次期米大統領選にバイデンが立候補しないことになりました。新型コロナに感染して自宅療養中に強い外圧が掛かり不本意ながら降りたともいわれています。
イスラエルを丁重?に扱う点ではトランプもバイデンも同じだというので、仮にトランプが帰り咲いても残念ながら「ガザ」の悲劇は続くと見られています。
ただウクライナ戦争については、トランプはかねてから自分が大統領になればすぐにやめさせると公言しているので、多分そう努力するものと思われます。
トランプがバイデンと大いに違うのは、バイデンが徹底した好戦派であるのに対してトランプはそうではなく、実際に大統領時には新たな侵略戦争を起こしませんでした。
櫻井ジャーナルが掲題の記事を載せました。
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トランプ暗殺未遂直後、ウ外相は中国外相と広東省で会い、交渉の仲介を依頼
櫻井ジャーナル 2024.07.28
ウクライナのドミトロ・クレバ外相は7月24日に広東省で中国の王毅外相と会談した際、ウクライナ政府はロシア政府と「対話と交渉を行う用意がある」と述べたという。今年に入ってからローマ教皇フランシスコやハンガリーのヴィクトール・オルバン首相が戦闘の終結を訴えたものの、ゼレンスキーは拒否していた。
キエフ政権の態度が急変する直前、7月13日にドナルド・トランプは銃撃され、発射された銃弾の1発がトランプの右耳を掠めるという暗殺未遂事件があった。その直前にトランプは頭を少し右へ回している。それがなければ後頭部は吹き飛ばされていただろう。7月15日には共和党の全国大会でウクライナでの戦争継続に反対してきたJ. D. バンス上院議員が副大統領候補に正式指名されている。
暗殺未遂の前、大統領選はトランプが優勢だと言われていたが、もし暗殺されていたなら、トランプが大統領になることはできない。混乱が生じて戒厳令が敷かれ、選挙が中止になった可能性もあるだろうが、そうしたシナリオはトランプが生き延びたことでとりあえずなくなった。そこで「対話と交渉」を言い始めたわけだが、この段階で停戦を実現するためにはロシア政府の要求を呑む必要がある。
しかし、ウクライナを利用してロシアを攻撃して疲弊させ、あわよくばウラジミル・プーチン政権を崩壊させようとしていた西側の支配層はロシアに敗北したことを認めるわけにはいかない。
西側の好戦派は自分たちを無敵だと信じ、戦争になればソ連/ロシアを簡単に倒せると信じ、1991年12月のソ連消滅はアメリカが冷戦に勝利したことを意味し、西側の強さを証明したと考えたようだ。その直後に彼らは世界征服プロジェクトを作成、2001年9月11日に引き起こされたニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎への攻撃を利用してプロジェクトを始動させた。
その段階でネオコンをはじめとするアメリカの好戦派がロシアや中国に対してどのように考えていたかは、外交問題評議会(CFR)の定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載された論考 に示されている。アメリカは近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てるというのだ。
バラク・オバマは2008年11月に実施されたアメリカの大統領選挙で勝利するが、その3カ月前にジョージアが南オセチアを奇襲攻撃し、ロシア軍の反撃で惨敗している。アメリカ支配層の状況判断が間違っていたのだが、彼らはそう考えなかった。それでもアメリカの好戦派はロシアを簡単に倒せると信じ続けたのである。
ジョージアは2001年からイスラエルの軍事支援を受け、兵器を含む軍事物資を提供され、将兵が訓練を受けている。後にアメリカの傭兵会社も教官を派遣した。事実上、イスラエル軍とアメリカ軍がジョージア軍を使ってロシアに対する軍事作戦を実施したのだ。
ジョー・H・ブッシュ政権は中東に続いて南オセチアへの奇襲攻撃でも失敗、次のバラク・オバマ政権はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で編成されたアル・カイダ系武装集団を利用して北アフリカから中東にかけての地中海に面した国々の体制を転覆させる作戦、いわゆる「アラブの春」を実行する。そのためにオバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出した。2011年春にはリビアやシリアに対する軍事作戦が始まるのだが、この作戦はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことができず、暗礁に乗り上げる。
