2019年1月5日土曜日

05- 象徴天皇制について国民が議論し考えるとき

 3日付の信濃毎日新聞は「象徴天皇制 国民が議論し考えるとき」、同じく毎日新聞は、「次の扉へ ポスト平成の年に 象徴の意義を確かめ合う」とする社説を掲げました。
 
 先に平成天皇が「退位」を語られたときに、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と憲法第1条に定められてはいるものの、そのあり方は抽象的であり、そのあるべき姿を国民の誰よりも深くお考えになられたのは、ほかならぬ天皇ご自身であったことに我々は気付かされ、「象徴天皇制について国民は議論を深めるべき」ことに気付かされました
 そのころ、天皇に「人権」はないのか、皇位継承を拒否する自由も認められるべきではないのか、などという意見も出されました。そうした事柄も含めてよく考えるべきであったのですが、いかんせん現在の安倍政権下ではとても実りある結果をもたらさないであろうこともあり、立ち消えになっていました。
 
 その状況は残念ながら現在も変わりませんが、そうした課題が国民に課せられているという認識は持ち続ける必要があると思います。
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社説 象徴天皇制 国民が議論し考えるとき
信濃毎日新聞 2019年1月3日
 日本国憲法第1条。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」。天皇制が日本に存在する根拠はこの一文にある。
 憲法が施行された1947年当時、「象徴」という言葉そのものは一般的でなかったとされる。広辞苑によると「ある別のものを指示する目印・記号」だ。
 意味が必ずしも明確でない「象徴」。その言葉に誰よりも向き合ってこられたのが天皇陛下だ。
 退位の思いをにじませた2016年8月8日のビデオメッセージでは「天皇の望ましいあり方を、日々模索しつつ過ごしてきました」と述べている。
 象徴天皇制で初の皇太子となり、新憲法下で初めて即位した陛下。これまでの歩みは常に象徴天皇制とともにあった
 今年5月、バトンは皇太子さまに渡される。新たな時代を迎える象徴天皇制はどこへ向かうのか。
<国民との語らい>
 陛下が重要視してきたものの一つに、国民との語らいがある。
 先のビデオメッセージで、陛下は「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」を天皇の象徴的行為として「大切なものと感じてきた」と述べている。
 その上で、高齢で「限りなく縮小していくことには無理があろう」と話し、これらができなくなることを退位の理由に挙げた。
 陛下は東日本大震災をはじめ、被災地の訪問を欠かさなかった。避難所では被災者と膝をつき合わせ、同じ目線で語り合った。数多くの離島も訪れている。
 中でも沖縄への訪問は際立っている。第2次大戦で事実上の「本土決戦」に巻き込まれて、日米双方で20万人以上の犠牲者を出した。皇太子時代を含め、昨年3月までに訪問回数は11回に上った。
 訪問の特徴を表しているのがハンセン病療養所だ。1968年から半世紀をかけ、全国14カ所にある施設のほぼ全てに足を運び、入所者と交流してきた。
 60年代末には、元患者と接触しても感染しないことは医学的に判明していた。それでも偏見は根強く、多くの人が接触を拒んだ。その中で陛下は元患者らと自然に握手し、皇后さまは手を重ねた。
 名古屋大大学院の河西秀哉准教授は「切り捨てられそうになった人々を日本につなぎ留める効果をもたらした」と話す。
 各地の慰問や戦死者の慰霊などは、憲法に規定された国事行為ではなく「公的行為」だ。訪問先などは陛下の意向がある程度反映されているという。
 陛下は戦時中、静岡県や栃木県に疎開し、11歳で終戦を迎えた。焼け野原になった東京も目にしている。皇太子時代、象徴天皇のあるべき姿や平和への取り組み方を教育を担った小泉信三らと熟慮してきたとされる。
 公的行為は、陛下と、活動を支えてこられた皇后さま2人によって立ち、国民に支持されてきた。
<政治利用の可能性>
 ただし、公的行為には制御する仕組みが乏しい。そこに天皇を利用する政治の思惑が入り込みかねない。天皇に対する国民の支持が高まるほど危険性は大きくなる。
 13年4月28日の「主権回復の日」式典。日本が独立した日であると同時に、本土復帰まで米軍施政下に置かれた沖縄には「屈辱の日」でもある。陛下は意向に反して出席を官邸に迫られ、安倍晋三首相や国会議員らに「天皇陛下、万歳」の唱和で見送られた
 沖縄県は米軍普天間飛行場の辺野古移転を巡り、政府との対立が続いている。負担を押しつける構造は変わらないのに、陛下の訪問は住民不満を和らげるという側面を併せ持つ。
 退位に関する一連の儀式では、宗教的な色彩が強い大嘗祭(だいじょうさい)に対して、政府は前例を踏襲して国費を支出することを決めている。
 憲法の政教分離規定に違反する懸念がある問題だ。それなのに政府の準備委員会は憲法議論の深入りを避け3回で決着した。
 国会は退位の法整備を「静かな環境で」という掛け声の下、オープンな議論を避けた。
 衆参両院の正副議長が各党から意見を聴取し、調整するという方法を取っている。事前に与野党が合意したため、国民が聴ける委員会審議は衆参とも1日だった。
<論戦をタブー視>
 象徴天皇制が生まれて70年余。共同通信社が昨年4月に実施した世論調査だと、象徴天皇制の維持を望む人が89%を占めた。
 象徴天皇制の定着とともに、天皇制のあり方に対する議論がタブー視されていないか
 時代とともに象徴のあり方は変わっていく。公的行為のあり方だけでなく、女性・女系天皇や女性宮家創設など将来に向けて考えなければならない問題は多い。
 天皇は「日本国民の総意に基づく」存在である。わたしたちが象徴天皇に向き合い、議論を交わさなければ、象徴天皇制の将来像は描けない。  
 
