2019年1月17日木曜日

嫌韓ショービニズムで染まった国内世論(世に倦む日々)

 韓国の大統領が新年会見10日)で、NHKの質問に答える形で徴用工問題で日本政府を批判して以来日本の世論は集団ヒステリー状態に陥り、BSのテレビなどではいまも毎夜のように大統領バッシングの番組が流されるなど、手が付けられない発狂状況になっています。「世に倦む日々」氏がそう批判しました。
 
 彼は、氏のコメントは韓国大統領が示した所感として不当なものではなく、日本のリベラルな市民が聞いて十分に納得でき積極的に肯ける性格のものであるとしていますそれなのに日本のリベラル陣営には文発言への支持を表明する者がおらず、発狂のボルテージを上げまくる右翼のショービニズム排外的愛国主義に立ち向かう者がいない、となげいています。
 
 そして大統領を擁護するのは難しいことではなくて、最も有効で適切な方法は、24年前の村山談話を正しく提示し、21年前の日韓共同宣言(日韓パートナーシップ宣言)を確認し、17年前の日朝平壌宣言を参照することであるとして、この三つの外交文書は、事実上、54年前の日韓基本条約の合意をアウフヘーベン止揚するもので、日韓請求権協定の呪縛から両国を解放し、その法的正当性に拘泥する反動を論破し無意味化するところの、価値ある政治的遺産だ」と述べています。
 
 まさに溜飲が下がりますが、それにしても日本国内のこの「異常さ」は一体何なのでしょうか。
 ブログは、「日本が、安倍晋三のような歴史を正視しない極右反動の政権を続けるかぎり、韓国との関係は正常化できない。歴史問題をめぐる日韓の軋轢と不正常は、基本的に日本の側に原因と責任がある。右翼化した日本に問題がある。(中略)理性と良識を持つわれわれ市民は、そう認めなくてはならず、そうきっぱり言わなくてはいけない」と結ばれています。
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徴用工問題のヒステリー - 嫌韓ショービニズムで染まった国内世論 
世に倦む日々 2019年1月16日
先週10日に文在寅の新年会見があり、徴用工問題で日本政府を批判する発言があって以降、日本国内のテレビでは文在寅叩きと嫌韓キャンペーン一色になっている。三連休のテレビもそれで塗り潰されていたが、連休が明けた後も、BSフジのプライムニュースやBS日テレの番組で毎夜のように文在寅バッシングが続いている。問題を冷静に受け止めて中立の報道に努めているテレビ局は皆無で、公平で適切な解説を述べているコメンテーターは一人もいない。文字どおり、文在寅を憎悪し排撃するファナティック(狂信的)なショービニズムで日本中が沸騰しており、手が付けられない発狂状況になっている。10日の文在寅のコメントは、徴用工問題についての韓国大法院の判断を是認し、日韓の歴史問題に対して傲慢な態度に徹する日本政府を批判したもので、韓国大統領が示した所感として不当なものではない。日本のリベラルな立場の市民が聞いて十分に納得できるものだろう。平和的で友好的な日韓関係を望み、そして歴史問題に謙虚な日本のリベラルな市民の感覚からすれば、今回の直言はむしろ代弁として積極的に肯ける性格のものである。 
 
私はそう思う。理性にもとづいて冷静に判断すれば、文在寅の言っていることは正しい。日本国民は、この隣国の指導者による日本への苦言を素直に受け止めて、隣人からの勧告として意味を認めるべきで、感情的な反発を返すべきでなく、思惑を不当に曲解して貶めたり拒絶したりするべきではない。だが、そうした反応は日本のマスコミのどこにもなく、ネットを探してもよく発見することができない。日本国内の言論で文在寅発言を擁護するものが一つもなく、文在寅発言への支持を表明している論者が一人もいない。どれもこれも頭から文在寅を否定し、ムキになって文在寅を論難し、その理由を探してテレビで罵倒を繰り返している。吉永みち子や玉川徹や松原耕二が率先してその悪罵を放ち、日本の世論を反文在寅に染め上げることをやっている。異常な空気が充満する中、言論のバランスをとろうと苦慮する者がおらず、発狂のボルテージを上げまくる右翼のショービニズムに立ち向かう者がいない。4年ほど前、やはり日本のマスコミが朴槿恵を叩きまくっていたことがあった。毎週のように、週刊新潮と週刊文春が朴槿恵の顔写真を吊り広告に大きく載せ、誹謗中傷を繰り返していたことがあった。
 
