2013年11月9日土曜日

強制しないとの約束で成立した国旗国歌法が 

 法案の制定時に政府が悪しき運用はしないなどと説明したとしても、成立してしまえばそんなことには全く無関係に法律の条文に沿って運用されます。
 
 高田昌幸氏がご自身のブログに、1999年に成立した「国旗および国歌に関する法律」において、当時政府(小渕首相)がどのような説明をして、その後どうなったのかについて書いておられます。
 当時の小渕氏や文相にはそれほどの悪意はなかったのかも知れませんが、今度の秘密保護法案には初めから悪意が満載されています。そんなものを通してしまえばもう弁解の余地はありません。
 
 以下にブログの抜粋を紹介します。
     (全文は下記でご覧ください。
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「強制しない」と首相が約束した国旗国歌法 それがつくった今の社会
高田昌幸 ニュースの現場で考えること 2013年11月7日
 (前  略
そのうちの一つが国旗国歌法だった。調べてみたら、この法律の発布・施行は1999年8月13日。APEC首脳会合が9月12、13日だから、法律ができてちょうど1ヶ月後だった勘定になる。国旗国歌法案の衆院提出はこの年の6月末で、衆院通過までに要した時間はおよそ1ヶ月だ。
 
法案審議は迅速だったが、賛成一色で法案が法律になったわけではなかった。思想信条の自由と強制性の問題、学校教育現場と行政の関係、戦争の歴史とアジアの反応。いろんな問題がテーマになり、国会の内外、あちこちで種々の議論が起きていた。当時、小渕氏が国会で言明した有名な答弁がある。その後、なんやかやで忘れられた感じがするが、こんな内容だった。当時の衆院本会議の議事録から要約・抜粋してみよう。「日の丸掲揚などが強制になるのではないか」という趣旨の質問に対する答弁だ。
 
<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>
 
< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。>
 
小渕氏の発言は他にも縷々存在するが、要するに「法律はできても強制はしませんよ、政府はそんなことしませんよ」と言っている。小渕氏とは別に、衆院文教委員会で答弁した政府委員は
「(掲揚や斉唱の指導に)単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならない」と答えている。ここでも、要するに「強制はしない」である。
  (中  略
教員らが「内心の自由」の下で、本当に嫌だったら強制はしない、という内容だ。その上で、「嫌を他人に押し付けたらいけませんよ」とも言っている。至極、まっとうな答弁に思える。
 
あれから15年近くがすぎ、日の丸や君が代を巡る風景、議論の内容や位置づけは大きく変わったと思う。法律制定時のこの国の最高権力者が「強制はしない」と言ったことが、その後はすっかりないがしろになり、教育現場では、式典等で君が代が歌われる際、教員の「口パク」を監視したり、告発したりする仕組みまで出来上がった。
  (中  略
きょう7日から特定秘密保護法案の実質審議が始まる。
この法案は当初、秘密保全法案とか秘密保全法制とか呼ばれ、もう10年近くも警察、外務、防衛の3省庁が水面下に潜って、法制化への動きを続けてきた。このブログで「野田内閣は本当に『やる』のか〜秘密保全法案」とか、「国民に対する思想調査に道を開く『秘密保全法案』」といった記事を書いたのは、もう2年近くも前のことだ。そのうち、この日が来るだろう来るだろうと思っていたら、本当に、とうとうきた。
  (中  略
秘密保護法案に関しては、閣僚や関係省庁の幹部、自民党の主要メンバーらが、あちこちでいろんなことを言っている。「TPP交渉」は特定秘密になると言ったり、ならないと言ったり、原発情報は入る・入らない。ひと言で言えば、法案を出したくせに、既にバラバラなのだ。首相が言い切った事柄がわずか10数年で消えてしまう実例を見ていると、政府要人の見解さえ統一できないこんな法案が通ったら、その先には、いったい何が待っているのか、分かったものではない。
 
いまの政府の約束は、将来への約束では決してない。そんな実例は、今まで、さんざん見せ付けられてきた。それとも、この法案に限っては、何か特別な担保でもあるというのだろうか。だから、「知る権利」に配慮するからとか、そんな言質にもならぬ言質と交換に、単なる行政官庁を国会の上位に持ってくるような法律をつくってはいけないのだと思う。
  (後  略