2017年6月27日火曜日

英とも米とも違う日本の「政治主導」(田中良紹氏)

 森友学園疑惑では、財務省の佐川宣寿理財局長が野党の追及の矢面に立ちましたが、彼は安倍首相が関与したとは口が裂けても言わずに、他のルートでリークされた情報に基づいて野党議員が問いただしても、
 「関係資料は存在しない」、「関係資料はすべて破棄した」、「パソコン内のファイルは定期的にクリアされ復元が出来ないようになっている」として応じずに、「それなら関係者に確認したらどうか」と迫られても
 「私どもで改めて確認することを控えさせていただきたい」、「確認することを控えさせていただきたいと申し上げました」、「確認することを控えさせていただきたいとご答弁申し上げました」を連発し、調査することをあからさまに拒絶しました。

 彼がそんな理不尽、不条理、茶番劇に類することを衆人環視の中で恥ずかしげもなくできたのには、明確な動機がありました。それは「自分が安倍首相を守りきる(ところを官邸に見せる)」という一点です。
 事実 彼の鉄壁のガードは官邸に高く評価され、7月の人事では目出度く国税庁長官に栄転するということです。
 トップに近い官僚たちがこんな風になりふり構わずにまた国会や国民を冒涜することなどに何のためらいもなく、「ウソ八百」を並べ立てて政権に忠誠を尽くすという、この腐敗しきった構造は一体どこに由来するのでしょうか。

 政治ジャーナリストの田中良紹氏がTHE PAGEに「英とも米とも違う日本の『政治主導』・・・」なる記事を載せました。
 田中氏は、安倍首相が構築した「政治主導」は英・米とも異なるもので、普段は国民の目に晒されないままに一方的に忍従を強いられている官僚たちにたまっている不満のマグマは大きく、もしも支持率が下がり続け、選挙の一つでも負ければ、そのマグマは予想もつかぬところからあふれ出す可能性があると述べています。
 以下に紹介します。

(追記 いま行われている都議選で自民が惨敗するのは必至で、メディアは例によってそれを報道しないものの、官邸はそれを正確につかんでいるということです。
    安倍首相が私邸にこもって都議選の応援に出ないのは、加計学園問題での風当たりが強いこともありますが、応援したのに惨敗したということになると自分の面目にかかわる・・・というのが本当のところと見られています。本来そんなわがままは許されないのですが、そこは「お子様版・・・」である以上 党としても耐えるしかないということなのでしょう。
 代わりに引っ張り出されている石破氏こそ「いい面の皮」です。^○^)
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英とも米とも違う日本の「政治主導」 旧民主党と変わらない安倍政権
田中良紹  THE PAGE  2017.06.25
 「森友学園」と「加計学園」の2つの疑惑で共通して追及されたのは「官僚による忖度」でした。その背景の一つとして挙げられたのが2014年に設置された「内閣人事局」。小泉政権以降の自民党政権、旧民主党政権を通じて同趣旨の組織が構想され、2014年の第二次安倍内閣で設置されました。幹部公務員人事に内閣が関与することで「政治主導」を進めるための改革でしたが、これをどう見るか。政治ジャーナリストの田中良紹氏に寄稿してもらいました

官僚が忖度した?「森友学園」問題
[写真]通常国会閉幕を受けて会見した安倍晋三首相(ロイター/アフロ)
 「既得権益とつるんだ霞が関の岩盤規制を自らがドリルになって穴を開ける」。安倍首相はそれが「政治主導」だと言って胸を張る。日本社会を停滞させる霞が関の官僚機構の旧弊を打破するのが政治の仕事だと言う。しかしそれを言うなら間違っても自分の「お友達」に利益誘導してはならない。
 仮に「お友達」の事業が最上の評価に値するものであれば、くれぐれも誤解を招かぬよう規制撤廃に至る過程をすべて明らかにする必要がある。そうでなければ「政治主導」の正当性は失われ権力者の資質に疑問符が付く。

