2024年6月12日水曜日

虐殺に反対することが、ナチスであることを意味する時

 ケイトリン・ジョンストが掲題の記事を出しました。
 正常な体制批判者を 他ならない体制側がどんな風に社会から疎外しようとしているかについて、彼女は巧みな弁説で分かりやすく説いています。改めて彼女のもつ文章能力に感心させられます。
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虐殺に反対することが、ナチスであることを意味する時
              マスコミに載らない海外記事 2024年6月10日
  こうしたことがあなたの社会で起きる時は、あなたの社会が完全に狂っているという
  ことだ。つまり、あなたは狂人に包囲され、狂人に支配されているということだ。
                  ケイトリン・ジョンスト 2024年6月7日

 大量虐殺に反対するのは、あなたがナチスであることを意味している
 核の瀬戸際政策に反対するのは、ウラジミール・プーチンを愛しているということだ。
 差し迫った中国との世界紛争に反対するのは「中国共産党」の邪悪なプロパガンダをすることを意味している。
 最新の公式悪者に対する最新の帝国主義的エスカレーションに反対するのは、常に悪者に対する宥和主義者で、ヒトラーとの戦いに反対することを意味している。
 嘘をつき、プロパガンダを広めてきた長い実績を持つ政府やメディアに対するあなたの懐疑心は、あなたが狂った陰謀論者であることを意味する。
 誰もが十分ものを所有する社会で暮らしたいと望むのは、あなたが軽蔑されるイデオロギーの邪悪な権威主義者であることを意味する。
 人間が生物圏を破壊したり、終末兵器を振りかざしながら狂気の戦争を繰り広げたりしない体制が存在する可能性があると信じるのは、現実世界がどう機能するかを理解していない愚かな子供であることを意味する。

 こうしたことが社会で起きているということは、社会が完全に狂っているということだ。つまり、あなたは狂人に包囲され、狂人に支配されているということだ。
 非常に多くの主流の合意されている立場が、最も基本的で明白な道徳的立場を正しく理解できず、正しく理解できないだけでなく、完全に逆方向に進んでいる場合、あなたは完全に狂った文明に暮らしていることになる
 我々の文明が狂っているのは、それを支配する体制が狂っているからで、その体制に我々を同意させるには、我々全員を狂わせる必要があるのだ。
 絶え間ない戦争と軍国主義に我々が同意することを帝国は必要としており、そのため、こうしたことが当然のことで、それに疑問を呈する者は邪悪で疑わしいと我々に思わせるようにプロパガンダをしているのだ。

 グローバル資本主義というブランドによる絶え間ない搾取や不正や環境破壊や採掘に我々が同意することを帝国は必要としており、そのために、これら狂った行為が当然で、そのような体制下で生き残るのが難しいと感じているなら、あなた自身に何か問題があるに違いないと思い込むようにプロパガンダを実行しているのだ。
 監視や警察の軍事化やインターネット検閲や大規模心理操作の継続的拡大に我々が同意することを帝国は必要としており、そのために、これらのことに反対する人々は奇妙な偏執狂だと考えるようにプロパガンダを実行しているのだ。
 健全な文明がどうあるべきかを180度逆転させたディストピアを維持するために、日々様々な方法で我々の心を権力者連中は振り回している。だから、社会でこれほど多くの精神衛生上の問題が見られるのも不思議ではない。帝国の中心地で、これほど多くの銃乱射事件が見られるのも不思議ではない。この混乱に政治的に関与する代わりに、人々が主流文化のつまらない現実逃避や娯楽に人生の多くを費やすのも不思議ではない。
 皆様が狂っていることを彼らは必要としているので、あなたを狂わせるのだ。もし皆様を狂わせることができなければ、彼らは、あなたは狂っていると、あなたを説得しようとする。もしあなたが狂っていると、あなたを説得できなければ、彼らは他の全員にあなたは狂っていると説得しようとする。彼らの狂った機械の狂った車輪をディストピアと絶滅へと前進させ続けるため何でもするのだ。

 このような体制に対して、どれほどの敬意を払うべきだろう。このような帝国に対して、どれほどの忠誠心を持つべきだろう。この狂気全てを正気とみなし、自分の正気を狂気とみなす主流世界観を、どれほど真剣に受け止めるべきだろう。個人的には、それに同調するのは難しいと思う
 「この社会で正気を保つには、ある程度の疎外感が必要だ」とテレンス・マッケナは言った。私はこの言葉をよく思い出す。だが、マッケナの時代にはなかったが、今ではインターネットが普及し、未曾有の方法でお互いを見つけ、つながれるようになった。
 時々、それがここでの私の主な役割のように感じる。つまりインターネットを通じて他の人々に呼びかける正気の声となり、この狂った文明の中で我々全員が孤独を感じないようにすることだ。寄り添って「あなたは狂っていない。私もそう思っている」と囁く友人になることだ。
 なぜなら、多くの場合、人々が必要としているのはそれだけなのだから。あなたを狂わせ、狂っていると思わせることに専念している帝国の影の中で、多くの場合、あなたが必要としているのは、自分の信念を貫き、でたらめをでたらめと呼ぶ自信を与えてくれる人だけなのだ。
 もし十分な人数の我々がお互いを見つけ、自分たちの正気を確信して行動を起こせれば、事態を好転させるために必要なことはそれだけなのかも知れない。
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記事原文のurl:https://caitlinjohnstone.com.au/2024/06/07/when-opposing-a-genocide-means-youre-a-nazi/