1954年3月1日未明にアメリカが太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、焼津のマグロ漁船「第五福龍丸」の乗組員23人全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さんはその年の9月に亡くなりました。
福竜丸は危険区域外で操業中であったにもかかわらず放射能を含んだ灰を浴びたもので、近くの海域にいた多数の漁船の乗組員たちも被曝しました。
この悲惨な事件を記念する3・1ビキニデー集会が、今年も静岡県焼津市内で開かれ1700人が参加しました。
註.今年は、昨年10月に国連で採択された「核兵器禁止条約に向けた交渉を2017年に開始するよう求める決議」に基づいて交渉が開始されます。
日本はアメリカに追随して同決議には反対しましたが、交渉には積極的に参加することにしています。
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核兵器廃絶へ心一つに 3・1ビキニデー集会
しんぶん赤旗 2017年3月2日
原水爆禁止世界大会実行委員会と被災63年3・1ビキニデー静岡県実行委員会は1日、静岡県焼津市内で「被災63年3・1ビキニデー集会」を開き、1700人が参加しました。
1954年3月1日にアメリカがビキニ環礁で行った水爆実験により、第五福竜丸など多数の漁船が放射能被ばくしたビキニ事件。これを契機に始まった原水爆禁止運動がめざしてきた核兵器廃絶、核兵器禁止条約の実現に向けた歴史的チャンスの中で、今年の集会が開かれました。
主催者あいさつで同県実行委員会の川本司郎さん(静岡県原水爆被害者の会会長)は、国連で核兵器廃絶に向けた交渉会議が行われる直前に開かれたビキニデーは重要だと述べ、核兵器禁止条約の実現に向けて国際社会に向けてアピールしようと呼びかけました。
世界大会実行委員会の赤井純治さんが主催者報告。「原水爆禁止運動の到達点にたって、今一度、被爆国国民として心を一つに力を合わせよう」と呼びかけました。
集会では「ヒバクシャ国際署名」を全国の職場、地域、学園など国内外に広げ、「日本が危険な『核の傘』から離脱し、核兵器の禁止と平和のために行動するよう、流れを変えましょう」とのアピールを採択しました。
宮城県から参加した管理栄養士の女性(30)は「初めてビキニデーに参加して、署名の大切さがよくわかりました。友達に輪を広げ、署名に取り組む人を増やしたい」と話していました。
今年は、昨年10月に国連で採択された「核兵器禁止条約に向けた交渉を2017年に開始するよう求める決議」に基づいて交渉が開始されます。日本はアメリカに追随して同決議には反対しましたが、交渉には積極的に参加することにしています。