世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
「第3極」と聞くと「維新」が登場したときに日本のマスコミが「新たな第3極」と持ち上げた欺瞞が連想されますが、勿論そんなデタラメなものではなく、韓国やドイツで見られた「曹国」や「ザラ・ワーゲンクネヒト」を念頭に置いたものです。特に後者については、「マルクスへの信奉とローザ・ルクセンブルクへの心酔が窺い知れ、まさしく待望のカリスマ的英雄の出現かと興奮させられる。~ 新自由主義の世界支配が爛熟のときを迎え、極右が台頭し、第三次世界大戦が始まる間際、役者が登場した」のだと述べています。
このまま退廃・さらなる衰退に向かう日本の政治情勢に対して、韓国やドイツで起きたような変化が起きて、何とか改善されて欲しいと願う心情が伝わる記事です。
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第3極のチャレンジが必要だ - 韓国やドイツの政治のように
世に倦む日々 2024年9月21日
立憲民主党の代表選の政策論議を聞いて分かったのは、自民党との対立軸を構成していた重要政策の柱を、全面的に撤回したり後退させたりしていて、自民党との政策の違いをなくしている事実だ。(1) 安保法制、(2) 消費税、(3) 原発、特にこの3本柱は、17年の枝野新党以前から、この党が自民党との立場の相違と優位性を強調し、国民に支持を訴えてきた根本的な争点だった。(1) 集団的自衛権行使を認めた安保法制は違憲なので廃止する、(2) 消費税は5%に引き下げる、(3) 原発再稼働を認めず原発ゼロを目指す。そう公約してきた。そしてこの3本柱をベースにして、中身はどうあれ衆参の諸選挙で日本共産党と「野党共闘」の形式を組み、選挙区の候補者が共産党票の支援を受けてきた。ところが、今回はその対立軸が完全に白紙化され、蒸発してしまっている。基本政策は自民党と互換になってしまった。
その右寄り転換の象徴として野田佳彦が新代表に就く。枝野幸男がシンボルの位置でリベラル色の強かった立憲民主党は、自民党との対立軸を持たない保守政党へ変貌することが明確になった。テレビを見ると、(1)と(2)について、(変節した)枝野幸男が弁護士らしくペラペラと詭弁の舌を回して合理化・正当化している。人を騙して煙に巻く詭弁術に勤しむとき、この男はとても精力的で気合が入る。それを野田佳彦が隣でほくそ笑んで眺めている。自民党との対立軸が消えたから、そのまま基本政策で維新と同じ政党に化けるわけで、維新と連携共闘する上で障害は何もない。国民民主党との再合同は織り込み済みの予定事項で、総選挙後に必ず再合同の儀式となるだろう。芳野友子の高笑いの顔が浮かぶ。そのときは、玉木雄一郎と野田佳彦の間で代表選挙があり、党名変更があるに違いない。党名は「民主党」に戻すだろう。
この党は、分裂と合流を繰り返しながら幾度も名称を変更し、党名を変えることで過去の綱領と公約を反故にしてきた。そして「政権交代」のスローガンの下で離合集散の騒動をする度に、右派と左派が対立して悶着を起こしてきた。野田佳彦や前原誠司は、結党以来、右派を代表するキャラクターである。マスコミは常にこの党の右派を応援し、右派が執行部を握って自民党と同じ政策の野党に固めるべく腐心してきた。おそらく、今回、総選挙後、国民民主党と合同する際に憲法改正が問題となり、マスコミが「左派を切れ」と咆哮し、未来の党の紛争以来の混乱が発生するだろう。現在の党内にも、9条改憲に抵抗する議員が若干いる。再び「排除の論理」の季節になり、新「民主党」を自民党と同じ保守政党に生まれ変わらせる手術が行われると予想する。前原誠司も出戻りし、「令和の税と社会保障の一体改革」の進行となるだろう。
