櫻井ジャーナルに掲題の記事が載りました。
既報の記事から推測されるようにこの銃撃事件は体制側によって仕組まれた謀略の可能性が濃厚です。 ⇒(7月18日)トランプと今後の世界(田中宇氏)
そんな中で事件後の共和党大会でトランプが大統領候補の指名を受け入れ、さらに反体制派の人物を副大統領候補に指名したのは、なにはともあれ勇気ある行動でした。
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トランプ暗殺未遂の2日後、露国との戦争に反対しているバンスを副大統領候補に
櫻井ジャーナル 2024.07.18
ドナルド・トランプは銃撃された2日後、7月15日に共和党の全国大会でJ. D. バンス上院議員を副大統領候補に正式指名した。この議員はバーニー・サンダース上院議員やエリザベス・ウォーレン上院議員と共同で企業の説明責任に関する法案を提出するなど大企業が嫌う政策を支持してきたが、最も注目されているのはウクライナで行なっているロシアを相手にした戦争に反対している数少ない議員のひとりだということだ。トランプ自身もウクライナでの戦争に反対している。
それに対し、ジョー・バイデン大統領はウクライナ人を使い、ロシアとの戦争を続けている。すでにウクライナ軍は壊滅状態で、兵士も兵器も枯渇しているが、戦争を仕掛けたアメリカやイギリスの支配層はウクライナに対し、最後のひとりまでロシア軍と戦い、ロシアにダメージを与えるように命令している。「総員玉砕せよ」だが、そのように命令しても限界はある。
すでにウクライナ軍だけでなくNATOの兵器庫も空だと言われ、兵士がいなくなっていることは昨年10月1日にイギリスのベン・ウォレス元国防大臣が明らかにしている。テレグラフ紙に寄稿した論考の中で、ウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると指摘、ウクライナ政府に対し、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求しているのだ。実際、今年に入ってからウクライナの街頭で成人男性が徴兵担当者と思われるグループに拉致される光景が撮影され、その映像がインターネット上に流されている。
本ブログでも繰り返し書いてきたように、2022年2月末の段階でウクライナにおける戦闘でキエフ政権は敗北したと認識、ロシアと停戦交渉を始めていた。仲介役はイスラエルとトルコだ。
イスラエルの首相だったナフタリ・ベネットによると、話し合いでロシアとウクライナは互いに妥協、停戦は実現しそうだった。3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ウォロディミル・ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけた。その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。ウクライナの治安機関SBU(事実上、CIAの下部機関)がキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺したのはその3月5日だ。
停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。
そもそもゼレンスキーは2019年の大統領選挙でロシアとの関係修復を訴えて当選した人物だが、大統領に就任するとネオ・ナチから脅されている。ネオ・ナチを率いるドミトロ・ヤロシュやアンドリー・ビレツキーはゼレンスキーに政策を撤回させた。
ヤロシュとビレツキーはネオ・ナチの「右派セクター」を2013年11月に組織、13年から14年にかけてのクーデターで中心的な役割を果たした人物。クーデター後の2014年5月、右派セクターが中心になって内務省に「アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)」が発足。この組織がネオ・ナチだということは当初、西側の有力メディアもアメリカのFBIも日本の公安当局も認めていた。
1991年12月のソ連消滅と同時にウクライナは独立を宣言して西側から認められたが、その際に東部と南部は住民投票を経てウクライナからの独立を決めるが、これを西側は認めなかった。
それでもウクライナは東部や南部以外もロシアとの関係が深く、中立を謳っていたが、アメリカをはじめとする西側はウクライナの資源や耕作地を手に入れたかっただけでなく、ロシアを征服するための拠点として支配したかった。「新バルバロッサ」だ。
アメリカは2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、それを利用して世界制覇戦争を本格化させる。
ところが、ウクライナではアメリカへの従属を拒んだビクトル・ヤヌコビッチが2004年の大統領選挙で勝利してしまう。そこでジョージ・W・ブッシュ政権は2004年から05年にかけてウクライナに内政干渉する。いわゆる「オレンジ革命」だ。この革命で大統領に就任したのは金融資本の手先であるビクトル・ユシチェンコだった。
ユシチェンコは新自由主義に基づく政策を進め、大多数の国民は貧困化。西側の正体を知ったウクライナ人は2010年の選挙でヤヌコビッチを選ぶ。そこでネオコンは2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチを使ったクーデターをキエフで仕掛けた。
しかし、ネオ・ナチ体制に反発するウクライナ人は多く、軍や治安機関でや約7割が離脱、一部は東部ドンバスの反クーデター軍に合流したと言われている。クリミアはロシアの保護下に入った。
バラク・オバマ政権でウクライナの体制転覆を指揮したのは副大統領だったジョー・バイデン、国務次官補だったビクトリア・ヌランド、副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。バイデンは現在の大統領、ヌランドは国務次官になった。サリバンは国家安全保障補佐官を務めている。現在、バイデンは認知症を患い、ヌランドは政府の外へ出た。ホワイトハウスでロシアとの戦争を仕切っているのはサリバンだろう。
その下でロシアとの戦争を支援してきたEUやNATOの幹部はNATO加盟国を前面に出しつつある。7月9日から11日にかけてワシントンDCで開かれたNATOの首脳会談がワシントンDCで、ウクライナにNATO事務所を設立すると発表された。この事務所はウクライナでの戦争を監督するNATO司令部の設立に伴うものだという。
すでに「ウクライナ対ロシア」という演出を続ける余裕がなくなっているのだが、NATOにも兵器はなく、NATO諸国の生産能力はロシアの数分の1にすぎない。通常兵器での戦闘は勿論、ロシア国内へのテロ攻撃で戦況が変化することはないだろう。生物兵器の開発は途上だと思われ、西側の好戦派に残された手段は核兵器だ。
ウクライナにおいてロシアに敗北するということは、米英支配層やその支配層に従属している西側各国のエリートにとって破滅を意味する。そうした状況の中、トランプが大統領候補になり、バンスが副大統領候補になった。予定通り大統領選挙が実施された場合、ウクライナでの戦争に反対するふたりが当選する可能性が高い。戦争を継続するためにはこのふたりをホワイトハウスへ入れるわけにはいかない、と考えている人がいるはずだ。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。