政府・自民党は、集団的自衛権の行使容認に向け、憲法解釈変更に関する政府方針に「自衛権」とのみ記述する案を検討しているということです。集団的という言葉を使わないことで、安全保障政策の大幅な転換につながる印象を和らげ、行使容認に慎重な公明党に歩み寄りを促す狙いがあります。
このことは4月28日の「“安保法制懇”の結論が出次第 5法案を改正 公明党の合意が条件」( http://yuzawaheiwa.blogspot.jp/2014/04/blog-post_28.html )でもお伝えしましたが、毎日新聞の記事はより詳細に報じています。
歴代の政府はこれまで、個別的自衛権の行使のみを認め、集団的自衛権は憲法上、行使できないとの立場をとってきました。
それを安倍政権は「日本の存立に必要な措置を講じる権利」を「自衛権」とひとくくりにして、「攻撃を受けたのが自国か他国かにかかわらず、自衛権を行使できる」と解釈し、「日本が直接攻撃を受けた場合」に加えて「放置すれば日本も攻撃を受ける場合」にも行使できるとして、結局集団的自衛権を行使しようとするものです。
これは先に内閣法制局が苦肉の策の素案として示した、「ある国が日本の近隣国を攻撃、占領しようとしており、放置すれば日本も侵攻されることが明白な場合などに限定して集団的自衛権の行使が認められる」とする見解※に一見似てはいますが、「日本の近隣国」という条件を除外している点で全く別物です。
似て非なるものとはまことに姑息な手段というしかありません。
しかしこのようにして、次から次へと理屈の通らない策動を試みる執念深さには恐るべきものがあります。
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集団的自衛権 憲法解釈の変更案「集団的」を表記せず
毎日新聞 2014年04月29日
政府・自民党が集団的自衛権の行使容認に向け、憲法解釈変更に関する政府方針に「自衛権」とのみ記述する案を検討していることが分かった。「個別的」か「集団的」かを問わず、自衛権を日本の存立のために必要な措置を講じる権利と位置付け、集団的自衛権行使に道を開く。集団的という言葉を使わないことで、安全保障政策の大幅な転換につながる印象を和らげ、行使容認に慎重な公明党に歩み寄りを促す狙いもある。
安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が来月中旬にも報告書を提出するのを受け、政府は集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈を変更する政府方針をまとめ、与党との協議を経て閣議決定する。政府関係者によると、首相も「集団的」を使わない案に理解を示しており、政府方針に反映される可能性が高まっている。
自衛権は国際法上、自国が攻撃を受けた際に武力で阻止する個別的自衛権と、他国が攻撃を受けた際に反撃する集団的自衛権に分かれている。政府はこれまで、個別的自衛権の行使のみを認め、集団的自衛権は憲法上、行使できないとの立場をとってきた。
これに対し、政府・自民内で検討されている案は、日本の存立に必要な措置を講じる権利を「自衛権」とひとくくりにするもの。「攻撃を受けたのが自国か他国かにかかわらず、自衛権を行使できる」と解釈し、実際に行使するのは「日本が直接攻撃を受けた場合」か「放置すれば日本も攻撃を受ける場合」に限定することを想定している。
ただ、実質的に集団的自衛権の行使を認める方針には変わりがなく、慎重姿勢を崩していない公明党の理解を得られる見通しは立っていない。同党の山口那津男代表は27日、衆院鹿児島2区補選の勝利を受けて、「国民生活にかかわりの深いところを優先的にやってほしい。そうした政権の姿勢が評価されている」と記者団に語り、首相が集団的自衛権の結論を急がないようクギを刺した。
一方、国連憲章51条は個別的自衛権と集団的自衛権を明記している。日本が両方を区別しないまま、集団的自衛権の行使に該当する行動をとった場合、国内向けの説明と国際社会への説明にずれが生じる恐れもある。【青木純】