総選挙前に立憲民主党が自民党との対立軸を放棄したことで、対立軸の物理的位置は左に寄り、日本共産党・れいわ新選組の右側に線が引かれる構図となった。(1) 安保法制廃止、(2) 消費税5%、(3) 原発再稼働反対の民意は、共産党・れいわ・社民党の弱小勢力しか吸収する受け皿がなくなった。きわめて悲観的というか絶望的な状況で、こうなったとき、無党派で(1)(2)(3)を求める有権者は、その実現を諦め、(1) 安保法制容認、(2) 消費税も負担増も容認、(3) 原発再稼働も容認と蹲るのである。立憲民主党の反動と合わせて自らの主張も変えてしまう態度変更に向かう。現状、共産党もれいわも次の選挙で大きく伸びる期待感はない。日本共産党は、10年続けてきた「野党共闘」の破綻が明瞭になり、今後の路線をどうするか正念場の局面だろう。れいわも、19年参、21年衆、22年参の過去3回の選挙の比例得票数が同じで、党勢の拡大と跳躍が見込めない。
ではどうすればよいか。第3極しかないというのが私の意見で、政治を諦めない方途と活路としては他にないという結論になる。これまで何度か同様の提案をしてきた記憶が甦り、同じことを年をとっても繰り返していると自嘲する。提案しても賛同や共感はない。だが、客観的論理的な展望として、その方向性しか導出できない。また私には、誰から冷笑され侮蔑されても、これが正しい政治学的発想だという確信がある。その根拠となるコンセプトタームは 〝カリスマ” だ。最近、ウェーバーの教義と説得力への心服度が本当に大きくなり、ウェーバーを導師のように仰ぎ思う時間が多い。その気分は 4/25 の記事で説明した。そのとき並べたキーワードは、"暴力"、"ユダヤ教"、"インド"の3つであり、現代政治がウェーバー政治学の下に還っている事実を指摘した。が、それ以上に光を当てるべきは〝カリスマ”の概念と意義だろう。われわれの世代は、ウェーバーを通じてカリスマの語を学んだ。
政治を変革する主体は誰なのか。マルクスは労働者階級(共産党)だと言い、丸山真男は市民(民主主義の永久革命を奉じる在家信徒)だと言い、ウェーバーはカリスマ的英雄(とその共鳴板となるエートスを持った中間層)の役割に着目する。3人の理論的主張の中で、この問題に限っては、現在の私はウェーバーの所論に最も納得性と真理性を感じる。その理由を具体的に述べよう。今年、3つの先進国で議会選挙があり、刮目すべき政治的快挙があった。4月の韓国の選挙において、僅か2か月前に新党を立ち上げた曹国は、何と比例得票率24%を取り、堂々の野党第2党の議席と地位を占めた。選挙の台風の目となり、物価高と貧窮に苦しむ民意の受け皿となり、大いなる革新左派のドラマとカタルシスを作った。画期的な政治だと感動する。7月のフランス国民議会選挙では、第2回投票で劇的な展開があり、事前のマスコミ予想を覆して左派連合が勝利、極右の第1党を阻止した。
勝利をもたらした立役者は「不服従のフランス」の党首のメランションである。メランションの情熱的なアジテーションがパリ市民を衝き動かし、第1回投票後の大型デモの連発を呼び、短期決戦の主導権を握って勝利へと雪崩れ込ませた。見事な政治である。9月に行われた独チューリンゲン州の選挙では、ザラ・ワーゲンクネヒトが率いて今年1月に旗揚げされたBSWが、15.8%の得票率を得る躍進を果たし、AfDとCDUに次いで第3党となった。ザクセン州でも第3党。ワーゲンクネヒトは55歳。実に興味深い政治的思想的経歴の持ち主で、燃えるような闘士という言葉がぴったり似合う注目株だ。限られた情報からも、マルクスへの信奉とローザ・ルクセンブルクへの心酔が窺い知れ、まさしく待望のカリスマ的英雄の出現かと興奮させられる。ドイツはマルクスの故郷。新自由主義の世界支配が爛熟のときを迎え、極右が台頭し、第三次世界大戦が始まる間際、役者が登場した。
これが政治であり、政治はこのようにするものだと思う。これが政治の基本であり、政治の普遍的成功モデルなのだ。日本もこの政治を見倣えばよいのであり、同じチャレンジを実践すればよい。訴えたいポイントは投票率である。祖国革新党が24%を獲得した4月の韓国議会選挙は、投票率67%で、ここ30年で最も高い投票率を記録した。左派連合が逆転勝利を収めた7月のフランス国民議会第2回投票も、投票率66%を達成、前回を20ポイント以上上回る驚異的な数字となっている。高い投票率が曹国とメランションを勝利させたのであり、二人の渾身の活躍が投票率を掘り起こした結果と言える。カリスマの力が眠っていた無党派層を覚醒させた。日本の最近の選挙の投票率を確認しよう。17年衆は54%、19年参は49%、21年衆は56%、22年参は52%。参院選よりも衆院選の方が高くなるが、全体として非常に低い水準を這っていて、有権者の45%は投票に行かない。
