2013年11月4日月曜日

3日は新憲法の公布記念日 金森徳次郎について

 新憲法の公布記念日でもある文化の日の3日、東京新聞が「週のはじめに考える」で、10年間の雌伏ののちに新憲法制定時に担当国務大臣を務めた金森徳次郎をとりあげました。
 
 はじめに美濃部達吉の天皇機関説事件が出てきますが、天皇機関説は当時昭和天皇自身も積極的に受け入れたもので、決して天皇制に対して批判めいたことを述べたものではありませんでした。(弾圧は誤解によるものでした)
 実際、美濃部は熱烈な天皇制の支持者であって、事実上のリーダーを務めた松本委員会でも、旧憲法には何の瑕疵もなく天皇を輔弼すべき政府の側に非があったという考え方のもと、旧憲法のごく一部を修正した新憲法案(松本案)をまとめました。
 それは勿論GHQによって一蹴されましたが、美濃部はその後も貴族院議員として新憲法(現憲法)の制定には徹底して反対しました。
 
 それに対して金森徳次郎は、記事の中で書かれているように、新憲法についてこの憲法には一つも欠点がないというほどほれ込んだということです。
 彼は新憲法の国会審議時に担当大臣として殆どの答弁を一人で行っていますが、その議事録を読むと、新憲法の精神を実に深く理解したものであることが伝わります。そして今読んでもいろいろと教えられるものがあります。
 しかもすべて即席で答えている筈なのに、発言が実に的確で全く無駄がありません。余ほど緻密な頭脳の持ち主だったのでしょう。
 このところの国会審議における答弁などとは異次元のものです。
 
 追記) 記事中に出てくる中部日本新聞(中日新聞)は、東京新聞の本社筋に当たります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
週のはじめに考える 「文一道」の精神に立つ
東京新聞 2013年11月3日
 きょう「文化の日」は、六十七年前に日本国憲法が公布された日です。憲法改正などが公然と論議される現代こそ、その原点をみつめたいと思います。
 
 気に入らないから、内閣法制局長官の首をすげ替える-。安倍晋三政権のみならず、実は戦前にも、同じような荒っぽい出来事がありました。 
 有名な美濃部達吉博士の天皇機関説事件のときでした。一九三五年のことです。天皇は法人たる国家の元首の地位にあるという憲法学説に対し、議員らが猛然と攻撃を始めました。「天皇は統治権の主体であり、国体に反する」などと非難を繰り返したのです。
 
◆首になった法制局長官
 法制局長官であった金森徳次郎は議会で「学問のことは政治の舞台で論じないのがよい」という趣旨の答弁をしました。自らの著書にも機関説的な記述がありました。そのため、つるし上げを受け、金森は三六年に退官に追い込まれてしまったのです。
 名古屋市出身で、旧制愛知一中、一高、東京帝大卒というエリート官僚でしたが、それからは一切の公職に就けませんでした。“晴読雨読”の生活です。野草を育てたり、高浜虚子の会で俳句をつくったりもしました。それでも警察官や憲兵が視察に来ます。
 戦争では家を焼かれ、東京・世田谷の小屋で、大勢の家族が雑居しました。でも、終戦により、身辺はがらりと変わります。まず、金森は貴族院議員に勅任されます。退職した法制局長官の慣例に従ったようです。
 
 四六年には第一次吉田茂内閣で、国務大臣となりました。役目は新憲法制定です。「この憲法には一つも欠点がない」というほど、ほれ込みました。議会での答弁も、ほぼ一人で行いました。その数や、百日あまりで、千数百回…。一回で一時間半も語り続けたことがあります。
 
◆文化で戦争を滅ぼす
 新憲法公布の朝です。破れガラスの表戸を開けると、見知らぬ老人が立っていました。ビール一本とスルメ一枚を差し出し、涙声で喜びを述べました。物資不足の時代のことです。そして、「引き揚げ者の一人」とだけ告げて、老人は立ち去りました。金森は「生まれてから初めての興奮」を覚えたそうです。
 その朝の中部日本新聞(中日新聞)で、金森は「国民全体が国の政治の舵(かじ)をとるという精神が一貫して流れている」と憲法観を語っています。さらに平和主義について「戦争を放棄した世界最初の憲法、そのこと自体非常にレベルの高い文化性を物語るものだ」とも述べました。
 
 四七年には「戦争は文化を滅ぼすものであって、(中略)文化をして戦争を滅ぼさしめるべきが至当である」という一文を発表しています。でも、日本一国が戦争放棄をしても、意味をなさないという反論が考えられます。金森は、次のように論じました。
 <正しいことを行うのに、ひとより先に着手すれば損をするという考え方をもつならば、永久にその正しいことは実現されない>
 <歴史の書物を読んでみれば、結局、武力で国を大成したものはない(中略)およそ武力の上にまた更(さら)に強い武力が現れないということを誰が保証しよう>
 文武両道といいますが、日本は「文一道」が好ましいと、金森は主張します。戦争放棄を「じつに美しい企て」とも考えました。
 
 今の政治状況を翻ってみます。「知る権利」を脅かす特定秘密保護法案や国家安全保障会議設置法案が提出されています。その先には集団的自衛権の行使容認が見えます。安倍政権が憲法改正を公約していることは忘れてなりません。
 戦前は「軍事」、現在は「安全保障」の言葉が、かつかつと靴音を響かせ、威張っています。
 金森の憲法論集を編んだ鈴木正名古屋経済大学名誉教授(85)は「今でいうリベラルで、自制心を持っていた人です」と評します。「明治時代には自由民権運動がありました。金森は大正デモクラシーの空気も吸っていました。だから、新憲法は民主主義的傾向の復活でもあり、侵略を受けたアジア諸国をも寛容にさせたのです」
 安倍政権は自制心というブレーキを持っているでしょうか。隣国との融和に熱心でしょうか。大事なのは、政治の舵を握るのは、国民であることです。
 
◆国民が愚かであれば
 憲法公布の日には、東京新聞(現・中日新聞東京本社)にも、金森は一文を寄せています。
 <国民が愚かであれば愚かな政治ができ、わがままならば、わがままな政治ができる>
 “憲法大臣”の金言です。「国民が愚かなら」の言葉に、思わずわが身を振り返ります。