アメリカでは第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃からCIAによる報道コントロール計画が始まり、1980年代に入ると気骨あるジャーナリストは有力メディアの世界から姿を消すようになりました。
それだけではなく広く海外のメディアのコントロールも進み、謹厳で鳴ると思われた(西)ドイツでも、アメリカの支配層は有力な新聞、雑誌、ラジオ、テレビのジャーナリストをアゴアシつきでアメリカに招待、取り込んできたということです(ウド・ウルフコテの著書他)。
現在アメリカでは、ロシア系のメディアのRT(ロシア・トゥデー)やスプートニクが、米国内で有力メディアから排除された少数派に発言のチャンスを与えていますが、それを恐れた司法当局はその両メディアを攻撃しているということです。
アメリカに報道の自由があると思うのは明らかな誤解であって、現下のロシア攻撃のプロパガンダは異常そのものです。両紙の健闘を祈ります。
(関係記事)
2014年11月11日 独ジャーナリストは米国支持を強制されている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
報道統制をプロジェクトとして実行してきた米国で
少数派に発言の機会を与えた露国メディアを攻撃
櫻井ジャーナル 2017年10月11日
現在、アメリカではロシア系のメディア、RTやスプートニクが司法当局から攻撃されている。ロシア政府のプロパガンダ機関だということのようだが、それならアメリカの支配層も恐れはしない。ソ連時代のプラウダやいずベスチアなどを思い起こせばわかるだろう。アメリカの支配層がRTやスプートニクなどを恐れるのはアメリカ国内で有力メディアから排除された少数派(例えば、戦争に反対し、強者総取りの社会システムに反対する人々)に発言のチャンスを与え、報道統制を揺るがしているからだ。
アメリカに言論の自由があるという幻想を抱いている日本人は少なくないらしい。自分たちが従属しているアメリカは自由と民主主義の国だと信じたいのだろう。侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返してきたなどという話をそうした人々は拒絶し、このブログを読むこともないだろう。
2008年11月、首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」でトヨタ自動車の奥田碩相談役(当時)は「正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうか」と口にしたという。確かに正直な人のようだ。
最近は日本だけでないようだが、記者と呼ばれる人々は取材しなくなっている。政府、大企業、そうした「権威」のお墨付きを得た「専門家」たちが話すことをそのまま垂れ流しだ。中には気骨ある人物もいないではないが、1970年代半ばから急速に減った。
トンキン湾事件という嘘で始めたベトナム戦争は泥沼化、1968年1月のテト攻勢で無惨な実態が露見して反戦運動が活発化する。この年の3月にはクワンガイ省ソン・テイン県ソンミ村の住民がウィリアム・カリー中尉の率いる部隊に殺された。ミライ集落とミケ集落を合わせるせると犠牲者の数は504名に達するという。
この虐殺を従軍記者たちは知っていたのだが、伝えていない。カリー小隊の行為を止めたヘリコプターのパイロット、ヒュー・トンプソン准尉の内部告発などで外部へ漏れ、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが1969年11月に書いた記事で知られるようになったのだ。
この事件は1967年6月にCIAとMACV(南ベトナム援助軍司令部)が極秘で始めたフェニックス・プログラムの一環。1968年から71年までこの作戦を指揮したウィリアム・コルビーは1973年9月から76年1月までCIA長官を務めたが、そのとき、フランク・チャーチ上院議員が委員長を務める「情報活動に関する政府による作戦を調査する特別委員会」(チャーチ委員会)で証言、「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と語っている。
この秘密工作を隠蔽する仕事をしていたひとりがコリン・パウエル。その仕事を評価されたのか、後に統合参謀本部議長、そして国務長官を務めている。1980年代に発覚したイラン・コントラ事件にはフェニックス・プログラムに参加していたCIAオフィサーや軍人が登場している。
アメリカにはベトナム戦争で自分の国が負けたという事実を受け入れられない人がいる。負けたのは投入した戦力が足りなかった上、戦争の実態を伝えたジャーナリストのために国内で反戦運動が盛り上がったからだというわけだ。ベトナム戦争でも従軍記者や従軍カメラマンは軍の命令に従って不都合な事実は基本的に伝えていないが、それ以外のルートから情報は漏れ、気骨あるジャーナリストによって報道された。
1980年代に入ると気骨あるジャーナリストは有力メディアの世界から姿を消していくが、CIAの報道コントロール計画は第2次世界大戦が終わって間もない1948年頃から始まっている。いわゆるモッキンバードだ。その中心にはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズというCIAの大物やワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムがいた。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)
ワシントン・ポスト紙はデタントを推進しようとしたリチャード・ニクソン大統領をウォーターゲート事件で失脚させ、日本では「言論の自由」の象徴として崇めている人もいる。その事件を取材したことで有名になったカール・バーンスタインは1977年に同紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。それによると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働き、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
最近では、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者、ウド・ウルフコテもメディアとCIAとの関係を告発している。彼によると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことで、多くの国のジャーナリストがCIAに買収されているとしている。その結果、ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっているとしていた。そして2014年2月、この問題に関する本を出した。アメリカでは今年、英訳本が出たはずだが、流通していない。
こうした西側の有力メディアはアメリカ司法省と同じように、必死でロシアを攻撃している。