6日に中学校の教科書検定の結果が公表され、今後、市区町村の教育委員会がどの教科書を使うかを決める採択を行います。
7日と8日、多くの新聞が政府の教科書検定を批判する社説を掲げました。
琉球新報(8日付)は、「沖縄戦の「集団自決」に対する日本軍の強制性を明記した教科書が来年から姿を消したので、沖縄戦の実相、軍の非人間性、ひいては戦争の愚かさ、平和の尊さを教えられなくなる。この背景には2006年度高校教科書検定意見の効力が、今も残っていることがある。また「琉球処分」を正当化した教科書もあらわれた。06年の検定意見を撤回すべきで、過去に起きた出来事を正確に記し、その事実を教えることこそ教育である」としています。
西日本新聞(8日付)は、「社会科で領土の記述がほぼ倍増した。今春から使用する小学校の社会科教科書も全て竹島・尖閣を記述しており、義務教育段階から教える流れが定着し、政府の見解を教科書に記載する傾向が強まった。事実は正確に記し、違った意見も紹介するのが基本であり、政府が特定の見解を押し付けることは、政府によってその内容が変わることもあり得るから極力避けたい。多面的な解釈を客観的に示して、自ら考えさせるのが本来の姿であるはずだ」としています。
また社説ではありませんが、評論家の植草一秀氏は8日付のブログで「結論は無数にあることを教えるのが真の教育」と題して、「教育において大事なことは、ものごとについて、多様な主張、多様な見解があることを認識させ、そのなかで、「中立・公正・正義」についての考察を深めさせることである」と述べています。
以上の3つの記事を紹介します。
ちなみに7日、8日の関係社説は下記のとおりです。
【7日付社説】
【8日付社説】
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(社説)歴史教科書検定 事実を教えてこそ教育
琉球新報 2015年4月8日
日本にとって歴史とはこれほどまでに軽いものなのか。文部科学省が公表した中学校歴史教科書の検定結果には、そんな疑念を抱かざるを得ない。
沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に対する日本軍の強制性を明記した教科書が来年から姿を消す。これで沖縄戦の実相、軍の非人間性、ひいては戦争の愚かさ、平和の尊さを教えられるはずがない。
1996年度検定では8社中6社の教科書が「日本軍は集団自決を強要したり」などの表現で、軍が住民に死を強制したことを明記した。しかしその後、軍の強制性を明記する教科書が次第に減り、ついに一冊もなくなるのである。教育の危機と言わざるを得ない。
軍の強制性の記述がなくなった背景には「軍命の有無は断定的な記述を避けることが妥当」との2006年度高校教科書検定意見の効力が、今も残っていることがある。
「集団自決」での軍命の有無が争われた大江・岩波裁判判決は「集団自決には日本軍が深く関わっていた」と軍の関与を認定した。この間の検定結果はその判決を反映しておらず、看過できない。
何より、軍の強制については数々の証言がある。事実を書かないことを「妥当」とすることはできない。文科省が歴史教育の大切さを考えるならば、06年検定意見を撤回すべきである。
「琉球処分」の記述についても問題がある。自由社の教科書は「明治政府は日清戦争後、沖縄の近代化に本格的に取り組み」などと記し「琉球処分」を正当化している。
それだけではない。「1912年には衆議院議員選挙法が沖縄にも施行され、県民は国政にも参加できるようになりました」との記述は不十分である。衆院選実施は本土に遅れること22年、謝花昇らの参政権運動で実施が決まってから12年もたなざらしされた。
宮古、八重山を選挙区に加え、本土並みの定数5となったのは20年のことである。政府が沖縄を放置していた事実の明記を求めることこそ検定制度のあるべき姿だろう。
過去に起きた出来事を正確に記し、その事実を教えてこそ教育である。その当たり前のことを忘れては、子どもたちを望ましい方向へと導くことはできない。
一連の歴史教科書検定にはその視点が欠けている。
