米海兵隊が沖縄にいないと軍事的にまずいということは一切ありません。
安倍政権は、「米軍普天間飛行場の移転先は辺野古しかない。それが唯一の解決策だ」と強調しますが、海兵隊が沖縄にいる必要性はありません。
海兵隊は敵地強襲のための部隊なので、十分に戦術・戦略を練ってから行動に移ります。従って普段は広い範囲の何処にいてもよく、逆に何処にいなければならないということはありません。
現実に小泉政権時代に、アメリカの戦略的再編によって海兵隊をグアムに移転させるという話が出ました。しかし何故かそれを日本の「安保で喰う人たち」が引き止めたということです。勿論防衛上の必要性からではありません。多分自分たちの都合からだったと思われます。
森本敏元防衛相も先日、「海兵隊が沖縄にいなければ抑止にならないというのは軍事的には間違い」と明言したということです。
琉球新報が「悪質な印象操作はやめよ」と述べています。
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2014年9月15日 米海兵隊の沖縄駐留は不要 引き止めているのは日本政府
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(社説)日米防衛相会談 悪質な印象操作はやめよ
琉球新報 2015年4月9日
空疎な言葉が躍っている。そんな感想を禁じ得ない。
中谷元・防衛相がカーター米国防長官と会談した。記者会見で中谷氏は米軍普天間飛行場に関し、名護市辺野古への移設が「唯一の解決策だと確認した」と述べた。
注意したいのは、誰がどんな発言をしたのかだ。日本政府は「確認した」という言葉を使い、さも日米両政府の一致した見解だと思わせようとしている。だがカーター氏は「日米同盟のために非常に重要な措置だ」と述べたにすぎず、「唯一」とは言っていない。辺野古であろうとどこだろうと、米軍が自由に使える最新の基地ができるのは望ましい、という程度の意味であろう。
「辺野古が唯一」は、安倍晋三首相も菅義偉官房長官も繰り返す。通常は「抑止力の維持を考えた時」という枕詞(まくらことば)が付く。移設先が辺野古、あるいは沖縄県内でなければ、海兵隊航空団は機能を果たせないということになる。だがこれは、軍の実際の行動を検討したことがない人にだけ通用する理屈だ。
沖縄から数百キロ離れた本土に移った途端、海兵隊が軍事機能を失うということを、米政府または米軍の責任ある地位の人が語るのを寡聞にして聞いたことがない。軍事技術上は噴飯物の理屈だからだ。
強襲揚陸艦が拠点とする佐世保に近接していた方が移動には好都合である。海兵隊は敵地強襲のための部隊であり、何かを守備するのが本務ではない。いきなり敵地強襲するなどあり得ず、準備してから向かうのだから、千数百キロの範囲内で常駐する場所がどこか、という点に決定的な意味などない。
そもそも「抑止力」があるとすれば空軍や海軍による制空権・制海権がそれであって海兵隊ではない。だとすれば海兵隊の常駐は必要なのか。海兵隊が師団規模で米国外に常駐するのは沖縄だけである。戦後70年もたって軍事占領に等しい状態を考え直さないのは思考停止に等しく、およそ独立国家とはいえない。
政府も本当は「唯一」でないことなど分かっている。先日も森本敏元防衛相が「海兵隊が沖縄にいなければ抑止にならないというのは軍事的には間違い」と明言したのが、それを如実に示している。
分かっていて繰り返すのは、一般国民に「唯一」という誤解を刷り込むのが政府の狙いだからだろう。悪質な印象操作だ。もうこんな虚言はやめてもらいたい。