三重県鈴鹿市在住の4人(69~84歳)は2022年4月から毎週月曜日と木曜日の2回、車通りの多い交差点で夕方1時間 スタンディングを行っています。こんな頻度で粘り強く続けているのは驚くべきことです。
同年2月に始まったウクライナ侵攻が切っ掛けで、友人関係にある4人で話し合って4月から「ウクライナに平和を」、「プーチンさん正気に戻って」などのプラカードを掲げてスタンディングを始めました。23年10月にガザ侵攻が始まると、「ガザに平和を」などのプラカードを追加しました。
毎週2回立ち続けている西田達弘さん(84)は、先の戦争で軍隊に行ぅて戦地で病気になり、戦後すぐに亡くなったことから平和への愛着や武器を持つことへの怖さが身に沁み「軍備で平和を保てないことも訴えていきたい」と話します。
毎週1回参加している同市の松下多喜子さん(69)と田中美千代さん(79)は、それぞれ「戦争をしている人、寒い思いをしている人のことを考えると、必ず行こうと思います」、「スタンディングをしても変わらないと批判する人もいますが、自分がやりたいと思って立っている」と話します。
しんぶん赤旗が報じました。
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ウグライナ・ガザ、日本:の軍拡・・・ 週2回街頭で戦争反対 三重・鈴鹿
しんぶん赤旗 2024年6月29日
ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスチナ自治区ガザヘの侵攻など、戦争に心を痛め、平和を求めるさまざまな取り組みが各地で取り組まれています。三重県鈴鹿市では、ウクライナ侵攻(2022年2月)が始まった後の同年4月から毎週2回、市民有志によるスタンディングが続いています。 (松島圭祐)
有志でスタンディング
「ウクライナ侵攻のニュースを見て、今の時代にこんなことが起きるのかと驚いた。平和が崩れてしまうのではないかと怖かった」と語るのは、鈴鹿市に住む瓜生えみ子さん(69)です。一人の市民として平和の問題をはじめさまざまな市民運動に携わってきました。
父は早く死去
平和への意思表示ができる機会があれば参加しようと考えていましたが、周りにはそうした場があまりありませんでした。「それならば、自分たちでできる範囲でやろう」と、近所に住む友人4人で話し、スタンディングに取り組むことを決めました。
スタンディングは毎週月曜日と木曜日の2回、車通りの多い交差点で夕方ごろに1時間行います。1人の参加であっても、毎週2回を続けているといいます。当初は「ウクライナに平和を」「プーチンさん正気に戻って」などのプラカードを掲げていましたが、23年10月に始まったガザ侵攻を受けて「ガザに平和を」のプラカードも掲げています。
毎週2回立ち続けている同市の西田達弘さん(84)は「人の命以上に大事なことはありません」と強調します。西田さんの平和への思いの原点にあるのが、先の戦争です。「父親は軍隊に行ぅて戦地で病気になり、戦後すぐ、私が小学3年生のときに死んでいます。このことが平和への愛着や武器を持つことへの怖さの根底にあります。軍備で平和を保てないことも訴えていきたい」と話しました。
時代をつなぐ
「2年以上、毎週街頭に立ち続けることは大変ではないでしょうか?」。と言う記者の責問に対し、参加者はみな「苦ではない」と平然と話します。
毎週1回参加している同市の松下多喜子さん(69)はプラカードを掲げて肩が痛いと思うことはあるけど、戦争をしている人、寒い思いをしている人のことを考えると、必ず行こうと思います。スタンディングをしていて『そんなことをしても変わらない』と批判する人もいますが、自分がやりたいと思って立っている」と話しました。
同じく週1回参加している同市の田中美千代さん(79)も「今、自分たちが変えていかないといけないと思うから、自分のために立っています。戦争が終わるまで立ちたいし、岸田首相にもアメリカの傘の下で軍事費を伸ばしたらいかんと言いたい」と話しました。
瓜生さんは、スタンディングを続ける思いをこう話します。
「両親が戦争を経験し、私は戦後に生まれました。平和を当然のこととして過ごしてきましたが、今は不断の努力なしには維持できないものだと考えています。時代をつなぐリレーランナーとして、平和のバトンを次の世代に渡したい」