 「公」の使命のためには「私」の利益は捨てる。「お友達」には涙をのんでもらうのが権力者の矜持と思うが、安倍首相にはそれが分からないようだ。第一次政権では「お友達」を閣内に集めて批判され、第二次政権では「お友達」に利益誘導を行ったのではと批判にさらされている。
 通常国会は統治構造の歪みを露呈する異常な国会であった。安倍首相の妻が名誉校長を務めた「森友学園」が8億円の値引きで国有地を払い下げられ、それが追及されると財務省は交渉記録をすべて破棄したと発表した。霞が関を知る者ならありえない話で、不都合だから隠蔽したとしか思えない。
 払い下げ交渉には経産省出身の首相夫人付き秘書官の関与も明らかにされたが、安倍首相は「妻も自分も事務所も一切関わってはいない」と全面否定を繰り返し、現場の官僚が勝手に「忖度」したとの「印象」を国民に振りまいた

英国と米国の幹部公務員「政治任用」のあり方
 なぜ官僚が勝手に「忖度」するのか。そこで指摘されたのが2014年に内閣官房に設置された「内閣人事局」の存在である。そもそも首相は行政府の大臣、副大臣、政務官など政治家の任命は行うが、事務方の公務員人事は霞が関の役所に委ねられていた。
 ところが米国を真似し「小さな政府」を主導した小泉政権の頃から、霞が関の抵抗を排除するには公務員の人事を政治が握らなければならないとの議論が起こり、役所の幹部人事に政治が介入する仕組みの検討が始められた。

 おそらく米国の仕組みを念頭に置いたものと私は思ったが、米国では政権が交代するたびに4000人を超える幹部公務員が交代する。その人事権は大統領にあるが、しかし議会の承認も必要とされる。それが幹部公務員の人事を政治がコントロールする米国の政治任用制である。
 一方、日本と同じ議院内閣制の英国では、多数の与党政治家が大臣、副大臣、政務次官、政務秘書官となって行政府に入り込む。さらに大臣への助言者を外部から登用するところまでが政治任用で、事務次官以下の職業公務員は試験によって登用される。公務員は厳しく政治的中立を求められ、一方で政治が公務員人事に介入することは自制される。
 大統領制でない日本が米国の仕組みを真似することは現実的でない。しかし英国型とも異なる「内閣人事局」を安倍政権が誕生させ、官邸は各省の幹部人事を掌握した。人事権を握られた役所は官邸の意向に逆らえなくなる。安倍政権の意向に逆らい、更迭されたケースが複数の官庁で現実になったからだ。

 従って官僚は「総理のご意向」を「忖度」しながら働かざるを得ない。首相夫人が名誉校長を務めた「森友学園」の前理事長が国有地払い下げに苦心したが、首相夫人にお願いをしたら「神風」が吹き、官僚機構が一斉に「総理のご意向」の方向に動いたと言った。

「加計学園」問題では経産省主導への不満
 次に問題とされたのは、首相の親友が経営する「加計(かけ)学園」の獣医学部新設問題である。「総理のご意向」が内閣府を経由して許認可権を持つ文科省に向けられた。しかしこちらは文科省の内部から反発が出た。
 藩の命令に唯々諾々と従わず町人や農民が中心の「奇兵隊」を組織してクーデターを起こした幕末の長州藩士高杉晋作を尊敬する前川前事務次官が安倍首相の「政治主導」に真っ向から戦いを挑んだのである。

