2017年6月13日火曜日

13- 安倍首相の天皇いじめを検証した東京新聞「象徴考」(天木直人氏)

 日本会議系メンバーが等しく「皇室の尊厳」を口にするのはそれが彼らの基本原理だからですが、その一方で新憲法で謳われた象徴天皇として何をなすべきか、それを考え誠心誠意模索し実行してこられた今上天皇に対して、安倍首相のブレーンである八木秀次氏は天皇の憲法尊重の姿勢を公然と批判し、首相の推薦をうけた「有識者」である平川祐弘・東大名誉教授は、生前退位に関して「天皇は祈っているだけでよい」という傲岸・不遜な発言をして世間を驚かせました
※ 2016年11月11日 安倍首相がゴリ押しした “日本会議系学者” が天皇批判!
 安倍首相をはじめとする官邸自体が、憲法99条(憲法尊重擁護義務)を順守される天皇・皇后に対して強い反感をもっているということもかねてから伝わっているところです。
 
 要するに彼らは自分たちにとって都合の良い「皇室像」は盛んに国民の前で崇めますが、自分たちの目的に反する、例えば「改憲に不都合な部分」についてはたとえ天皇であろうとも批判するわけで、まさにいいとこ取りの皇室観というべきです。それこそ「皇室の政治的利用」です。
 
 天木直人氏が、11日に東京新聞が「象徴考(相克―皇室と永田町)」の連載を始めたことを紹介しています。
 同氏によれば「連載(上)」の伝えるところは、「首相安倍晋三による抵抗できない今上天皇へのいじめであり、この特集は、「こんなにひどい首相が日本にいたのか、という思いと共に、末永く読み継がれていくべき永久保存版である」ということです(同記事はネット非公開のためここに紹介できずに残念です)。
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安倍首相と明仁天皇の確執を検証した東京新聞「象徴考」
天木直人のブログ 2017-06-12
 退位特例法の成立とともに、あの昨年8月8日の天皇陛下のお言葉の衝撃と、なぜ天皇陛下があのお言葉を発しなければいけなかったのか、その背景が忘れ去られていく。
 そうさせてはいけない。
 そう言わんばかりに、東京新聞が「象徴考」(相克―皇室と永田町)と題する特集記事の連載をきのう6月11日から始めた
 その「上」であるきのうの記事は、国民必読の永久保存版の価値がある。
 そこには、やがて退位される明仁天皇と首相安倍晋三の確執が、これ以上ない明確な形で書きとどめられている。
 それは、ひとことで言えば、2013年4月28日に首相安倍晋三の手ではじめて開かれた沖縄主権回復式典への明仁天皇の不本意な出席から始まって、「天皇は祈っているだけでよい」という、首相安倍晋三が選んだ退位有識者会議専門家の傲岸・不遜の言葉で終わる、首相安倍晋三による明仁天皇いじめにつきる。
 すなわち、2013年4月28日、前年末に発足したばかりの安倍第二次政権は、沖縄にとって「屈辱の日」に、わざわざ「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開き、そこへ明仁天皇の出席を強いて、あろうことか万歳三唱で天皇陛下を見送った。
 「私はなぜこの式典に出ることになったのか」
 そう明仁天皇は「不満げな表情」で側近に漏らされたという。
 
 それから三年後、退位を巡る政府の有識者会議で、「首相枠」とされた保守系の一部専門家は「天皇は祈っているだけでよい」と強調した。
 この言葉が、はじめての象徴天皇として、何をなすべきか、それを考え、誠心誠意模索し、実行してこられた明仁天皇の心情を、どれほど傷つけたことか、想像にあまりある
 明仁天皇が退位され、新しい時代になっても、国民は決して忘れてはならないのだ。
 平成から新しい元号の時代の変わり目に、これほど凄まじい明仁天皇と安首相安倍晋三の確執があったことを。
 いや、それは確執などではない。
 首相安倍晋三による、抵抗できない明仁天皇いじめである。
 東京新聞の「象徴考」(相克―皇室と永田町)という特集記事は、日本国民によって、こんなにひどい首相が日本にいたのか、という思いと共に、末永く読み継がれていくべき永久保存版である(了)