害者への謝罪と完全な補償、精神的ケアとともに実効性ある再発防止策、地位協定の抜本的改正を図ることを求める抗議決議と意見書を全会一致で可決した。
中城村議会も同日、「県民の生命、財産、安心安全、生活環境を守る立場から厳重に抗議する」との抗議決議を採択し、「沖縄は戦後79年が経過しても、人権が蹂躙されている」としたうえで、「日米地位協定を抜本的に改定」「米兵の犯罪ゼロを実現する具体策提示まで外出禁止」することなどを全会一致で求めている。
北中城村議会も「米兵の蛮行は県民に強い衝撃と不安を与える。激しい怒りを込めて厳重に抗議」するとした抗議決議と意見書を全会一致で可決。今回の事件が1995年の米兵3人による少女暴行事件や2016年の米軍属による女性暴行殺人事件を想起させると指摘している。
抗議決議の採択は県内全域に及ぶ趨勢にある。
後絶たぬ米軍犯罪 多くが表沙汰にならず
日米地位協定によって日本の国内法や捜査権が及びにくい米軍関係者による犯罪や事故は後を絶たない。
沖縄では1972年の日本復帰からの2022年までの50年間で米軍人・軍属・家族による刑法犯罪の摘発が6161件にのぼり、そのうち殺人や強盗、放火、強制性交などの凶悪犯罪は584件。757人が摘発されている。性犯罪は134件にのぼり、強盗(398件)に次いで多く、殺人が27件、放火が25件となっている。
ただし被害届を出しても警察による捜査が機能しないことから、表沙汰にならない事件は多く、それらを含めると実数は数倍にのぼると見られている。とくに性犯罪の被害の告発は、被害者の精神的苦痛をともなうため顕在化しにくく、相手が米軍であることも障壁となり、凶悪犯罪であるにもかかわらず被害者が起訴を取り下げるケースも少なくない。不同意性交に限ってみても、この10年で立件された38件のうち起訴まで至ったのはわずか3件。起訴率は7・9%という低さだ。
近年の主なものを挙げても、1995年9月に金武町で、米軍キャンプハンセンに所属する米海兵隊員2人と海軍兵1人が、商店街に買い物に来ていた女子小学生(12歳)を拉致し集団強姦・負傷させたあげく、基地内に逃げ込み、米軍は日米地位協定を盾に身柄引き渡しもしなかった。これが沖縄県民の積年の怒りに火をつけ、慌てた日米政府は普天間基地の閉鎖撤去を含む米軍基地の整理縮小を進めるSACO合意を発表したが、いまだに実現していない。
2001年6月には、米空軍嘉手納基地所属の米軍曹が北谷町の駐車場で女性を暴行。身柄引き渡しまでに四日を要したことで沖縄県内では批判が高まった。
2008年2月には、米海兵隊員が女子中学生を暴行。12年10月には、米海軍兵2人が通行中の女性を連れ去って暴行した。
そして16年は、3月に米海軍兵が観光客女性に性的暴行。同月、米海軍兵が那覇市のホテルで寝ていた女性を暴行した。
さらに同年4月、うるま市でウォーキングをしていた20歳の女性を米軍属の男が鈍器で殴りつけて草むらに引き込み、強姦したうえナイフ等で刺殺。遺体をスーツケースに隠して山林に遺棄した。犯行に使った凶器などを日本の警察の捜査権がおよばない基地内に捨てたため捜査は難航。犯人は「高校生のころから強姦殺人願望や自己破壊衝動があった」「あのとき居合わせた女性の運が悪かった」と供述し、怒りを集めた。
その後の裁判で無期懲役の判決が下されたが、遺族による損害賠償請求について米国政府は「支払う責任はない」と拒否し、加害米兵と米軍の責任を永久に免責するという条件付きでわずかな「見舞金」が支払われ、その不足分を日本政府が「見舞金」として支払っている。
日米政府による辺野古新基地建設が強行されるなかで起きたこの残虐な事件は、70数年にわたって米軍支配に蹂躙されてきた沖縄県民の怒濤の怒りを集め、同年6月に那覇市で開かれた県民大会では6万5000人が集結し、日米政府に対して被害者の救済と米海兵隊の撤退を要求した。後の県知事選では、県民代表として翁長前知事を押したてて、県民との約束を裏切って辺野古埋め立てを承認した仲井眞元知事を叩き落とした。
直近では、昨年10月に海兵隊所属の米軍属が性的暴行で検挙され、今年1月にも海兵隊員が性的暴行の疑いで検挙されたが、いずれも不起訴となるなど、米軍による犯罪は減るどころか増加傾向にある。政府による事件隠蔽は、この県民が置かれた危険な現状を放置するものといえる。
傍若無人な辺野古新基地建設や自衛隊ミサイル基地建設など「防衛力強化」「日米同盟の強化」の名の下に沖縄の前線基地化が進むなかで、犯罪米兵を擁護する政府の対応は、県民を危険にさらし、米軍の横暴をさらに助長するものとして、沖縄県民をはじめ全国的な憤激を集めている。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。