小川淳也議員は、かつて安倍政権によるGDP(国内総生産)の偽装・統計不正を鋭く追及し、一躍「時の人」になりました。その後も安倍首相の「モリカケ」問題、「桜を見る会」問題などで首相を厳しく追及しました。小川氏は議員になる前に9年余り官僚を経験したので、その経験が的確な資料を収集・分析して政府の偽装を明らかにするうえで大いに生かされたものと思われます。
インタビューはコロナ対策に始まって、民主党政権が転覆され現在に至っている背景の分析に及んでいますが、発言の一つひとつが実に明快で 説得力があります。
立憲民主党はいまや化けの皮が剥がされて、先般の世論調査では支持率が維新の党の後塵を拝すところまで凋落しました。
小川氏はそういう言及はしていませんが、インタビューを読むと、要するに「何を考えているか分からない枝野氏」と「裏では自民と通じ合っているかも知れない安住氏」のラインではどうにもならないことを感じさせます。
日刊ゲンダイが小川淳也議員に直撃インタビューしました。
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注目の人 直撃インタビュー
小川淳也議員 野党は失態を引き取る覚悟と決意に欠ける
日刊ゲンダイ 2020/05/11
安倍政権が新型コロナウイルス感染症対策を巡る数々の失態で支持率を下げているのに、野党の存在感は薄い。「政府批判を控えるべき」「ワンチームで国難を乗り切ろう」など挙国一致の雰囲気が漂う中、「野党の最大の仕事は政策を批判的な立場から検証すること」と冷静に語るのが衆議院議員の小川淳也氏だ。来月13日から順次全国公開されるドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)の主役でもある。統計不正問題の追及で一躍時の人となった“統計王子”が描く野党像とは――。
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――これまでの政府のコロナ対策をどう評価していますか。
一連の問題の根源は、初動段階でPCR検査の対象を絞ったことだと考えています。政府はずっと、37・5度以上の発熱があっても原則4日間は自宅で様子を見なさいと言ってきました。しかし、体調が急変したり、検査を受けても病院に入れずに自宅で亡くなったりする事例が相次いでいます。院内感染や救急車のたらい回し、他の疾病の治療の先送りなどの問題も発生しています。感染者かどうかの確信が得られなければ、受け入れ体制の十分でない病院にとっては怖いですよね。
――すでに2月の時点で、検査対象を拡大すべきと議論されていました。
検査対象を絞った理由は何だったのかを考えると、当時、中国の習近平国家主席の国賓来日や東京五輪を控える中、検査拡大や中国からの入国を制限できない心理が働いたのではないか。政府が旗を振って検査を支援した韓国や台湾は、早期に感染を抑え込んでいます。日本政府の初動の遅れ、特に検査の抑制と、その政治的背景は厳しく問われなければなりません。
――政府もようやく検査拡大の音頭を取り始めましたが、自治体独自のドライブスルー検査の他に、広がる気配がありません。
どれだけ感染者がいるのか実態を把握しようとしない姿勢は、はなはだ理解に苦しみます。官僚は前例踏襲主義なので、全員を検査するぐらいの強い政治的リーダーシップを示して方針転換しない限り、この3カ月で確立してしまった行動規範は変わりません。検査抑制の建前として医療崩壊や院内感染の防止が言われていますが、そもそも、安倍政権には方針を変える気がないのでしょう。自分たちの非を認めることと表裏一体ですからね。国民の健康や命と引き換えに、政権の体面やメンツだけを死守している気がします。
毎月1人5万円のベーシックインカムを
――自民党内の一部議員からは、真水100兆円規模の財政支出や継続的な個人給付、消費税ゼロなどの提案も出ています。
いわゆる反緊縮派の議員に共感してはいますが、経済か感染抑止かを考えたときに、まずは感染抑止を優先すべきです。経済活動は停滞せざるを得ませんが、大事なのは、倒産や廃業をさせずに経済機能を維持すること。雇用も収入も不安定になるので、政府が行うべきは、徹底した生活保障です。たった1回きりの10万円給付で十分とは思えません。コロナが生活や富の再配分を変えたと言われるぐらいに、毎月1人5万円の「ベーシックインカム」を軸にした生活保障を思い切って講じるべきではないか。消費減税については両方ともできれば一番いいのですが、一方で冷静な議論が必要だと思います。ゼロにする予算があるなら、毎月の個人給付を実現できるからです。
永久に続く政権はない
――来月公開予定の映画のタイトルは「なぜ君は総理大臣になれないのか」ですが、仮に今総理だとしたら、どんな政策を打ち出しますか。