 
社説  次の扉へ ポスト平成の年に 象徴の意義を確かめ合う
毎日新聞 2019年1月3日
 今年は4月いっぱいで平成が幕を閉じ、新天皇が誕生する年である。
 
 国民とともにある象徴天皇像。それは今の天皇陛下が、長い皇室の歴史を踏まえつつ、自ら築き上げてこられたものだ。5月に皇太子さまに引き継がれる節目は、主権者の国民が改めて天皇制のあり方を考える契機になる。 
 そもそも憲法が定める国民統合の象徴とは抽象的な概念で、明確な定義はない。陛下を支えてこられた皇后さまが即位20年の記者会見で「象徴の意味は今も言葉には表しがたい」と述べたことは今なお重い。 
 
 象徴像を模索した陛下の歩みは時代状況にも影響を受けた。右肩上がりの経済成長を遂げた昭和が終わると、二つの大震災を含め、災害が相次ぐ。被災地を訪れ、膝をついて被災者に寄り添う姿に国民は感銘を受けた。混迷の時代、皇室への関心は一層高まった。 
 
戦後民主主義との調和 
 テレビを通じた発信も象徴としての役割を推し進めた。東日本大震災でのビデオメッセージをはじめ、国民に直接語りかける形が定着し、天皇が身近な存在になった。 
 戦後しばらくは、民主主義と天皇制との併存について疑問視する声が相当程度あった。だが、陛下は国民主権の憲法を重んじて行動し、天皇と国民の関係に、戦前の暗い記憶が影響を与えることのないよう努めた。平成は民主主義と天皇制が調和した時代といえる。 
 
 NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに行っている国民の意識調査によると、「好感」や「尊敬」など陛下への好意的な回答が2013年には約7割に上り、過去40年間で最高となった。 
 「能動的な天皇」は、時代の流れの中で、陛下がたどり着いた象徴の形である。陛下は昨年12月の誕生日にあたり、記者会見で「象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民」に対し、あえて「衷心(ちゅうしん)より」という言葉を使い、感謝のお気持ちを表した。 
 現代の天皇制が国民の支持なくしては成り立たないことを誰よりも強く意識してきたからだろう。 
 能動的な天皇は、加齢で体力が衰えれば役割が果たせなくなる。陛下が退位を望んだのは、ご自身の考える象徴像と深く結びついている。 
 皇位を継ぐ皇太子さまは、昨年2月の誕生日に合わせた記者会見で、両陛下が築いた「国民とともに歩む」姿勢を踏襲する考えを明らかにされた。そのうえで「社会の変化に応じた形」で行動していくことも皇室の役割という認識を示した。 
 
 では、これからの時代に応じた象徴像とは何か。 
 秋篠宮さまが昨年、宗教色の強い皇室行事の大嘗祭(だいじょうさい)について「国費で賄うことが適当かどうか」と問題提起されたように、皇室のあり方が変わる可能性は常にある。
 
継承の議論急ぐべきだ 
 皇室の大衆化が進み、週刊誌で皇室関係のスキャンダルがたびたび伝えられる時代でもある。伝統を守りつつ、現代の国民感覚とどう折り合いをつけていくのか。 
 対応の仕方によっては、天皇制が不安定になることも考えられる。生前での退位をこれからも認めるのかどうかも大きな課題である。 
 先細りする皇位継承者をめぐる議論もこれ以上、先延ばしできない。陛下の退位後、皇位を継げる若い皇族は秋篠宮家の悠仁(ひさひと)さましかいない。安定した皇位継承のためには、「女性天皇」や「女系天皇」の可能性を排除せず、できるだけ早い時期から議論を始めるべきだ。 
 
 国際社会に目を向ければ、アメリカをはじめ、富める者と貧しい者や、国民と移民の間で分断が進み、国としてのまとまりにほころびが生まれている。 
 国民のシンボルとしての天皇は、社会の連携を保つ役割を担っているように見える。それは天皇を頂点とした戦前の疑似家族国家とは明らかに異なる。 
 平成最後となった、新年に伴うきのうの一般参賀には平成最多の15万人超が詰めかけた。象徴天皇としての務めに全身全霊を傾けた陛下への感謝の大きさを示した。 
 
 振り返れば、象徴とはどうあるべきかを、私たちは陛下に委ねすぎていたのではないか。 
 新しい時代の象徴天皇像は、まさに国民の「総意」に基づき、新天皇との共同作業で作り上げていくものであろう。 .