2021年2月2日火曜日

岩田健太郎氏インタビュー「日本のコロナ対策にはビジョンがなかった」

 菅首相は正月明けに急転直下緊急事態宣言を出すに当たり、その期間を2月7日までとし「1か月後には、必ず事態を改善させるため、ありとあらゆる方策を講じていく」と述べました。

 約3週間が経過して日別の感染者数こそ減少に転じましたが、そのレベルは全国約3000人/日、東京都633人/日とまだまだ高く、療養者数が人口10万人当たり25人(ステージ4、ステージ3では15人)の基準をクリアしているところは対象11都府県で1つもありません。また病床の使用率50%(ステージ4、ステージ3では20%)をクリアしているのは京都府だけです。
 緊急事態宣言は3月7日まで1ヶ月延長になる見込みです。当然、飲食業界をはじめとする国民にとって死活問題ですが、「政府のコロナ対策は適切であった」と強弁する菅首相から反省の言が述べられる可能性はありません。それにしても「ありとあらゆる方策」とは何のことだったのでしょうか。

 日刊ゲンダイが「注目の人 直撃インタビュー」で、昨年2月、ダイヤモンド・プリンセス号でのずさんな感染対策を告発した岩田健太郎・神戸大教授を直撃しました。
 冒頭で岩田氏は、「明らかに菅首相は『根拠なき楽観論』によって思いっきり失敗しています。もし、失敗ではないと本気で思っているのなら、よほど頭が悪いと思います」と明言しました。
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注目の人 直撃インタビュー
岩田健太郎氏「日本のコロナ対策にはビジョンがなかった」
                           日刊ゲンダイ 2021/02/01
 新型コロナウイルスの感染者が国内で確認されてから1年が過ぎた。累計の感染者数は40万人に迫り、死者は5000人を超えている。過去の波とはケタ違いのスケールの第3波の勢いは収まらず、11都府県に出されている緊急事態宣言の延長が懸念されている。なぜ、このような事態を招いてしまったのか――。昨年2月、ダイヤモンド・プリンセス号でのずさんな感染対策を告発したこの人に聞いた。
                ◇  ◇  ◇
 ――コロナをめぐる政府の対応をどう見ますか。国会で野党から後手批判された菅首相は、「根拠なき楽観論に立って対応が遅れたわけではない」と釈明しました。
 明らかに「根拠なき楽観論」に寄って思いっきり失敗しています。もし、失敗ではないと本気で思っているのなら、よほど頭が悪いと思います。内心では失敗を認識しているものの、「失敗した」と認めたくないのであればまだ見込みがあります。

 ――海外でもコロナ対応に失敗している国はいくつもあります。
 英国のジョンソン首相やスウェーデンなども失敗をやらかしているが、すぐ「間違い」を認め、方針転換しています。日本では、官僚も政治家も失敗を認めたら「負け」みたいなところがあって、絶対、認めないですよね。ダイヤモンド・プリンセス号の時も「感染対策は適切にやっていた」と、当時官房長官だった菅首相は言っていました。でも、感染対策は適切にできていませんでした。政府にとって「適切」は都合のいい言葉です。

 ――と言いますと。
 何を正しさの基準にするかを明確に言わなければ「なんでもあり」なんです。コロナの死者が5000人を超えても、政府が「遅れも失敗もなかった」と言い切ることはできるのです。マトモな政治家なら、今の深刻な状況を目の前にして、「適切だった」とは口が裂けても言えないはずです。中途半端な安っぽいプライドを守るために失敗を否定し、子供じみた対応を取っているように見えます。本当の意味でプライドが高い人なら、もっと高いレベルを目指すので、こんな体たらくでは満足できないでしょう。そして、失敗は失敗として認めるはずです。

■「ウィズアウトコロナ」以外に生きる道はない
 ――昨年4月に発令された緊急事態宣言の効果もあり、6月ごろには全国の新規感染者が20人台まで減った。ところが、7月以降に感染が再拡大し、現在の第3波につながっていると思います。どこが問題でしたか。
 一番良くなかったことは、日本にビジョンがなかったことです。コロナ問題をどう扱い、どう解決するか。例えば、ニュージーランド、豪州、韓国は感染ゼロを目標にやっています。ところが日本はPCR検査体制、マスク配布、病床確保、給付や支援――どれも場当たり的、その場しのぎの対応に終始してきた7月以降、感染者が増えはじめても、病床は逼迫していない、今は大丈夫ということで感染者を減らそうとしなかった。雨漏りを止めずに洗面器を置き、あるいはその洗面器を金だらいに替えて「大丈夫」と言っているようなものです

 ――政府は感染を抑えつつ、経済を回す「ウィズコロナ」なる“ビジョン”を打ち出しました。
「ウィズアウトコロナ」以外に生きる道はないです。その証拠にウィズコロナと称してコロナを許容し、経済を回そうとした結果、経済は回らなくなっている。外食と旅行が感染の規模を大きくすることは、数々のデータが示しています。しかし、「Go To トラベル」などの強行で全国に感染を広げ、立ち行かなくなって緊急事態宣言に至ってしまった。