まずは、検査拡大と隔離の徹底。それから、感染病床への圧倒的な支援です。希望者全員を検査し、陽性の人については、政府が用意したホテルや療養施設で2週間過ごしてもらう。病院は防護服の不足などの物理的な理由だけでなく、経営的な理由からも、コロナ患者を受け入れているところとそうでないところと二極化しています。この国難において、病院側が経営の黒字や赤字を気にしなければならないこと自体がおかしな話。今以上の診療報酬の改定や特別補助で支援すべきです。
――「補償はしない」と明言している政権とは真逆の発想ですね。
両親は床屋を営んでいて、幼い時から父親に「立派な官僚になって、世のため人のために働け」と言われて育ちました。1994年に自治省(現総務省)の門を叩きましたが、バブル崩壊後で就職氷河期と言われていました。政治が迎え来る新しい時代に適応できていないことによって、官僚組織も苦しい、ひいては国民もその被害を受けていると思うようになり、無謀にも政界に飛び込みました。自分の生活実感や生まれ育った環境、しみついた感覚からすると、私の政治家としての立ち位置は、庶民の味方であり、弱い立場の代弁者であることと切り離せません。はっきり言って、大企業やお金持ちの味方とは言い難いんです。
――国民の生活感覚に近い政策やビジョンを描いているのに、議員として世間の注目を集めたのは昨年の統計不正の追及が初めてでは。
良く言えば、自身に安定感がなければいけないと思う一方、悪く言うと、組織に埋没してしまうことは常にありました。過激な発言をしたり、上司にすり寄ったりする器用な人を何人も見てきましたが、残念ながら、私はいずれでもありません。それで上り詰めたとしても、背景を伴わないので一過性の人気だと腹をくくっています。万が一自分に役目が巡ってきた時に、人口減少などの日本の構造問題に取り組むリーダーシップを取れるよう、常に鍛錬を積み続けることが私の仕事だと思っています。
旧民主党は「プロの政治屋」に勝てなかった「素人集団」
――安倍政権が失態を演じていても野党はなかなか存在感をアピールしきれていません。
今の政権は、悔しいけれど、政権運営の“プロ”。老舗の「政治屋」が己の権勢、権力、既得権益を巧みに維持しているに過ぎませんが、野党が果たして同じ土俵で勝負できるのか疑問です。民主党政権が誕生した時、プロの政治屋に成り代わって、国民のための政策を実行してくれるんじゃないかとすごく期待されましたが、政権運営に十分な力量を持たない「素人集団」のまま終わってしまった。その失態を引き取る覚悟と、二度と失敗はしない決意という2つの土台がない限り、野党に再び期待が寄せられる日は来ないと思います。そもそも、何のために政治をやっているのか、何の目的で与党に対峙しているのかという問いに明確に答えることも重要です。
――民主党政権の失敗の総括ができていない?
責任転嫁をする気はありませんが、党内で足を引っ張ったやつが悪いとか、野党の頑張りを理解してくれない国民のせいだとか、そんなことを言いかねないぐらいの気持ちを持っている上層部の先輩方は多いと感じることがあります。失敗した民主党政権の残像を乗り越えない限り、期待した国民の失望感や絶望感は決して拭い去られることはない。野党内の権力構造が変わらないままなのは、私たち世代のふがいなさでもあります。「反省しました」「総括してみました」と口先で言ってみたところで、真剣さや真摯さが国民に伝わるはずがありません。
――年始に大詰めかと思われた立憲民主党と国民民主党の合流は立ち消えとなりました。
私利私欲ではなく、国民のために政治をしている状況であれば、ただちに合流しなければおかしいですよね。自分の考えや感覚が私利私欲なのか、国民のためと思っているのか、見境がつかなくなっている人が政治の世界に多いと感じます。どう考えても利権や利得だろうということを、理屈をこねくり回して正当化することを戒めなければなりません。結局のところ、両党合流の頓挫は互いの意地の張り合い、既得権益の奪い合いでしかなかった。情けないと感じています。
――捲土重来できるのでしょうか。
現状、政権交代なんてリアリティーに欠けますが、一方で永久に続く政権もありません。国民にとって実りの多い政権交代を実現するためにも、準備を怠るわけにはいきません。政権を担った時のために、なぜ政治を志したのか、初心はどこにあったのか、それぞれの議員が自分自身に厳しく問い続ける他ないと思います。
(聞き手=高月太樹/日刊ゲンダイ)
▽おがわ・じゅんや 1971年、香川県高松市生まれ。東大法学部卒業後、94年自治省(現総務省)入省。2003年に退官後、05年衆院選で比例復活により初当選(四国ブロック)。以来、当選5回。民主党、民進党、希望の党を経て、現在無所属(立国社共同会派所属)。著書に「日本改革原案」(光文社)など。