2016年12月25日日曜日

25- 野党共闘の発展の経過と今後の展望(五十嵐仁氏)

 元 大原社会問題研究所長の五十嵐仁氏が、「実証された野党共闘の弁証法的発展」と題する論攷を、同氏のブログに3回に分けて掲載されました。勤労者通信大学・通信の『知は力 基礎コース6』に掲載されたものということです。
 日本の野党共闘は、60年安保共闘を嚆矢とし、その後ベトナム反戦運動や革新自治体の実現などでの社共共闘に受け継がれましたがそれは80年1月の「社公合意」によって瓦解しました。以来真の共闘を求めて苦節35年ともいうべき苦闘の歴史を積み重ねるなかで、昨年2015年安保闘争」新たな展開が生まれました
 そして今や市民が積極的に関わり、野党4党が選挙での当選だけでなく連合政権の樹立をも展望する「本気の共闘」になろうとしている、と五十嵐仁氏は述べています
 60年以降の野党共闘の歴史が分かりやすく概説されています。 3回分をまとめて紹介します。
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実証された野党共闘の弁証法的発展(その1)
五十嵐仁の転成仁語 2016年12月20日
〔以下の論攷は、勤労者通信大学・通信の『知は力 基礎コース6』に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕
 
はじめに
 「真理と見なされている考えAに全員が同意するなら、討論は成立しません。Aに反対するBやC、つまり反Aという対立物が出てきて、はじめて討論(運動)が始まります。Aと反Aの討論は、たがいに否定し、前提にしあいながら、また回り道や飛躍をともないながら進みます。そして、ついにはAでも反Aでもない、しかしAと反Aをより高いレベルでふくむような考え(真理)に到達します――これがまさに『弁証法』的討論にみられる真理追求の特徴です。」(50頁)
 
 これは、勤労者通信大学のテキスト『基礎コース』の第1章「ものの見方・考え方の基本」の中で、弁証法について説明している文章の一部分です。その見出しが「対話(討論)の特徴」とされているように、これは「真理追求」にむけての「対話(討論)」にかんする弁証法について述べられています。
 しかし、このような弁証法は日常の出来事や運動などを説明するうえでも有効です。それは、一般に「正→反→合」という形での発展を示します。ドイツ語では「テーゼ→アンチ・テーゼ→ジン・テーゼ」ということです。
 このような発展は、実は日本政治における野党共闘の歴史においても見出すことができます。それは統一戦線の弁証法にほかなりません。なぜ、そう言えるのでしょうか。それは、どのような形で「テーゼ→アンチ・テーゼ→ジン・テーゼ」という発展を示してきたのでしょうか。
 
統一戦線の萌芽としての野党共闘
 勤労者通信大学のテキスト『基礎コース』には、統一戦線についての記述もあります。第5章「現代社会と社会変革」の中の「統一戦線による変革」という部分です。そこでは次のように説明されています。
 「階級的な立場の異なる多くの勢力が、共同の目標、共通の利害にもとづいて協力してつくる持続的な共同闘争の体制・組織が統一戦線です。現実の統一戦線は、異なる政治的理念や綱領を持つ諸政党、目的や性格を異にする諸団体、さまざまな考えをもつ諸個人の連合というかたちをとります。こうした統一戦線が結成されることによってはじめて、多数者による社会変革は可能になります。統一戦線こそが社会変革の推進力なのです。」(314~316頁)
 
 このような統一戦線は、共産党がオブザーバーとして参加した安保共闘を別にして結成されたことはありません。「階級的な立場の異なる多くの勢力が、共同の目標、共通の利害にもとづいて協力」することはありましたが、個々の運動課題や選挙での勝利を目的とした一時的なもので、「持続的な共同闘争の体制・組織」というわけではなかったからです。
 ある程度、持続的な政党間の共同もありましたが、それは革新自治体の母体となった「明るい革新都政を作る会」など自治体レベルのものでした。ただし、国政選挙でも参院沖縄選挙区での革新共闘会議などの例外はあり、それは「オール沖縄の会」などの形で独自の発展を遂げています。
 
 テキストの「日本における統一戦線の展望」でも、「政党の共闘は、かつては、社会党、共産党の共闘を軸におこなわれ、革新自治体の経験からもわかるように、重要な意味を持つことはいうまでもありません」(316頁)と指摘されています。この時点での共闘は統一戦線の萌芽的な形態として始まっていました。これが、弁証法で言えば「テーゼ」の段階です。
 しかし、その後、大きな転機が訪れます。1980年1月に社会党は公明党と「日本共産党排除」を明記した政治合意を結びます。これが「社公合意」と言われる統一戦線の分断であり、「アンチ・テーゼ」の始まりです。こうして、「共同の意志のある政党、団体、個人などすべてを結集する努力」が追求されることになり、その結集母体として「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)」が結成されます。
 
 それから35年の歳月が流れ、この間にも様々な課題やレベルで共同の取り組みがなされました。野党間の選挙共闘もありましたが、それは主として社公民共闘など「共産党を除く」ことを目的としたものでした。そして、昨年の安保法案反対運動の沸騰の中から、ついに野党共闘における「ジン・テーゼ」とも言える動きが芽生えることになります。
 
