ブログ:「世に倦む日々」は良く練られた考察と重厚な筆致で知られています。
今回の民進党の希望の党への合流騒ぎでは、小池百合子氏が前原誠司氏を巧く騙して、一旦は民進党の全員を受け入れるかのような素振りを見せたものの、土壇場になって安保法制の是認と憲法改正を含む「政策協定書」を提示することで、いわゆるリベラル派を排除しようとしたというのが一般の見方で、結果的に小池氏はすっかり悪者にされ民心が一斉に離反したために、投票日を前にして「希望の党は惨敗する」の予測が立てられるに至っています。
「世に倦む日々」氏は、合流の合意があったとされている9月26日夜の小池氏と前原氏と神津・連合会長の密談について、これまで報道された内容は真実ではないとして、会談は小池・前原氏の二者で行われ、そこでは民進党の全員受け入れなどという話し合いはなく、神津氏の同席もなかったという見方を示しました。
前原氏が、神津氏が会談に同席したという虚偽を述べた理由は明白で、そうしないことには民進党議員総会での了解が得られないからで、そのことを訴えて神津氏に了解してもらったのだとしています。
小池氏が「民進党員を全員受け入れる気はサラサラない」と明言したのは議員総会の翌日あたりでした。
普通であれば前原氏は即座にその違約発言に怒る筈ですが、彼はそんな非難は一言も口にしませんでした。それは小池氏との間に事前に「全員受け入れの密約」などは何もなかったからで、何よりもリベラル派をこの際に排除するというのが前原氏自身の方針なので、小池発言に何の違和感も持たなかったからに他なりません。
彼の頭の中にあったのは、どうすればその真相が公示日までバレないで済むかだけでした。まことに「万死に値する」行いでした。
逆に小池氏は被害者でもあったわけで、その独善性と傲慢さで「いずれは破綻を来す」だろうとは言え、総選挙で希望の党が「非自民勢力」と見做されてまさに一定の前進をする筈であったものが、前原氏の狡猾な「独善性」によって 肝心なときに挫折したのですから、それこそ「いい面の皮」でした。彼女にとっても前原氏はまた疫病神でした。
ブログ:「世に倦む日々」の精緻な文章をお読みください。
「日本では保守二大政党制を確立できない(民心はそれを望んでいない)」という指摘も鋭くて新鮮です。
(註 マヌーバー=策略、 エンドース=保証、裏書)
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前原誠司の偽計とマヌーバー - 保守二大政党制不可能の必至性
世に倦む日々 2017年10月18日
投票後に徐々に真実が明らかになるだろうが、9月26日夜の小池百合子と前原誠司と神津里季生の密談について、私はこれまで報道された内容は真実ではないと考えている。まず、本当にその場に神津里季生がいたのかどうか、その点についても訝しんでいる。神津里季生を含んだ三者の会談だったという情報は、少し時間を置いて、半日か一日後にマスコミから流された。これは、前原誠司側が、神津里季生に言い含めて了解を取った上で、既成事実にしてマスコミに撒かせた謀略工作だったのではないか。記憶では、最初の情報は二者会談で、途中から、実は神津里季生も入った三者会談という話になり、連合が民進党の希望の党への合流をエンドースしたことが世間に明らかにされた。神津里季生が入っているか入ってないかでは、28日の両院議員総会の流れが全く変わる。連合も認めたということになれば、合流に反対する者も総会で反論を上げることは難しい。27日の夜、左派議員の会合に枝野幸男が来て、前原誠司からの決定事項をメモで渡して伝える場面があり、国会から顔面蒼白で車に乗って帰る赤松広隆の表情をカメラが捉えていた。結局、左派議員は何も抵抗できず、翌日の総会は紛糾することなく、拍手での全会一致という脱力の進行で終わってしまう。
その後、合流の中身について、希望側の言い分と前原誠司の言い分に食い違いが出始め、丸ごと合流だという前原誠司の説明に対して、細野豪志や若狭勝が選別すると言い、総会翌日の29日には15人ほどの名前が載った排除リストが永田町に出回り始める。総会当日の28日夜には、細野豪志がプライムニュースに出演、菅直人と野田佳彦は公認はできないと生放送で明言していた。そこから神津里季生の反発が始まり、話が違うという異議申立ての姿勢になり、選挙では希望の党を支援するのではなく、選挙区ごとに民進党出身議員を支援するという方針を決める。30日(土曜)、神津里季生が民進党本部に前原誠司を訪ね、希望の党の選別方針に抗議、マスコミの前で小池百合子に対する不信と不満を語った。それと並行して、29日(金曜)の会見で、小池百合子はあの「排除いたします」の発言をし、週末はその問題に報道が集中して非難轟々の世論となった。翌日1日(日曜)、枝野幸男に対して「立て」のコールが全国の草の根から沸き起こり、2日(月曜)に枝野幸男が決断して新党という進行になる。現在の一般的な認識では、小池百合子が前原誠司を巧く騙し、合意文書を残さなかった密談で、民進党の全員を引き受けるという了解が成立していたような見方になっている。