オバマ大統領は2012年から新たな傭兵組織の編成に取り掛かるのだが、その危険性をアメリカ軍の情報機関DIAが2012年8月に警告している。オバマ政権が支援している反シリア政府軍の主力はアル・カイダ系武装集団のAQI(イラクのアル・カイダ)で、アル・ヌスラと実態は同じだと指摘、その中心はサラフィ主義者やムスリム同胞団だとしているのだ。2012年当時のDIA局長はマイケル・フリン中将である。
報告書の中で、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告、それがダーイッシュという形で現実になった。そしてダーイッシュは残虐さを演出、それを口実にしてアメリカ/NATOは軍事介入を目論んだようだが、2015年9月にシリア政府はロシア政府に軍事介入を要請、ロシア軍がダーイッシュなどジハード傭兵を敗走させた。
2016年にはヒラリー・クリントンを大統領にするため、共和党のドナルド・トランプや民主党のバーニー・サンダースを潰す裏工作が露見してしまう。そうした事実から人びとの目を背けさせるためか、民主党の幹部はCIAやFBIと手を組み、「ロシアゲート」キャンペーンを始めた。勿論、これは作り話だ。
大統領選挙ではロシアとの関係修復を訴えていたトランプが勝利、オバマはトランプが大統領に就任するまでにロシアとの関係を悪化させようとする。そこで行ったのがロシア外交官の追放と領事館閉鎖だ。アメリカはロシア外交官60人を追い出し、シアトルのロシア領事館を閉鎖したが、それに同調してイギリスは23名のロシア外交官を追放、カナダ、ウクライナ、ドイツ、フランス、ポーランド、リトアニア、チェコ、オランダ、デンマーク、イタリア、ラトビア、エストニア、クロアチア、ルーマニア、フィンランドも追い出している。このオバマ政権の副大統領がジョー・バイデンであり、その時の反ロシア人脈がバイデン政権へ入った。
そのバイデン政権はロシアや中国を破壊するつもりでEU諸国を破壊し、アメリカや日本もダメージを受けている。アメリカが仕掛けた経済戦争でロシアや中国に完敗したのだ。
ドイツのシュピーゲル誌によると、ベルリンはドイツ軍とNATO諸国軍約80万人が自国の港、高速道路、鉄道を使って「東」へ向かうと予想している。ロシアとの戦争計画だ。テレグラフ紙は、NATOが将来のロシアとの仮想戦争に必要な兵員や装備を移動させるための陸上「回廊」計画を拡大していると報じた。
しかし、NATO諸国の生産能力はロシアの数分の1にすぎない。しかも兵器の性能、将兵の戦闘能力もアメリカ/NATOはロシアに劣る。アメリカにしろNATOにしろ、ロシアに通常兵器で勝てる見込みはないのだ。
こうした事態に立ち至った原因は西側好戦派の傲慢さにあると言えるだろう。アメリカ支配層の対ロシア戦争は1991年12月にソ連が消滅した直後から始まるが、ウクライナが破滅への道を進み始めたのもその頃だ。
ウクライナは「独立」してロシアから離れ、その一方でロシアへの復帰を希望していた東部や南部のロシア文化圏の民意は封印されてしまうのだが、それでも1990年代は中立を宣言していた。
しかし、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてアメリカが世界征服戦争を本格化させ、ウクライナの中立政策も許されない状況になった。
2004年の大統領選挙でアメリカへの従属を拒否するビクトル・ヤヌコビッチが勝利したが、この結果をアメリカ政府は容認できなかった。そこでジョージ・W・ブッシュ政権は2004年から05年にかけてウクライナに内政干渉したのだ。いわゆる「オレンジ革命」である。この革命で大統領に就任したのは金融資本の手先であるビクトル・ユシチェンコだった。
ユシチェンコは新自由主義に基づく政策を進め、大多数の国民は貧困化。西側の正体を知ったウクライナ人は2010年の選挙でヤヌコビッチを選ぶ。そこでネオコンは2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターをキエフで仕掛けた。
しかし、ネオ・ナチ体制に反発するウクライナ人は多く、軍や治安機関でや約7割が離脱、一部は東部ドンバスの反クーデター軍に合流したと言われている。クリミアはロシアの保護下に入る。
バラク・オバマ政権でウクライナの体制転覆を指揮したのは副大統領だったジョー・バイデン、国務次官補だったビクトリア・ヌランド、副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。バイデンは現在の大統領、ヌランドは国務次官になった(⇒その後退任)。サリバンは国家安全保障補佐官を務めている。