現在の嫌韓世論の熱狂はそのとき以上で、誰も制止しようとする者がいない。左翼リベラルの学者たちは静観を決め込み、この嫌韓ファシズムの狂乱と圧倒に口を挟もうとしない。文在寅発言を支持する論理を考案することができず、抵抗する言論の陣地を構築することができない。ネットの中には、リベラルを称し、ツイッターのアカウントを持っている著名学者が何人もいて、しばき隊にツイートをRT拡散させる日常を送って存在を示威しているが、今回の事件では完全に全員が白旗状態になっていて、沈黙に徹し、結果的に右翼の文在寅非難に同調してしまっている。文在寅を擁護する立論を起こして説得力を作ることは、政治理論の作業として難しいことではなくて、最も有効で適切な方法は、24年前の村山談話を正しく提示することだろう。21年前の日韓共同宣言(日韓パートナーシップ宣言)を確認することである。また、17年前の日朝平壌宣言を参照することである。この三つの外交文書は、事実上、54年前の日韓基本条約の合意をアウフヘーベン止揚するもので、日韓請求権協定の呪縛から両国を解放し、その法的正当性に拘泥する反動を論破し無意味化するところの、価値ある政治的遺産だ。
 
村山談話はこう言っている。「アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます」。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」。「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」。戦後50年の節目の年の終戦記念日に発表されたこの宣言は、閣議決定された正式な文書であり、日本の平和外交の指針となるマニフェストである。日本国の外交基本法としての位置と役割を持った文書と言っていい。この文書の起草と決定においては、河野洋平や橋本龍太郎や亀井静香だけでなく、当時の自民党タカ派の重鎮だった平沼赳夫や江藤隆美や島村宜伸も了解をしている。この事実は、村山談話の正統性を担保するものとして見逃せない。自民党幹事長は森善朗だった。村山談話が特に意識していたのが韓国であったこと、あらためて言うまでもない。
 
戦後50年は、日韓基本条約30年の年でもあった。村山談話の中には次の一文がある。「現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります」。これは、従軍慰安婦問題を指すという説があるが、無論、特定の一つだけに限定されるという解釈は適当ではない。国家の外交指針を定めた基本宣言なのだから、「現在取り組んでいる戦後処理問題」の中身には、そのときどきに発生している具体的な諸問題が含まれると考えるべきである。中国旧満州での日本軍化学兵器の処理の問題なども入るだろう。徴用工訴訟は長く引き摺っていた問題だが、日韓関係の焦眉の問題として浮上してきたのは最近で、銅像が建ったニュースの頃から大きな関心事の外交問題になった。ひょっとしたら、次あたり、日本軍の特攻隊で死んだ朝鮮人青年の銅像が建ち、また騒動になるのではないかなどと想像をしてしまう。徴用工の問題についても、安倍晋三の極右政権でなければ、これほど拗れることはなかったはずだ。日本の政権が小渕政権ほどのマイルドな性格であれば、大法院が損害賠償を認める判決を出すなどというドラスティックな展開にはならなかった。銅像も建たなかっただろう。
 
日本が、安倍晋三のような歴史を正視しない極右反動の政権を続けるかぎり、韓国との関係は正常化できない。歴史問題をめぐる日韓の軋轢と不正常は、基本的に日本の側に原因と責任がある右翼化した日本に問題がある。極右の歴史観(=イデオロギー)を清算し克服しないかぎり、日本国民は韓国と良好な関係になることができない。理性と良識を持つわれわれ市民は、そう認めなくてはならず、そうきっぱり言わなくてはいけない。