 ――政府の分科会など専門家は歯止めにならなかった。
 政治家が感染対策と経済という対立軸を作った。第2波からは、感染症の専門家は経済を回すのを邪魔する“敵対者”のような扱いになったのです。第1波までは専門家が一生懸命に口を出し、感染防止の取り組みができていました。ところが、専門家会議を分科会に変え、いろんな分野から人を集めたため感染症の専門家の意見が通りにくくなった
静岡の移動を止め大規模PCRをやるべきだった

 ――第2波では「若者」が強調されました。
 当初、夜の街などでの若者の感染が中心で、死者は少ないと言われました。若者は重症化しないとの印象を与えてしまったのが、深刻な第3波につながっています。

 ――第3波のクラスターは飲食店よりも、病院や高齢者施設が多い。高齢者や基礎疾患を持つ人が感染し、重症化や死亡に至るケースが増えています。
 病院や高齢者施設には若者のスタッフがいます。若者の感染をほったらかしにしておくと、スタッフの若者が感染し、病院や高齢者施設でクラスターが起きてしまう。

 ――爆発的な感染拡大で医療提供体制が崩壊しつつあります。
 病気にかかっても患者が病院に入院できない事態が起きています。戦後、日本で国民皆保険が整備されて以降、最大の危機です。何千万人もの無保険者がいる米国では、医療を受けられない人もいっぱいいます。それを見て、「日本よりもっとひどい」というのは、ただ下を見ているだけです。国民皆保険制度のもと、日本では医療は蛇口をひねれば出てくる水のように安易に考えられているところがあるが、そうではありません。ベッドは増やせても、医療従事者は同じように増やせない。兵庫県でも病床を増やしたり、プレハブの病棟を建てましたが、感染者が増えれば、それもすぐいっぱいになるのです。

 ――状況を改善するには感染者を減らすしかない。
 医療セクターは感染者の減少そのものにはほとんど寄与できない。起きたことの後始末(発生した患者の治療)をしているだけです。感染者を減らせるのは、政治、メディア、国民一人一人なのです。例えば、テレビは医療崩壊を報じた直後に東京五輪で期待を集める選手を取り上げたりしている。深刻さが視聴者に伝わらない。政府からは経済を回すことと感染抑止というまったく異なるメッセージが同時に届くので、国民は本当に深刻なのか分からなくなっているのです。

 ――感染力が1.7倍とされる英国型の変異ウイルスが市中感染している可能性が高まっています。
 英国では変異ウイルスが昨年9月から広がっています。ロンドンやイングランド南東部で変異ウイルスが確認された瞬間に、その地域をロックダウンして完全に封鎖した。変異ウイルスによる感染拡大をこれ以上広げないためです。ただ、それでも遅きに失したわけです。フランスは英国での変異ウイルス流行を受け、昨年12月にドーバー海峡を封鎖し、ウイルスの流入阻止に動きました。日本はどうか。静岡県で市中感染が疑われるケースが確認された時、何もしなかった。僕だったら、必要不可欠な物流やエッセンシャルなところを除いて、県内外の移動を全部ストップする。その上で、大規模なPCRを実施して静岡にどれくらい変異ウイルスがいるのか全力で探すのです。もちろん手遅れかもしれませんが、挑戦してみないとわからない。変異ウイルスが日本中に広がるか、防げるかは大きな問題ですが、残念ながら政府は動かなかった

■人間がどう振る舞うかでウイルスの流行の仕方が決まる
 ――なぜ動かなかったのでしょうか。
 住民が混乱する、パニックを引き起こすということでしょう。だけど、それは短期的な問題。ドーバー海峡でもトラックの運転手が何カ月も足止めを食らったわけではない。結局、変異ウイルスが日本中に広がっていったらもっと国が混乱し、取り返しがつかないことになります。ここでも、政府は目先のことしか考えていません。

 ――今が最悪の状態だと思いますが、今がピークとも思えません。
 新型コロナはウイルス自体の問題もさることながら、流行は人間側の対策がもろにリフレクトするのです。人間がどう振る舞うかによって、ウイルスの流行の仕方が決まるのです。今が最悪でこれから良くなるのか、もっと悪いことが起きるのかは、われわれの対応いかんなのです。
             (聞き手=生田修平/日刊ゲンダイ)

岩田健太郎(いわた・けんたろう)
1971年、島根県生まれ。島根医科大(現島根大)卒。2001年、米ベス・イスラエル病院感染症フェロー。03年、北京インターナショナルSOSクリニック勤務。04年亀田総合病院、08年から神戸大。中国のSARSやアフリカのエボラ出血熱の治療に従事した。