 第一次安倍政権の失敗は、霞が関と米国から冷たくされたことである。渡辺喜美行革担当相による「霞が関改革」は官僚機構の反発を買って骨抜きにされ、また米国のブッシュ政権は小泉時代のような信頼感を安倍政権に持たなかった。
 そのトラウマが第二次政権で安倍総理を霞が関と米国にすり寄らせる。政権運営のキーマンとなったのは今井尚哉首相首席秘書官である。経産省出身の今井氏は、霞が関の筆頭官庁であった財務省に替わり経産省主導で安倍政権のシナリオを書き始めた。
 それが原発再稼働と原発輸出路線となり、財務省が望む消費増税を延期させ、北方領土交渉では外務省を押し切り日ロ共同経済活動を促す。また首相夫人の秘書官に自分の部下を配置して首相夫妻を喜ばせ、さらに米国の要求に応えた集団的自衛権行使容認の下工作や米国に気に入られるための議会演説草稿を書いた

 今井秘書官の働きに加え「内閣人事局」による人事権の掌握は、安倍政権の官僚支配を盤石にしたように見えた。そうなれば安倍政権はおのずと官僚に上から目線の対応になる。それが財務省にも、外務省にも不満のマグマを充満させる。

官僚を「戦う相手」とみなした旧民主党政権
 前川前次官の座右の銘ではないが、今や霞が関は「面従腹背」の塊になった。支持率が下がり続け、選挙の一つでも負ければ不満のマグマは予想もつかぬところからあふれ出す可能性がある
 この状況は2009年に政権交代を果たした後の旧民主党政権とよく似ている。あの時、国民の熱狂的な支持に舞い上がった旧民主党は霞が関と戦うことが「改革」だと思い込み、小沢一郎氏が英国を真似て与党議員の多数を官僚機構に参加させようと提案したのを一顧だにせず、官僚を公開の場に呼んで追及する「事業仕分け」によって国民の喝さいを浴びようとした。
 私にはそれが官僚に対する「公開処刑」のように見え、政権運営はうまくいかなくなるだろうと思ったが、果たして官僚機構は動かなくなり、旧民主党は政権運営に行き詰まった。官僚は使いこなすべき相手であって戦うべき相手ではない。それを勘違いした旧民主党が権力を失うのは当然であった

 戦前の日本政治は薩長藩閥政府と政党政治の戦いの連続で、天皇の威光を背にした官僚が常に政治より優位にあった。戦後は占領軍が政治家を公職追放する一方で官僚機構を日本支配の道具として残し、片山哲と鳩山一郎、石橋湛山以外は吉田茂、芦田均、岸信介、池田勇人、佐藤栄作と官僚出身の政治家が相次いで首相になった。
 そうした伝統を覆したのは田中角栄元首相である。学歴のない田中はしかし霞が関の官僚たちから一目も二目も置かれた。それは旧民主党や安倍首相のように官僚と戦ったからではない。いわんや金で官僚を買収したわけでもない。官僚に自由に仕事をさせ、その代わり責任はすべて自分がとると宣言したからである。
 そのうえ自分で法律を作った。直接間接に関わった議員立法の数は100本を超え、誰も田中を抜くことは出来ない。それとは逆に立法を霞が関の官僚に丸投げし、そのくせ情報を官僚に頼り切り、しかも「政治主導」だと言って威張る政治家を官僚が評価するはずがない

 米国は幹部公務員の人事を大統領が行うが、議会も人事に関与し、国民に見える形で官僚の資質が判断される。英国は政治家が官僚機構に入り込むが事務の公務員人事に政治は介入しない。しかし日本の「内閣人事局」という制度はまるで官邸の独裁を可能にする。それが今国会で見えるようになった。しかしこれではこの国の政治がまともになるはずがない

■田中良紹(たなか・よしつぐ) ジャーナリスト。TBSでドキュメンタリー・ディレクターや放送記者を務め、ロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材する。1990年に米国の政治専門 チャンネルC-SPANの配給権を取得してTBSを退職、(株)シー・ネットを設立する。米国議会情報を基にテレビ番組を制作する一方、日本の国会に委員会審議の映像公開を提案、98年からCSで「国会テレビ」を放送する。現在は「田中塾」で政治の読み方を講義。またブログ「国会探検」や「フーテン老人世直し録」をヤフーに執筆中