2014年12月10日水曜日

日本ペンクラブが開戦の日に当たり声明

 8日、太平洋戦争開戦記念日に当たって日本ペンクラブが声明を出しました。
 
 声明は、「惨憺たる歴史の反省から再出発した日本は、近年、大きく変質しようとしている」として、国は、「特定秘密保護法によって、軍事・諜報情報も不都合な情報も恣意的に隠しおおせるようになった。集団的自衛権の発動によって、世界のどこででも武力の行使と戦争を行える態勢を整えようとしている。また、あの過酷な原発事故にも関わらず、原発推進を再び国策として掲げ、再稼働を急いでいる」と指摘し、これらは「かつての強権的な国家、絶対の国策の再来」に他ならず、「この先に目指されているのは、日本国憲法の根幹にある主権在民・平和主義・基本的人権等の精神の簒奪と否定であろう」と警告しています。
 
 これまでの声明は会長名で出すことが多かったのですが、今回は副会長、専務理事、常務理事も加わり、全9名の連名となっています。
 戦前回帰を目指す安倍政権への懸念の深刻さとペンクラブの無言の決意が読み取れます。
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日本ペンクラブ声明 【太平洋戦争開戦の日に当たって】
 
 いま、近年のこの国の様子を静かに顧みるとき、世の中がぐらりと傾いてくるような気分に襲われることはないだろうか。この重苦しい気配はどこから生じているのか。
 
 一九四一(昭和十六)年十二月八日、七十三年前のこの日、日本は太平洋戦争に突入した。その十年前からつづく日中間の戦争が泥沼化するなか、国際的孤立は深まり、景気は冷え込み、民心も鬱屈した。そのあげくの開戦はつかの間、閉塞感を打ち破るかのような幻想をあたえたが、それこそ近隣諸国の人々をも不幸に陥れて突き進んだ大破局への道であった。
 
 あの時代、政治権力と軍部は一体化し、経済界もアカデミズムもマスメディアも翼賛体制の下に組み敷かれた。日本ペンクラブも、その間、いっさいの自由な言論・表現活動を封じられ、文筆家としての生命を奪われた歴史を持つ。
 
 権力の野放図な振る舞いに歯止めをかける仕組みを、社会の土台に据えなければならない(主権在民・立憲主義・三権分立)。
 戦争は絶対にしてはいけない(平和主義)。
 一人ひとりの尊厳と人権は十分に尊重されるべきだ(基本的人権)。
 
 私たちの戦後は、こうした基本的原則に基づいて始まったはずであった。
 しかし、惨憺たる歴史の反省から再出発した日本は、近年、大きく変質しようとしている。
 政府は、特定秘密保護法によって、軍事・諜報情報も不都合な情報も恣意的に隠しおおせるようになった。集団的自衛権の発動によって、世界のどこででも武力の行使と戦争を行える態勢を整えようとしている。また、あの過酷な原発事故にも関わらず、原発推進を再び国策として掲げ、再稼働を急いでいる。
 
 これらが、かつての強権的な国家、絶対の国策の再来でないとしたら、いったい何だというのか。この先に目指されているのは、日本国憲法の根幹にある主権在民・平和主義・基本的人権等の精神の簒奪と否定であろう。それは、この社会を、国家を前面に押し立て、個々人の生命の安全や人権を二の次にし、戦争も辞さない世の中につくり替えていくことに他ならない。
 これら差し迫った事態が、日本の現在に重苦しさをもたらしている。
 
 これまで長い間、戦争の記憶は終戦記念日と結びつけられ、語られてきた。玉砕・空襲・原爆・飢餓・抑留等々の悲惨な戦争体験から学ぶことは、いまも少なくない。だが、今日の事態はそれにもまして、こうした悲惨さをもたらした元凶にまで遡り、現在の動きと重ね合わせて見ることを私たちに促している。
 
 私たちは十二月八日を忘れない。その失敗から得た痛切な教訓こそ、日本の現在を歴史のながれのなかで見定め、未来を見通す決定的な手がかりとなる、と信ずるからである。
 
               二〇一四年十二月八日     
      
一般社団法人日本ペンクラブ     
会長          浅田 次郎  
副会長        下重  暁子                                                                                            中西   進    
西木 正明 
専務理事      吉岡   忍      
常務理事     高橋千剱破
野上   暁    
堀   武昭   
松本 侑子