日本の平常の選挙は、マスコミが主導権を握っていて、マスコミが自民党を勝たせるべく選挙を設計し、軌道に乗せて最後までキャリーし、目論んだ着地点に結果させる。世論調査を何度も撒き、自民党が勝つ図を事前に予告し、抵抗しても無駄だと刷り込んで有権者を眠らせる。自民党や維新の支持が高い若年層に投票を呼びかけ、勝利を万全のものとする。そのシステムとパターンが定着していて、既存の野党の力では捻じ伏せられるしかない。負ける野党、咬ませ犬の万年野党の役割を演じるしかない。そのことは、今の立憲民主や共産やれいわの姿を見れば一目瞭然であり、今回の選挙でも奇跡は起こらないのである。自民や維新に勝つためには、マスコミに勝たないといけないのであり、マスコミの仕切りに従属するしかない既成野党の既成選挙に頼るのではなく、別の方式と戦略に打って出て投票率を上げないといけない。マスコミのコントロールを破壊するブレイクスルーを創出し対置するしかない。
その具体的な形態は、やはり新党であり、カリスマ的リーダーのメッセージとプレゼンテーションだろう。例えば、衆院選の比例で新党が800万票を掘り起こせば、投票率を65%に押し上げ、議席を21ほど獲得できる計算になる。新党で爆発的ブームを起こして曹国的な勝利を描く図柄とは、日本の場合、具体的にこのシナリオだろう。これ以上の得票は想像を超える地平だし、逆に、爆発的ブームが無投票層(選挙に行かない有権者)に点火した際は、400万票や500万票の規模では止まらないと想定される。日本の有権者の45%は頑なに投票を拒否する成人国民だが、彼らは選挙そのものを拒絶しているわけではなく、嫌忌し不信し無視しているのは既存の与野党と政治マスコミなのだ。無投票層であっても政治に関心があるのは、韓国やフランスやドイツと同じであり、一票で政治を変えたいという意思は持っている。だから、09年の政権交代の衆院選では69%という高い投票率を達成した。
私は過去のブログで、何度か新党や第3極の提案を行ってきた。その度に、09年の衆院選の投票率の件を説得材料として示してきた。今、約5700万人の日本人が衆院選で投票している。09年の衆院選では約7000万人が投票した。ざっくり、1300万人の人たちが無投票層になったまま15年間過ぎている。その15年間の永田町は、よく見れば景色は同じなのだ。真に有意味で本格的な変革の挑戦はない。敢えて言えば、橋下徹と山本太郎がニューフェイスで登場し、そして彼らも時間の経過と共に既成の永田町政党に収まったという程度である。1300万人はどうしているだろう。彼らに選択肢として魅力を感じてもらえる政治、それを提案し創出する必要があると思う。韓国やドイツのように。日本人もその政治ができるのだという能力証明をしないといけない。
最後に、テレビを見ていると、保守の有権者から票を取るためには野党はもっと政策を右へ寄せなくてはいけないという言説が溢れている。有権者は保守が多数でリベラルなど少数なのだから、リベラルの政策では選挙に勝てないなどと、山口二郎が真顔で愚論を垂れていた。無責任きわまりなく、劣化そのものの発言で腹立たしいが、これは政治認識として誤謬であり、鵜呑みにしてはいけない。7月の都知事選が接戦で惜敗であったなら、今頃こんな政治環境ではなかっただろう。「有権者の多数は保守」という表象と理解は、実際には、投票する55%の有権者の世界を見てのものであり、投票しない45%は捨象されている。45%は視界の外なのだ。もし変革が起きて65%が投票した場合は、韓国やフランスのような怒涛の現象が起き、左派の政策を支持する巨大な民意が出現し、「有権者の多数は保守」という固定観念は崩されるだろう。