小池百合子が前原誠司を騙し、前原誠司と神津里季生が小池百合子に騙されたという図式になっている。だが、それは本当だろうか。私は視角を異にしていて、前原誠司は最初から左派を切る狙いであり、左派と国民を騙していて、小池百合子に騙されたフリの演技をしていると睨んでいる。26日夜の密談は、文書や録音の証拠を残していない。だから、どういう交渉と結論であったかは出席した当時者がいくらでも勝手に作り話することが可能だ。28日の総会では、前原誠司は全員が小池新党に移動できる旨をコミットしている。そのため総会は荒れず、菅直人も辻元清美も阿部知子も、総会後に「小池さんと一緒にやるのが楽しみ」みたいなことを言っていた。実際に前原誠司が28日にどう発言していたかを探ると、「希望者全員の公認を求める」と言っていて、つまり「求める」としか言っておらず、「決まった」とは断言していない。これは、公認を求めるけれど公認されるかどうかは分からないという意味だ。言質を取られないように対策している。「希望者全員」という表現も意味深で、要するに、希望しない者も想定しているという意味だ。つまり、前原誠司と細野豪志と小池百合子は最初から戦略的に動いていて、左派議員が合流を求めないよう、希望入りを自ら断念するように、提出物を出させる等のハードルを構えていた。
28日夜の細野豪志のプライムニュースでの発言もそうで、「左派はお断り」のメッセージを出し、改憲に賛成する保守系のみを受け入れるのだと言っていた。全体を客観的に見れば、欺瞞の程度が悪質なのは小池百合子ではなく前原誠司だ。おそらく、26日夜の会合でも、左派排除は明確にこの政変のキーポイントとして合意され設定されていただろう。というより、26日夜以前の段階から、このマヌーバーに向けてのシナリオが準備されていたと考えてよい。そうなると問題になるのが神津里季生で、もし、26日夜に左派排除が確認されていたとすれば、その場に神津里季生が同席していたというのは辻褄が合わない。その後の展開を見ると、神津里季生が三者会談の席で左派排除に同意したとは考えにくい。私が、26日夜の会談には神津里季生は不在だったと推測するのは、そうした理由からである。要するに、前原誠司は神津里季生を騙しているのであり、全員が合流できるという虚構の解釈を決定事項のように伝えて捏造工作していたのだ。現在、排除の問題については小池百合子が悪役になって全責任を負わされる図になっている。だが、真相は違う。小池百合子は最初から排除の意思を示しているし、全員合流OKなどと言ってはいない。27日から30日の間は情報が錯綜していて、誰の主張が真実か容易に判断できない状況だった。
実はそれこそが前原誠司の思惑で、混乱の中で時間稼ぎして公示前の貴重な時間を摘み取り、左派議員を金縛りにし、対抗新党を結成できないように、そして参院左派議員が反乱できないように右往左往させるよう仕向けたのだろう。全員合流ができる楽観的余地があるよう見せかけ、小池百合子と交渉を詰める素振りを見せ、左派議員を淡い期待にすがらせて時間を浪費させる詭計だったのだ。時間を潰してしまえば、左派議員は無所属になる以外にない。前原誠司は、最初から左派議員を合流させる気は毛頭なく、完全に切って捨てる戦略だったのだ。そうしないと保守二大政党制は実現しないから。今回の前原誠司と小池百合子の謀略は、緻密に設計されたもので、成り行きで偶然に仕上がった政治ではない。28日の両院議員総会のタイミングを図り、すべて産経の記者を使った狡猾なリークで操縦している。われわれも、民進党議員も、マスコミ報道が漏らして固めていく既成事実の前で翻弄されるばかりだった。だから、ひょっとしたら、26日夜に前原誠司と小池百合子が会談したという件も、本当はなかったのかもしれないし、実際に会っていたとしても、特に合流の協議などせず、それじゃ計画どおりやりましょうと政変の成功を祈って乾杯しただけかもしれない。重要なのは刻々の行動ではなく、計画どおり既成事実を作っていくリーク報道だったのだ。
今回の政治について総括と教訓を言うのはまだ早いけれど、一つ意義として引き出せそうな点は、日本では保守二大政党を確立させることはできないという結論である。できそうに見えて、試行してみるとやはり無理がある。小池百合子の思い上がった失言がなければ、希望の党は150議席ほどを取ることができたかもしれない。だが、早晩、この党は分裂して解体する運命となっただろうし、小沢一郎の新進党の二の舞の帰結となったことが予想される。保守二大政党の政権交代システムを確立するということは、リベラルの政治勢力を排除することでしかない。リベラルの民意が吸収される回路が絶たれ、リベラルの理念と価値が否定され、無化され、リベラルの要求や利害が統治機構に全く反映されなくなってしまうことだ。そこまでの極端な保守革命とそれがもたらす未来図を、日本国民の多くは望んでおらず、強引にやると必ず拒絶反応を起こして空中分解する顛末となる。今、眼前で起きている立憲民主党のブームは、リベラルの側の保守革命(反共革命)を拒否するプロテスト運動として観察してよい。日本国民は、自民党Aと自民党Bが政権交代する体制を求めてはいない。それは、政治を庶民から隔絶した有力者(貴族門閥・学閥米閥)の権力争奪のゲームの世界に変えてしまうことであり、民主主義と政党政治の内実を失うことを意味する。日本人が求めているのは、保守とリベラルの緊張関係の中で、地べたに生きる国民の権利が守られる政治の姿だろう。
善悪の価値観の問題ではなく、保守二大政党制の構築は日本では物理的に不可能で、その思想と構想は空虚な観念論でしかない。何度やっても小沢一郎と同じ滑稽な失敗を繰り返すだけだ。リベラルを排除する政治は成立しない。