日刊ゲンダイ 2015年10月12日
安保法制が成立し、日本の立憲主義がいよいよ風前の灯となった中、先月末に衝撃的なニュースが流れた。昨年7月、安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際、その経緯を検証する公文書が内閣法制局内に残されていないことが分かったのである。問題の閣議決定は安倍首相が設置した有識者懇談会の報告書を受けて、与党の幹部が横畠裕介内閣法制局長官と非公式協議を重ねた上で、与党協議会において文言が練られた。その議事録がないとは、反知性主義政権の正体をむき出しにするものだ。内閣法制局研究で知られる西川伸一教授の驚愕と怒り――。
――このニュースを聞いたときはいかがでしたか?
常識では考えられないことで、反知性というか、「由らしむべし知らしむべからず」も極まれりというか。とにかく、信じられない思いです。今度の安保法制、その前提となった集団的自衛権行使容認の閣議決定は、戦後の安保政策の転換点になる重要な検証事項です。その記録がないというのは、歴史の検証に堪えられないということで、都合が悪いことは隠してしまえ、という態度です。これは民主主義の否定です。
――公文書がないということは、ウッカリでも何でもなくて、意図的にわざと残さなかったとみるべきなんでしょうね?
そう勘繰りたくなります。内閣法制局は他の省庁が作った法律案はすべてチェックし、添削する。その書き込みの入った法律案の審査記録は残ります。閣議決定の文案を作成する際も、同じやり方を取ると思います。内閣法制局の官僚がいくら頭が良くても、今回のようにあれだけの長い文章を口頭でのやりとりで、頭の中だけで議論できるわけがありません。当然、何らかの文書は残っているはずで、それがないということは、あえて公文書管理法に引っかからないような形にしたと受け止められても仕方がない。メモ書きや手控えにして、法律上公開の対象にならないようにしたのではないかと。
――となると、法制局もグルになって、周到に憲法破壊のクーデターの謀略を張り巡らせていた?
謀略かどうかは別として、最初にもう結論ありきだったのは間違いないと思います。どんな形にせよ、集団的自衛権を行使できるようにしたい。そのために、どういう理屈を導き出すか。限定的な集団的自衛権の行使は憲法上解釈可能だと主張し、ホルムズ海峡に自衛隊を出せるようにする。最初はフルスペックでなくてもいい。突破口さえ開けばいい。そういうシナリオだったのでしょう。だから、安倍首相は外務省から小松一郎氏を長官として送り込んだ。小松長官(2013年8月~14年5月)は昨年3月に、「(憲法解釈について)頭の体操をしている」と国会で答弁している。法制局の中では、相当揉めたと思いますよ。しかし、歴史的な閣議決定をすれば、後々、その文案の決定過程を記した文書について情報公開請求をされる。それでは内情が分かってしまい困るので、法制局は公的な文書の形にしなかったのではないかという「推定」が働く。
――まさしく、密室で民主主義を蹂躙したわけですね?
こうやってふたをすれば、短期的には法制局内の意見対立が表に出ずメンツを保てるでしょうが、中長期的には大きな禍根を残すことになる。時の政権が長官の首をすげ替えて圧力をかければ、すんなり実質的な改憲ができてしまう。もし政権が無理なことを求めれば局内がぎくしゃくする、その証拠を残しておけば、政権側にも遠慮が働くでしょうが、それは記録上ないことになってしまった。その前例を作った罪は非常に重いと思います。
■勘違いとナルシシズムの首相が暴走する恐ろしさ
――トップを代えるのは安倍政権の常套手段ですね。
日銀総裁、NHK会長とみんなそうです。トップに自分の息がかかった人物を据えて。トップダウンで意のままにしてしまう。
――それが政治主導であるというのが安倍政権の考え方です。
勘違いしてますね。立憲主義や順法精神をも政治主導が凌駕できると思っているとしたら、とんでもない話です。それは政治主導ではなく、権力の乱用であり、暴走です。
――安倍政権は選挙で選ばれたのだから、何をしてもいいと考えていますね?
