安保法に反対する山梨 学者・大学人の会は、8月28日に安保法に反対する声明を出していますが、10月1日に、「安保関連法の成立を糺し、さらなる平和主義の実現を目指して」とする声明を出しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(安全保障関連法案に反対する山梨学者・大学人の会)
声 明
「安保関連法の成立を糺(ただ)し、さらなる平和主義の実現を目指して」
はじめに
安倍政権は去る9月17日午後4時半過ぎ、参議院安保特別委員会で懸案の実質11本からなる安全保障関連法案を与党自民党、公明党及び一部会派の賛成による多数で強行採決し、翌18日に本会議を開催、19日未明に与野党による最終討論ののち採決を強行した。
しかし、この過程を立憲主義、民主主義、平和主義からなる日本国憲法の基本原則の視点から捉えたとき、それを国民の前に明らかにし、強く批判すべき多くの問題点があることは明らかである。この声明は、以下その問題点を指摘し、安倍政権を厳しく批判するとともに、これまでの皆様の健闘に応え、今後へ向けての運動の嚆矢としようとするものである。
(1) 「立憲主義、民主主義の視点よりみた本法成立の問題点」
まず立憲主義、民主主義の視点からみると、日本国憲法は統治の基本として議会制民主主義をとっているが、憲法は民主主義が単なる多数決主義に矮小化されないためのいくつもの仕組みを用意している。例えば、議員の資格争訟で議席を失わせる場合、会議を秘密会にする場合、議員を除名する際の議決、そして法律案について両院の議決が異なる場合の衆議院での再議決の場合等である。これらの場合は単純多数決による多数派の専断を防ぐ意味で出席議員の3分の2以上の多数の同意が必要とされ、さらに96条による憲法改正の場合は加重要件が重く、総議員の3分の2以上の多数の同意が必要とされていることは再度記憶されるべきことである。さらにこれらの趣旨は国会法にも生かされ、議員の議案提出権は衆議院で20人以上、参議院で10人以上の同意の下に少数派にも保障され、また会期制の原則、会期中に議論が尽くされない議案についての「会期不継続の原則」等が多数派の数による横暴を防いでいる。
このように憲法に定められた議会制民主主義の原則は、採決至上主義ではなく案件に対する多面的な角度からの熟議と合意形成のプロセスをこそ重視したものといえる。
この視点から今回の事例をみると、先ず6月22日の衆議院本会議で前例のない会期の95日間の延長を決め、政権の法案採決に向けたなりふり構わぬ強引な意思を確認する。これは参議院での審議が滞った場合の60日間ルールの適用を視野に入れたものであると同時に、6月4日の衆議院憲法審査会における与党推薦も含む3人の憲法学者(参考人)による明確な「本法案は違憲」との憲法判断の衝撃によるものであった。以降国民世論は「安保法案に反対し、違憲」とする意見が常に50%を超え(賛成との差は常に20ポイント以上)、「今国会で成立させるべきでない」との意見が65~68%、「政府の説明は不十分」との意見が80~85%と、政権の意向と国民の意見・意思とが大きな乖離を示し、その状態は4か月以上にわたったまま現在まで続いているのである。
このようななか、政府は7月15日衆議院安保特別委員会で、徹底した議論と廃案に向けた審議の継続を望む国民の声を無視して自民・公明両党のみで採決を強行(16日本会議で可決)、さらに7月27日からの参議院の審議においては、憲法研究者や分野を横断した学者・研究者だけではなく、内閣法制局長官経験者や元最高裁長官も含む最高裁裁判官経験者6名が「違憲」または「立憲主義を無視するもの」との見解を表明(さらに全国の元裁判官75名も反対声明を公表)するなか、政府答弁は迷走をきわめ、法案の根拠を支える立法事実がことごとく破綻し、理論的には「違憲」、国民の意思としては「違憲」「説明不足、採決不当」との結論が圧倒するなかにおいて、今回の採決が再度強行されたのである。
