2015年4月21日火曜日

平和を願った愛川欣也さん 墨田区のメッセージ展に

 15日に肺がんで亡くなったタレントの愛川欽也さん(80)は、一貫して平和を願った人でした。
 東京都墨田区が開く「平和メッセージ展」には、21年前から平和への思いを寄せ、届けたメッセージ(無償)は計15通、そのうち13通に「平和」の文字が含まれていました。(朝日新聞)
 
 LITERAも、政治的な圧力に抗しながら最後まで反戦への思いを訴えた愛川欣也さんを称える記事を載せました。
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愛川欽也さん、平和願う15通 墨田区のメッセージ展に
朝日新聞 2015年4月18日
 写真・図版
 
 愛川欽也さんの今年のメッセージ

  15日に肺がんで死去した俳優でタレントの愛川欽也さん(80)は、東京都墨田区が開く「平和メッセージ展」に21年前から平和への思いを寄せていた。
 
 1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲で、現在の墨田区にあたる本所、向島両区では2万5千人以上の死者が出たとされる。区は92年から毎年、この日に合わせて平和メッセージ展を開いてきた。著名人や区民に、平和への思いを無償ではがき大の用紙に記してもらうように依頼し、展示してきた。
 愛川さんから届いたメッセージは計15通。そのうち13通に「平和」の文字が含まれる。シンプルでまっすぐな願いがにじむ。
 
 大切なのは、平和(94年)
 
 平和 大切なのは平和 忘れてはいけないのが平和97年)
 
 平和を忘れると戦争が近づく(99年)
 
 戦争はいつも弱い者いじめ。今、いじめをするのは、戦争と同じ罪悪です(01年)
 
 平和が本当に大事な時代に思えるようになってきました(03年)
 
 今、日々平和の大切さを感じます。(04年)
 
 何百回でも何千回でも平和が大切(09年)
 
 平和を守る(10年)
 
 平和ぼけと言われようとも、平和が大切と言い続けましょう(13年)
 
 区文化振興課の江藤一樹課長は「平和、という文字が力強く大きい。きっと人一倍強い思いを抱いていたのでしょう」と話す。
 
 すでに肺がんと判明していた今年も3月、メッセージが届いた。こう記されていた。
 
 反戦は 憲法を守ることです             (藤原学思)
 
 
「安倍さんに殺される!」愛川欽也が受けた圧力、そして最後まで訴えた反戦への思い
LITERA 2015年4月19日
 最期まで仕事復帰するつもりだった──。今月15日に死去した愛川欽也の最期の姿を、妻のうつみ宮土理が発表した。うつみによれば、愛川は仕事に戻ることに意欲を見せ、肺がんであることを公表しないでほしいと述べていたという。このうつみのメッセージに対しては、「愛川さんの仕事へのプライドには頭が下がる」「生涯現役を貫かれたのですね」など、仕事と真摯に向かい合った愛川の姿勢を称えるコメントがネット上に溢れた。
 
 俳優として、司会者として、映画監督として。さまざまな顔をもった愛川であったが、もうひとつ忘れてはいけないのが、彼の“平和主義者”としての側面だ。
 たとえば、愛川は東京都墨田区が主催する「平和メッセージ展」に21年間も出品。今年3月にも「反戦は 憲法を守ることです」という言葉を届けていた。この言葉からもわかるように、愛川は積極的に憲法改正に反対を唱えてきた
 
「憲法を素直に読んでごらんなさいよ。これ、誰がこさえたか、最初が英文だったとか、そんなことはどうでもいいんだ。立派なもんだよ。「戦争放棄」、つまり武力でもってよその国と争うことはしないなんて言っちゃう憲法なんてね、ちょっと嬉しくない?」
 「なんでも1番じゃなきゃいけないっていうのはもういいやと。オレ、日本は8番ぐらいでいいんじゃねえかと。
 でもさ、別の基準があって、「平和国家」と言えることは、すごく名誉なことだと思うんだけど、このごろの人たちは、あまり名誉だと思っていないみたいだな。
 たとえば、近隣諸国に馬鹿にされない、舐められないということが、国を守ること、愛することに、確かに通じちゃうんだね。ほんとうは、我々は戦争をしない国なんだ、ということでほかの国から尊敬されれば、それが国を愛することだと、ぼくは思うんですよ」(カタログハウス「通販生活」Webサイト掲載/2012年8月21日)
 
