元内閣法局長官の阪田雅裕氏が時事通信のインタビューに答えて、安倍首相が集団的自衛権の行使を容認するために憲法9条の解釈変更に意欲を示していることに対して、どの角度から見ても全く正当性がないということを、単純明快に説明しています。
質問は、安倍政権が持ち出しているもろもろのケースについて行っているので、この記事はそうした考え方の誤りを説明する模範的文書になっています。
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解釈変更は「9条無視」=集団自衛権、正面から議論を
-阪田元法制局長官
時事通信 2014年4月22日
Q 安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更に意欲を示している。
A 憲法改正しか方法はない。解釈変更でできることはあり得ない。憲法9条をどう読んでも、そんな結論は論理的に導けない。9条を無視するのと同義だ。そんな大事なことを国民の意思を問わないで、統治権力限りでできるなら、立憲主義が成り立たない。
Q 政府の有識者会議は、必要最小限度の自衛権行使に、集団的自衛権も含むと提言する方針だ。
A あり得ない。必要最小限度が時代とともに変わるというなら、例えば防衛費を国内総生産(GDP)1%でなく、1.5%や2%に増やしたり、航続距離の長い爆撃機が必要となったり、ということはあり得る。しかし、外国から武力攻撃がなければ、自衛隊は武力行使をしない、というところは変わりようがない。集団的自衛権行使は、わが国が交戦当事国でない状態で、あえて火中のクリを拾い、当事国になる行為だ。簡単に言えば、参戦することだ。
Q 首相や自民党は、公海上の米艦防護や、米国に向かう可能性のある弾道ミサイルの迎撃などの例を挙げて必要性を訴えている。
A 集団的自衛権行使は、国家として大きな意思決定だ。ただ艦船が一隻襲われたからといって、(自衛隊が)瞬時に判断すれば、それはもうシビリアンコントロール(文民統制)ではない。ミサイル迎撃も同じだ。
米国が戦争し、それに対してわが国がどうするかという判断があり、参加しようとなって初めてミサイルだって撃ち落とせる。(首相らが)なぜ端っこの方の非現実的な例を挙げるのかが分からない。
集団的自衛権行使とは、例えば米国と一緒に戦うことだ。米国が今までやってきた集団的自衛権で典型的なのはベトナム戦争だ。韓国やオーストラリアは集団的自衛権を行使して参戦した。その結果がどうだったのか。正面から堂々と議論しなければおかしい。
Q 内閣法制局に在職中、集団的自衛権の行使容認について検討したか。
A 全くない。思いもしなかった。集団的自衛権の行使ができるというのは、要するに憲法9条はない、ということを意味するわけだ。
Q 法制局長官だった当時の首相の小泉純一郎氏は集団的自衛権の行使容認を検討したか。
A わが国が直接攻められてもいないのに海外に出て、外国の戦争に加わった方がいいというのは、小泉さんは恐らく、憲法解釈がどうこうという以前に、全く思っていなかったと思う。
Q 安倍政権は「安全保障環境が厳しさを増している」と説明する。環境変化は解釈変更の理由になるか。
A 必要条件ではあるが、十分条件ではない。合理的な理解ができる範囲内で、このように変えた方がいいという説明がないことが残念だ。(環境変化も)今のような抽象的な言い方では不十分だ。必要性をもっと国民に説明し、理解を得る努力が必要だ。全くそういうデュープロセス(法の適正手続き)を踏んでいない。
阪田 雅裕 氏(さかた・まさひろ)
東大法卒。1966年旧大蔵省に入り、内閣法制局第一部長、内閣法制次長を経て、小泉政権下の2004年8月から06年9月まで内閣法制局長官。現在は弁護士。70歳。和歌山県出身。