このことは、①議会制民主主義を単なる多数決主義(多数派による専制)へと貶めるということだけでなく、②運動とその中での議論を通して明確に国民の中に陶冶・形成されてきた憲法制定権力の当事者としての主権者意思をふみにじるものとして、二重に憲法の視点から糾弾されなければならないものである。なお本安全保障関連法は昨日9月30日公布、来年3月末の施行が予定されている。
(2) 「平和主義の視点よりみた本法成立の問題点」
さらにまたこのことは立憲主義をふまえた平和主義の視点からも以下のように批判されなければならない。そもそも今回の法案は、去る4月27日に日米間で合意された政策文書である「防衛協力の指針(2015年新々ガイドライン)」の実現を目指すものであり、その内容と結論はすでに与えられていたものであった。そのことは同29日の米議会における演説で首相自らが「関係法案を夏までに成就させます」と国会審議が始まる1か月も前に対米公約したことのみに窺われることではない。これも国会審議で明らかになったことであるが、その4か月前の2014年12月17日・18日に河野統合幕僚長は、統合参謀本部議長を含む米4軍の最高幹部と政策内容について協議を行い、沖縄を中心に在日米軍基地の日米共同使用、日米共同作戦体制の強化、安全保障関連法案の8月までの実現、辺野古移設の貫徹等を約束しているのである。さらにその内容は、5月26日に作成されたとされる統合幕僚監部文書「日米防衛協力のための指針及び平和安全法制関連法案について」でより体系化され、そこでは日米共同作戦計画の立案と実行を従来の包括調整メカニズムを改編した常設機関としての日米同盟調整メカニズムとその下に設置される日米軍軍間調整所に委ねる構想が示されているのである。そして政府はこのような枠組の中で、法案成立の9月19日当日のうちに早くも、法案成立により新設される米軍等の武器等防護のための武器使用(自衛隊法95条の2)及びPKO法改正に伴い所謂任務遂行型武器使用を可能とする「駆け付け警護」のあり方等を含め、自衛隊の新部隊行動基準(ROE)の作成に直ちに着手する旨表明しているのである(因みにこの新行動基準は米軍等との共通の行動基準に道を開くものである)。
このように自衛隊という実力組織の編成と行動態様が国会のコントロールから完全に離れ、ガイドラインという政府間の取り決めの下、アメリカ主導で軍・「軍」(自衛隊)間のイニシアチヴで一貫して進んでいくということは、実力組織のあり方を徹底して主権者国民の意思と議会のコントロールの下に置いた立憲主義の要請に反するだけではなく、軍事事項に関しては、組織法上も作用法上も政府に固有の権限を認めてこなかった憲法の平和主義原理と真っ向から対立することは明らかである。
(3) 「今後の平和主義、民主主義の実現を目指して」
以上、今回の安全保障関連法案の審議と採決に至る過程から明確になった問題点を、その手続きと内容の両面から憲法を基点として検討してきた。
それらをふまえて考えると、これらの主要な論点について多くの国民が異を唱え、「採決阻止、憲法を守れ!」の一点で手を結び世代と階層を越えて短期間のうちにこれだけの結集を示してきたしてきたことは、日本国憲法こそが「国民の生命と自由、幸福追求権」を守りそして「世界の人々」(all people of the world、憲法前文)と共有すべき平和を実現する上で最高の「規」であり絆であることを示している。このことはまた「選ばれた指導者よりも社会の方が、より平和志向が強い」(リチャード・フォーク)ことを再確認しているともいえよう。さらにこの点で語られるべき民主主義とは、首相のいう「民主主義なので最終的に決めるのは多数決だ」「選挙で選ばれた以上、私が最高責任者だ」などというものではなく、街頭にこだました「民主主義ってなんだ」(What Democracy Looks Like?) 、「これだ」(This is Democracy)との多数の主権者国民の声に呼応する真摯な応答でなければならないことは明らかである。そしてこのようななかで築かれ深められた絆は、今回の政府の暴挙にいささかもひるむことなくそれを乗り越えてさらに発展していくのである。
以上、そのことに揺るがぬ確信を込めて (8月28日に続き) ここに本会の再度の声明を公表する次第である。
2015年10月1日
安全保障関連法案に反対する山梨学者・大学人の会