 
実証された野党共闘の弁証法的発展(その2)
五十嵐仁の転成仁語 2016年12月21日
共産党を含む野党共闘の成立
 統一戦線運動における新たな芽生えを生み出した力は、安保法案反対運動の国民的な高揚でした。このような運動を生み出す共同の前進は、それ以前にもなかったわけではありません。この点については、テキストでも次のように述べられています。
 「日本の現状を見ると、労働者・国民にすべて犠牲を転嫁した、大企業中心・アメリカいいなりの政治への国民の怒り、国民本位の政治への転換を求める世論が大きく高まっています。そのなかでTPP (環太平洋連携協定)問題、原発問題など一致する要求や課題で共同する『一点共闘』がさまざまな分野でひろがり、良心的保守層をふくむこれまでにない広範な人たちが立ち上がる共同の前進が見られます。」(316頁)
 
 このような「共同の前進」は、2011年の3.11原発事故以降、顕著になりました。それは原発ゼロ、特定秘密保護法や沖縄での新基地建設に反対する運動などとして発展し、昨年の安保法案反対運動へと合流することになります。
 そこには、学生や若い母親、学者や弁護士など「良心的保守層をふくむこれまでにない広範な人たちが立ち上がる」姿が見られ、その運動の波は東京や国会周辺だけでなく全国津々浦々に広がっていきました。そして、そのようななかで自然発生的に沸き上がって来たのが「野党は共闘」という声でした。
 この声に真っ先に応え、安保法が成立した2015年9月19日の午後に「国民連合政権」の呼びかけを発したのが日本共産党です。今後の運動の展望を示したこの呼びかけは、安保法の成立によって力を失いかけていた人々に勇気を与え、歓迎されました。しかし、この時点では、それがどのようなかたちで具体化され、どう展開していくのか、誰にも分りませんでした。
 
 それが新たな進展を示したのが、翌2016年2月19日に実現した安保法の廃止と参院選での選挙共闘についての合意です。民主党・日本共産党・維新の党・生活の党・社会民主党の野党5党によるもので、いわゆる「5党合意」です。こうして、共産党を含む新たな政治的共同が実現し、野党共闘が成立することになりました。
 実はこの1ヵ月前、私の住む八王子でもささやかな野党共闘が実現しました。私が立候補した八王子市長選挙です。共産党や社民党だけでなく維新の党や生活者ネット、無所属の市議さんなどに支援していただき、民主党の有田芳生参院議員も個人として応援してくれ、生活の党の山本太郎参院議員からも応援メッセージをいただきました。結果は落選でしたが、野党共闘の先陣を切った点で意義のある挑戦であり、共同の前進のために一定の役割を果たせたのではないかと自負しています。
 
参院選での共闘が実現した背景と要因
 参院選の結果と野党共闘の成果や教訓については、すでに『学習の友』2016年9月号に書きました。詳しくは、そちらをご覧いただきたいと思います。ここでも書いたように、参院選では32の一人区で共闘が成立し、11人の統一候補が当選しました。市民と野党との共闘が実現しなければ、このような成果は生まれなかったでしょう。
 このような共闘が実現したのは、野党第1党の民進党が共産党との共闘に踏み切ったためです。これは極めて大きな変化でしたが、そうなったのは何故でしょうか。
 
 その第1は、「労働者・国民にすべて犠牲を転嫁した、大企業中心・アメリカいいなりの政治への国民の怒り、国民本位の政治への転換を求める世論」が高まったからです。具体的には、安倍暴走政治に対する怒りと危機感であり、それが集約されたのが安保法案反対運動でした。そのなかで上がった「野党は共闘」という声は、まさに「国民本位の政治への転換を求める世論」の具体的な現れにほかなりません。
 第2に、このような国民の声は、市民運動のあり方を変えました。それまでは政治や政党と一定の距離を置いていた市民運動は安保法案廃案にむけて政党に働きかけ、集会などへの参加を求め、国会内外での共闘にも躊躇しなくなりました。「5党合意」の成立後は参院選に向けて「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」を結成し、選挙活動にも積極的に取り組みました。
 第3に、このような働きかけを受けて政党の側も変化しました。一番変わったのは民進党です。2015年5月3日の憲法集会で民進党の代表は共産党の代表と手を結ぶことを拒みましたが、その後の安保法案反対集会に代表が参加してあいさつし、他の野党とも手を組むようになっていきました。運動の中で政党も変わっていったのです。
 そして、第4に、このような変化を生み出すうえで、共産党の果たした役割には大きなものがありました。近年の国政選挙で躍進を続け、民進党結成後は野党第2党となり、安保法案反対運動をけん引して市民の信頼を得ただけでなく、国民連合政権を提唱して参院1人区での共闘成立のために候補者を取り下げたのです。これが野党共闘成立の決定的な要因となったことは疑いありません。
 
