2020年5月23日土曜日

23- 「賭けマージャン検事長」と新聞記者らの癒着

 日本はかねて海外から「中世の司法(⇒ 検察)」と酷評されていますが、なぜそこまで貶められながら何時まで経っても改善されないのでしょうか。それは何よりも検察の傲慢さからですが、メディアの側から全く批判が出されないこともそうした在り方を助長してきました。
 法務省とメディアの癒着は記者クラブ制度の悪しき例としてこれまでも一部の人たちから指摘されてきたところです。今回、思いがけずに恒常的な賭け麻雀が暴露されたことで黒川検事長が失職に追い込まれたのは喜ばしいことですが、検察と新聞社との癒着が明らかになったのも極めて喜ばしいことでした。
 私たちは「検察とメディアの癒着」という視点をクリアに維持するべきです。

 PRESIDENT on lineに「新聞社説を読み比べる」を連載している沙鴎 一歩氏が「『賭けマージャン検事長を週刊文春に売った産経新聞関係者とはだれなのか」とする記事を載せました。

 その趣旨は、黒川氏の賭けマージャンを週刊文春に売った産経新聞関係者の行いは、「情報源・取材源の秘匿」の原則に反するという追及です。メディアが「情報源・取材源」を秘匿することは極めて重要な原則でありそれは指摘の通りなのですが、メディアが検事長を情報源にしていたという実態をありありと示したものでもあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「賭けマージャン検事長」を週刊文春に売った産経新聞関係者とはだれなのか 
沙鴎 一歩 PRESIDENT on line 2020/05/22
産経も朝日も社員の「賭けマージャン」を認めて謝罪
検察ナンバー2の黒川弘務・東京高検検事長(63)の賭けマージャン問題について、新聞各紙が5月22日付の社説で一斉に取り上げた。産経新聞と朝日新聞は、記者らが黒川氏と賭けマージャンをした事実を認め、「取材のためと称する、不正や不当な手段は決して許されない」(産経社説)、「社員の行いも黒川氏同様、社会の理解を得られるものでは到底ない」(朝日社説)と社説に書いている。

黒川氏は「検察庁法改正案問題」の発端となった人物だ。今年2月に63歳の定年を迎える予定だったが、直前の1月末に安倍政権が半年間の定年延長を閣議決定した。改正案は黒川氏のこの異例人事を後付けで正当化するものだと批判されてきた。
産経新聞と朝日新聞の謝罪は当然である。そして、謝罪すればいいというわけではない。まだ「取材源の秘匿」という重大な問題が残されている。これは「社会の公器」ともいわれる新聞の存在意義に関わるものだ。

詳細な情報を週刊文春に提供した「産経新聞関係者」
産経新聞(5月22日付)は1面に「本紙調査 おわびします」との見出しを付けた謝罪記事を載せた。社説を取り上げる前に、この謝罪記事について触れたい。
謝罪記事は「個別の記者の取材先などについて記事化した内容以外のことは、取材源秘匿の原則に基づき一切公表していませんが、記者自身の不適切な行為などについては必要に応じて公表しています」と書いている。
沙鴎一歩が気になるのは、「取材源秘匿の原則」という部分だ。
21日(木)発売の週刊文春は、冒頭部分で「『今度の金曜日に、いつもの面子で黒川氏が賭けマージャンをする』」「こんな情報が、産経新聞関係者から小誌にもたらされたのは4月下旬のことだった。『今度の金曜日』とは5月1日を指していた」と書いている。
さらに賭けマージャンの場所をAという産経新聞社会部記者の自宅マンションと特定するなど、「産経新聞関係者」が詳細な情報を週刊文春に提供したような書き方をしている。この「産経新聞関係者」とは一体、だれなのか。

新聞人の風上にも置けない軽蔑すべき人物
「関係者」とぼかされているが、仮に産経新聞社員だとすれば新聞人の風上にも置けない軽蔑すべき人物である。取材者にとって最も大事なことは「取材源の秘匿」である。私たち読者は新聞記者が守ってくれることを固く信じて情報を提供する。内部告発を行い、社会や組織の不正を直そうと試みる。
それどころか、今回は「取材先の検事長と賭けマージャンをする」という情報が、外部の週刊誌に筒抜けだった。産経新聞が「情報源秘匿の原則」を重視するというなら、なぜ情報が漏れたのか、どういうルートで伝わったのかということを詳しく検証する必要がある。そうでなければ読者の信頼を取り戻すことはできないだろう。
朝日社説は「公訴権をほぼ独占し、法を執行する検察官として厳しい非難に値する。辞職は当然だ」としたうえで、こう書いている。
「マージャンには、記者時代に黒川氏を取材した朝日新聞社員も参加していた。本日付の朝刊にこれまでの調査の概要を掲載し、おわびした。社員の行いも黒川氏同様、社会の理解を得られるものでは到底なく、小欄としても同じ社内で仕事をする一員として、こうべを垂れ、戒めとしたい」