教科書検定 政府見解の扱いは慎重に
西日本新聞 2015年4月8日
文部科学省が来春から使う中学校教科書の検定結果を公表した。
領土の教育を強化させた学習指導要領解説書に沿い、社会科で領土の記述がほぼ倍増した。全教科書に島根県・竹島と沖縄県・尖閣諸島が登場し、多くが「固有の領土」と記述した。同科で政府見解の明記などを求めた新検定基準も初めて適用され、不合格本を含めて6件の意見が付いている。
今春から使用する小学校の社会科教科書も全て竹島・尖閣を記述しており、義務教育段階から教える流れが定着した。新検定基準と併せ、政府の見解を教科書に記載する傾向が強まったといえよう。
教科書の画一化が進み、異なる見解を基本に多角的な見方を育む従来の在り方が変容しつつある。
文科省が取り組む小中高校の学習指導要領全面改定では、知識偏重から脱却し、自ら考える力の育成に重点が置かれている。その実現には、子どもがさまざまな考え方を学び、複眼的思考力を持つことが欠かせないはずだ。今回の検定結果は「民間の創意工夫による多様な教科書」を作るという検定制度の本質に照らして問題をはらんでいると指摘せざるを得ない。
教科書検定制度は、戦前の一律的な軍国主義教育や国定教科書への反省から生まれた。事実は正確に記し、違った意見も紹介するのが基本だ。特に国際問題も出てくる社会科では、政府が特定の見解を押し付けることは極力避けたい。時の政府によってその内容が変わることもあり得るからだ。
文科省幹部は「韓国は、竹島が『自国の領土』と徹底的に教育している」と指摘し、対抗しようとする意向をにじませている。自国の主張を客観的に記載すること自体に異存はないが、教科書検定で政府見解を過度に強調することには危うさを感じざるを得ない。
一面的な見方だけでは子どもたちが問題の背景を理解するのは難しい。双方の国益や思惑などが複雑に絡み合う領土問題なら、なおさらのことだ。多面的な解釈を客観的に示して、自ら考えさせるのが本来の姿ではなかろうか。
結論は無数にあることを教えるのが真の教育
植草一秀の「知られざる真実」 2015年4月8日
子どもは未来を創る宝である。社会にとって、子どもは希望であり、輝きである。
その子どもたちをどのように育てるのか。これが大人の責任であり責務である。
教育の重要性は何にも増して重い。
日本はかつて道を誤った。戦争に突き進む道を歩んでしまった。
その過ちをもたらした大きな原因のひとつに「偏った教育」があった。
敗戦後の日本は、この反省の上に出発した。
その集大成が日本国憲法である。
(中 略 = 憲法及び領土に関する記述部分)
文部科学省が中学校教科書の検定結果を公表した。
社会科の全教科書に竹島と尖閣諸島が登場し、多くが「固有の領土」と書いた。
教科書づくりの指針となる学習指導要領解説書は、本来は抽象的な表現が多いが、竹島については「わが国固有の領土だが、不法に占拠されている」、尖閣諸島については、「わが国固有の領土で、領有権の問題は存在しない」と具体的に書き込まれた。
検定に合格しないと教科書として認められないため、教科書編集者は文科省の方針に従わざるを得ない。そして、その教科書が学校の授業で使われる。
尖閣諸島の日本領有は米国が認めていない。米国は尖閣諸島を領有権係争地としている。
韓国が竹島領有を宣言したのは1952年1月。日本が独立を回復する直前に韓国が、いわゆる「李承晩ライン」を宣言して竹島を韓国領有とした。この行動を無効とはしなかったのが米国である。
米国は竹島についても、その領有権について明確なスタンスを示していない。
教育において大事なことは、ものごとについて、多様な主張、多様な見解があることを認識させ、そのなかで、「中立・公正・正義」についての考察を深めさせることである。
ひとつの主張、ひとつの見解だけを「絶対的真実」として盲信させ、他の見解、他の主張を排斥することを教えることは、教育として「愚の骨頂」と言わざるを得ない。
こんな「愚の骨頂」の教育を振りかざそうとすることは、まさに「亡国の行為」と言わざるを得ない。
(以下は有料ブログのため非公表)