自分が責任を取る、最高責任者は自分である。そういうナルシシズムです。だから、法律も憲法も民主的手続きも慣例も尊重する気がない。自分に権力が白紙委任されたと思っている。理解できない感覚です。
――今後、内閣法制局はどういう組織になっていくとお考えですか? もう国会でどんな答弁をしようが、国民は聞く耳を持たないんじゃないですか?
そうだと思います。端的に言えば、法律の番人から政府の番犬に変わった。人が犬になったのです。内閣法制局の権威、そこへの信頼は失墜しましたね。
――内閣法制局はもともと、内閣の下に位置するのだから、独立なんかしていない、そういう議論もありました。つまり、法制局は内閣の法律顧問であって、クライアントに逆らえない。
これまでも政権寄りであったのは間違いないのですが、それでも最後の一線は保っていた。従来の憲法解釈を逸脱せず、法的安定性を重視し、憲法上できないことは首相に進言してもやめさせてきた。一応の歯止め、ブレーキ役だったんですよ。政権が確立された憲法解釈や法律を超えて暴走しようとすれば、法制局がブレーキを踏む。だから、国会においても最後に法制局長官が答弁すれば、野党も引き下がった。しかし、今度のことで、内閣法制局の政権内の位置づけ、意味づけは大きく変わったと思います。政権が右を向けと言えば右を向く。タガが外れ、暴走政権が立憲主義を破壊するときに免罪符を発給する機関に堕した。そう言っていいと思います。
■「今後も政治の圧力が強くなるでしょう」
――よく中の人は黙っていますね。
辞表を叩きつける人がいればいいんだけど、七十数人の組織だから、逆らえないのでしょう。内閣法制局の前身の法制局は1885年12月23日に発足しています。伊藤博文内閣ができたのは12月22日ですから、その翌日のことです。当時は条約改正が明治政府の最大の目標で、そのためには西欧列強から法治国家として認められることが重要だった。そのための法体系を整備するのが法制局の役割で権限は強かった。戦前は各省庁の定員管理までやっていて、司法試験も管轄した。軍部が人を増やしたいといっても法制局が反対すれば通らず、軍部に意見できる唯一の機関といわれたものです。そうした栄光の歴史が一瞬で潰えた。
――彼らが存在理由を失うのは自業自得だとして、これによって、法体系そのものが崩れてしまう危険はありませんか?
安保法制は例外だ、法制局の官僚はそう主張するかもしれませんが、そうはいきません。政治の側は、「この前一度、憲法解釈を変えたじゃないか」と言ってくる。政治の圧力が強くなるでしょうね。今後は公共の利益のために人権を制限するような法律がたくさん出てくる可能性もあります。それらに対する違憲訴訟もいっぱい出されるでしょう。内閣法制局が通した政府提出の法律で裁判所が違憲とした法律は、戦後一件もなかった。しかし、これから相次ぐと予想される違憲訴訟で違憲判決が出されれば、法制局の権威は地に落ちるでしょうね。
――反知性の政権の暴走を止めるには、どうしたらいいと思われますか?
学者やマスコミが「これはおかしい」という声を上げ続ける。米国だって、ヒラリー・クリントン前国務長官のメールは全部、保管されていて、公開を余儀なくされました。歴史の検証に堪えられるようにきちんと記録を残していく。政権にこうした知的誠実さがなければ、民主主義国家を名乗る資格はない。そうした当たり前のことを訴え、安倍政権の横暴を国民に伝える。支持率が下がらない限り、彼らは反省をしないと思います。
▽にしかわ・しんいち 1961年生まれ。明大卒、明大大学院中退後、明大専任助手を経て、専任講師、助教授、教授。専門は国家論、現代官僚制分析。「これでわかった!内閣法制局 法の番人か?権力の侍女か?」(五月書房)、「城山三郎『官僚たちの夏』の政治学―官僚制と政治のしくみ―」(ロゴス)など著書多数。