2014年12月15日月曜日

南京大虐殺から77年 中国が国家式典

 旧日本軍が77年に起こした南京大虐殺の犠牲者を悼む記念式典が、13日、中国の南京大虐殺遭難同胞記念館の広場で行われ、習近平国家主席ら国家指導者も参列しました。
 
 式典であいさつした習主席は「侵略の歴史を顧みない態度や、美化する言論は、人類の平和と正義を害するものだ」と批判する一方で、「少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたからといって、その民族を敵視してはいけない。戦争の罪は、人民にはない」と述べ、日中両国民の共同を呼びかけました。
 
 南京事件は、日中戦争初期の193712月13日(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、その後週間にわたって中国軍の軍人や捕虜、一般市民などを大量に逆殺した事件で、犠牲者の数については中国側は30万人以上とし、日本側は大体10万~20万人との見解を取る人が大半ですが、中には2万人程度と主張する人もいます
 犠牲者数ではまだ一致していないものの日本軍がこうした蛮行を行ったことは厳然たる事実であって、そのことを意識しなくなることは許されません。
 
 しんぶん赤旗の記事と南京大虐殺を目撃した軍人の証言などを紹介する櫻井ジャーナルの記事を紹介します。
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南京大虐殺77年 国家式典 中国習主席「侵略美化に反対」
しんぶん赤旗 2014年12月14日
 【北京=小林拓也】中国を侵略した旧日本軍が1937年に起こした南京大虐殺から77年となった13日、中国江蘇省南京市内の南京大虐殺遭難同胞記念館の広場で記念式典が行われました。中国政府は今年から12月13日を「国家哀悼日」と位置づけ、政府主導で大規模な式典を開催。習近平国家主席ら国家指導者も参列しました。
 
 式典であいさつした習主席は「侵略の歴史を顧みない態度や、美化する言論は、人類の平和と正義を害するものだ。これらの誤った言動に対し、平和と正義を愛する人々は高度に警戒し、断固反対しなければならない」と、名指ししなかったものの、日本の一部右翼勢力や安倍政権の言動を批判しました。
 
 一方、「少数の軍国主義者が侵略戦争を起こしたからといって、その民族を敵視してはいけない。戦争の罪は、人民にはない」と指摘。「中日両国の人民は友好を代々まで続け、人類の平和に共に貢献しなければならない」と、両国民の共同を呼びかけました。
 
 式典には、南京市民や日本など外国からの参加者ら約1万人が参列。式典冒頭、市内にサイレンが響き、参加者と市民らは黙とうし、犠牲者に哀悼の意を表しました。
 
 
12月14日は総選挙だが、77年前に日本軍が南京で虐殺や略奪を実行したことを忘れてはならない    
 櫻井ジャーナル 2014年12月13日
 今から77年前、1937年12月13日に日本軍は中国の首都だった南京を占領、女性や子どもを含む市民を虐殺、レイプ、略奪などを行ったと報告されている。その年の7月に日本の傀儡、冀東防共自治政府の保安隊を日本軍の飛行機が爆撃(誤爆だという)、それに怒った保安隊は北京近郊の通州で日本人を殺害、それに刺激されて日本兵が南京で暴走したとする見方もある。
 
  少し前にも書いたが、南京での出来事について少なからぬ日本軍の将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録している。また、支那派遣軍の岡村寧次総司令官は部下からの報告に基づいて「南京攻略時、数万の市民に対する略奪強姦等の大暴行があたのは事実」と書き残している。
 
  また、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告があり、そこには「略奪、強姦 目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が師団長クラスの退廃ぶりを嘆き、三笠宮崇仁が著書の中で「日本軍の残虐行為」や「毒ガスの生体実験」について触れたことは有名な話だ。
 
  松井は1878年の生まれなので、事件当時は59歳。一応、明治になってから生を受けたわけだが、まだ徳川時代の文化、伝統の影響を強く残していた。それに対し、退廃していたという師団長より若い人びとは明治政府によって作り上げたと言える。1890年に発布された「教育勅語」で「忠君愛国」と「儒教的道徳」がたたき込まれた人たちだ。
 
  事件当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数については市内をくまなく調べたわけではないので総数はわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと中島は話していた。
 
  虐殺がなかったという主張は論外として、殺害された市民の数を中国側は30万人、日本では10万から20万人と言う人が多いようだ。被害者側は攻略戦を含めて大きく推計、加害者側はできるだけ少ない数字を出してくるため、数字に開きがあるのは当然。
 
  例えば、1982年にイスラエル軍がレバノンへ軍事侵攻した際、虐殺事件があった。イスラエル軍が包囲していたサブラとシャティーラ、両難民キャンプでイスラエル軍の手先として動いていたファランジスト党の戦闘員が手を下したのだ。
 
  犠牲者の数をレバノン政府は460名としていたが、国際赤十字が確認した死体だけでも663体あるのでこれは論外として、イスラエルの報告書は700名から800名、PLOは死者と行方不明者を合わせて5000名から7000名、現地を取材したジャーナリストによると、ブルドーザーなどを使って隠されたり運び出された死体があり、それを加えると3000名以上が殺されただろうとしている。
 
  南京を攻略した際、憲兵隊が組織的に略奪を行ったとする報告もある。政府が保有する資産を奪っただけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを奪ったというのだが、この攻略戦を指揮していたのは事実上、上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦、昭和天皇の叔父にあたる人物で、松井石根は戦後、朝香宮の身代わりになって処刑されたと言われている。
 
  安倍晋三政権は集団的自衛権を強引に導入しようとしている。この問題を考える上でも日本が明治以降、東アジアで何をしてきたのかをきちんと考えなければならない。