 
実証された野党共闘の弁証法的発展(その3)
五十嵐仁の転成仁語 2016年12月22日 
新潟県知事選と衆院補選で明らかになった共闘の威力と民進党の弱点
 このような参院選1人区での野党共闘の経験はさらに大きな成果を生むことになりました。それが新潟県知事選での米山隆一候補の当選です。選挙告示の6日前に、民進党を離党して立候補を決断した米山さんを推薦したのは、共産党・生活の党(現自由党)・社民党の3党に新社会党や緑の党も加わった「新潟に新しいリーダーを誕生させる会」であり、柏崎刈羽原子力発電所の再稼動に反対する広範な市民も応援に駆け付けました。
 
 結果は、6万票の大差で米山さんが当選しています。参院選でも1人区だった新潟選挙区では野党統一候補の森ゆうこさんが当選しましたが、そのときの2200票差を上回る成果でした。原発再稼働反対やTPP反対などの大義の旗を掲げ、明確な争点を掲げて市民を結集すれば勝てるという「勝利の方程式」が実証されたわけです。
 ところが、この選挙では民進党が“自主投票”に回り、蓮舫代表など幹部が応援に入ったのは選挙戦の最終盤でした。この1週間後に投票された東京と福岡での衆院補選でも、野党統一候補を立てた民進党の対応は極めて不十分なものでした。いずれの場合も民進党の弱点が露呈したといわざるを得ません。
 その背後には、支持団体である労働組合の連合からの強い働きかけがありました。10月24日付『中国新聞』は「民進党と連合幹部の間では『密約』が交わされていた」として、「2補選告示を控えた10月4日、蓮舫代表と野田佳彦幹事長、連合の神津里季生会長、逢見直人事務局長との4者会談で野党共闘の原則を確認した。①共産の候補取り下げ、②政策協定は結ばない、③推薦は受けない、④表立った場所で共産と選挙活動はしない―といずれも『共産隠し』に徹する内容」だったと報じています。実際の選挙戦はこのような形で闘われ、「利敵行為」ともいうべき対応によって与党の候補が当選しました。
 しかし、このような野党共闘についての「揺れ戻し」は、民進党内でも支持されていません。『サンデー毎日』12月4日号は、「蓮舫は『裸の王様』」「定まらない野党共闘、ついにベテラン勢が離反」と報じています。これによれば、民進党は10月に比例復活の衆院議員と落選中の支部長を数日間にわけて党本部に招集して聞取りを行ったところ、「驚くことになんと全員が、『共産党と協力すべき』と答えたのだ。2日目も同じ意見だった」といいます。「共産党と組むと連合の支持がもらえなくなるが、それでもいいのか」と聞くと、全員が「それでもいい」と答えたそうです。
 また、この記事では前原誠司衆院議員についても、「(共産党と)もっとオープンに政策協議をすれば共通点はいくつも出てくるはずだ」「自分が代表なら、共産党と真摯に話し合って接点を必ず見つける」と、共産党との話し合いに意欲を見せていると報じています。当然でしょう。連合に引きずられて共闘に背をむければ、こう言われるだけでしょうから。
 「嫌ならどうぞ、勝手にしてくださって結構です。でも、国民からは見放されますよ」と。
 
むすび
 以上に見たように、野党共闘は弁証法的な発展を遂げてきました。それは60年安保闘争における安保共闘を嚆矢とし、その後のベトナム反戦運動や沖縄返還闘争、革新自治体の誕生などでの社共共闘に受け継がれ、日本における野党共闘の原型を生み出しました。
 しかし、80年の「社公合意」によってこのような流れは暗転し、社共間の共闘は瓦解していきます。政党間での共闘が困難になるなかで、団体や個人による共同の追求を課題に革新懇が発足しました。以降、苦節35年ともいうべき苦闘の歴史を積み重ねるなかで、新たな展開が生まれたのが昨年の「15年安保闘争」です。
 こうして、野党共闘の「テーゼ」、逆風の時代の「アンチ・テーゼ」を経て、新たな野党共闘の成立という「ジン・テーゼ」の時代を迎えます。それは、かつての社共共闘の再現ではありません。市民が積極的に関わり、野党4党が選挙での当選だけでなく連合政権の樹立をも展望する「本気の共闘」になろうとしています
 
 もちろん、それが一直線に進んできたわけではなく、これからも紆余曲折は避けられないでしょう。新潟県知事選や衆院補選での民進党の対応など、今後の野党共闘についての不確定要因も生じています。
 しかし、ここでも弁証法的な発展があるのではないでしょうか。民進党も加わった参院選1人区での共闘が「テーゼ」であり、その後の「揺れ戻し」と民進党の弱点の露呈が「アンチ・テーゼ」でした。そして、これから衆院選での「本気」の共闘の実現という「ジン・テーゼ」の段階が訪れようとしています。それは、参院選での共闘の再現ではなく、それをさらに発展させ、野党連合政権樹立と統一戦線結成への新たな扉をひらくものとなるでしょう。また、そうでなくてはなりません。
 こうして、日本の歴史における新たな政治的実験と実践の新しい時代が始まろうとしています。その時代の流れを見極め、目的意識的かつ主体的に生き抜くためにも、哲学を学び正しい世界観を身に付けることが大切であるということを、最後に強調しておきたいと思います。