 本サイトでも昨日お伝えしたが、愛川の平和を願う気持ちには、自身が経験した戦争体験が根底にある。愛川は戦争を通じて得た思想をテレビ番組内でも打ち出していた。その最たるものが、1999年から司会をつづけてきた番組『愛川欽也 パックインジャーナル』である。
 当初、この番組はCS放送局・朝日ニュースターでスタート。そのときどきの時事問題を詳しく掘り下げ、政権や原発の批判を果敢に行うことで有名で、ジャーナリストのあいだでも「地上波での放送は無理」と言われたほど。権力をきちんとチェックし、検証しようという番組スタンスは、愛川の司会者としての矜持が強く反映されたものだった。
 
 だが同番組は、2012年3月31日をもって終了。4月7日からは愛川自身が立ち上げたインターネットメディア「kinkin.tv」で再スタートを切った。朝日ニュースター内でも人気を誇っていた番組だけに、終了時には視聴者から惜しむ声が多数寄せられたともいうが、じつはこの番組終了の裏側には、ある圧力の存在があった。
 
 というのも、朝日ニュースターは当初、テレビ朝日や朝日新聞社などが出資する「株式会社衛星チャンネル」が運営を行っており、衛星チャンネルは朝日新聞の子会社という関係だった。しかし、12年4月からはテレビ朝日が親会社となり、『パックインジャーナル』をはじめ、時事問題を扱う番組が一気に終了。いわば、政権批判など“危ないテーマ”を取り上げる番組を、テレビ朝日が一掃したのだ。
 
 いまから3年前の出来事とはいえ、現在、『報道ステーション』に押しかかっている自民党からの圧力、そしてそれらにひれ伏すかのように受け入れるテレビ朝日の態度を考えれば、これは“始まり”だったのだろう。こうしてテレビ朝日によって番組を潰されてしまった愛川は、その無念さを、このように語っている。
「朝日ニュースターは社長さんから始まって、スタッフのみんなも、ぼくはよく知っていましたから、「愛川さんの番組は、絶対に次が引き取るから、そのつもりでいてくださいよ」と言われて、ぼくもすっかりその気になっていたんです。当然、経営が変わっても、ぼくの番組は残るだろうと。正直言って、ギリギリまで安心していた。マイナーな局の放送ではあっても、ぼくの番組はそれだけの人気がある、と思っていたんでね。反響もすごく多かったし」
 「ぼくは、創成期のころからテレビに関わってきた人間ですが、あまりテレビは観ない。残念だけど、ぼくが観たい番組がほとんどないからね。そういう目線で見ると、ぼくの番組はちょっと邪魔くせえな、と新しい経営陣に思われたのかもしれない。これはぼくの偏見かねえ」(同前)
 
 政権も原発も、きちんと真っ正面から捉えて議論しよう。それが自分の観たいテレビだから──。そんな愛川の姿勢は、ネット上の動画サイトで引き継がれることとなった。愛川は言う。
「ぼくは自分で言いたいことを言う、出てくれるみなさんにも言いたいことを言ってもらう。そういうスタンスでずっとやってきたわけだから、いまさらそれを変えられないですよ」
 「生意気なようだけど、ぼく、変節しないんですよ。憲法とか民主主義とか戦争反対とか。譲れないでしょ? ぼくの原点だから」(同前)
 
 すでに肺がんが進行し、脊髄にまでがんが転移していたと言われる愛川。しかしそんななかでも、先月まで『パックインジャーナル』の放送をつづけてきた。先週号の「週刊文春」(文藝春秋)では、愛川が「このまま政権批判を続けていると安倍(晋三)さんに殺される」と口にしていた、という愛川の知人の証言を取り上げ、まるで認知症であると匂わせるような記事を掲載していたが、これは認知症ゆえの被害妄想でも何でもなく、愛川にとって本心の言葉だったはずだ。
 
 事実、テレビ局は自民党からの圧力に脅え、“言いたいことも言えない”空気が戦前のように充満しているのが現実だ。挙げ句、自民党は放送倫理・番組向上機構(BPO)さえも政府が関与できるように検討することを発表した。これがもし現実化すれば、あらゆるテレビ番組は政権によって監視され、都合の悪い番組を潰すことができるという“本気の言論統制下”に置かれることになる。この末恐ろしい社会を、愛川は予見していたのではないだろうか。
 愛川が守りつづけた『パックインジャーナル』の、最後の出演となったのは3月21日配信分。この本番前、愛川はコメンテーターの川内博史・民主党前衆議院議員にこう語っていたという。
「この政治状況では死んでも死にきれないよ」
 
 報道の自由、放送の自由が脅かされるなかで、またひとり、気骨のある放送人をわたしたちは失ってしまった。   (水井多賀子)