不祥事の謝罪をした後、政権批判をしても説得力がない
「おわび」とは、岡本順・執行役員広報担当の「新型コロナ感染防止の緊急事態宣言中だったこととあわせて社員の行動として極めて不適切であり、皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを重ねておわびします」というコメントだろう。
これは産経新聞のおわび記事に比べると、紙面での扱いはあっさりしていて小さい。関係した社員の人数に比例しているのかと勘ぐってしまう。
朝日社説は「こうべを垂れた」後、こう続ける。
「そのうえで、今年1月以降、黒川氏の処遇をめぐって持ちあがった数々の問題や疑念が、この不祥事によってうやむやにされたり、後景に追いやられたりすることのないよう、安倍政権の動きを引き続き監視し、主張すべきは主張していく」
安倍晋三首相を嫌う朝日社説らしいが、自社の社員の不祥事の謝罪をした後、手のひらを返すように矛先を安倍政権に向けても、あまり説得力がない。今後、当面の間、朝日は苦しい立場にあるだろう。

「総理大臣として当然責任がある」と述べた安倍首相
さらに朝日社説は指摘する。
「世論の批判をうけて法案の今国会成立は見送りが決まり、続けて混迷の『出発点』となった黒川氏が職を辞す。内閣の政治責任は極めて重い」
1月の閣議決定をさかのぼって取り消し、検察庁法改正案は撤回する。事態の収拾にはこの二つと経緯の説明が不可欠だ」
沙鴎一歩も、改正案は継続審議を止めて廃案にすべきだと思う。
最後に朝日社説はこう主張する。
「首相はきのう、黒川氏の定年を延長したことについて、『総理大臣として当然責任がある』と記者団に述べた。問われているのはその責任の取り方だ。これまでのように口先だけで済ませるわけにはいかない」
安倍首相はこの朝日社説の主張を真摯に受け止めて、これまでの口先だけの国会答弁と記者会見を深く反省し、私たち国民のための政治に力を尽くすべきである。

産経新聞は取材源を守り抜くことができるのか
産経社説はその中盤で「新聞記者も同様である」と指摘し、新聞倫理を取り上げる。
「12年に制定された新聞倫理綱領は、すべての新聞人に『自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない』と求めている」
12年とは平成12年、つまり西暦2000年のことだ。産経新聞はいまだに元号を使い続けている珍しい新聞だ。そして「自律」と「品格」。新聞倫理綱領が示すように新聞記者にはどんな場面でも公器にふさわしい振る舞いが求められる。だからこそ今回の「賭けマージャン」は本当に残念だ。
産経社説は書く。
「取材過程に不適切な行為があれば、社内規定にのっとり、厳正に処分する。取材のためと称する、不正や不当な手段は決して許されない」
「ただし、取材源秘匿の原則は守る。取材源、情報源の秘匿は報道に従事する者が、どんな犠牲を払おうと、堅持しなくてはならない鉄則である。報道の側からこれを破ることはあってはならない。取材相手との接触の詳細は、秘匿の対象にあたる。鉄則が守られなくては、将来にわたって情報提供者の信用を失うことになる」
なるほど主張は素晴らしい。しかし、前述したように産経新聞は情報が外部に漏れている。「産経新聞関係者」が週刊誌にみずから情報を漏らしているのだ。それで取材源を守り抜くことができるのだろうか。今後、謙虚に検証を行い、その結果を紙面で公表しなければ、読者は逃げていくだろう。
ところで黒川氏は大の賭けマージャン好きだという。そう言われるぐらいだから、黒川氏と賭けマージジャンをしていた記者は、今回の産経や朝日以外の社にもいるはずだ。記者たちはいつ自分が週刊誌に書かれるか、不安にさいなまれているのではないだろうか。自業自得である。