適菜収氏の「それでもバカとは戦え」に直近3人の首相が登場しました。
それぞれ1点ずつを取り上げていますが、それぞれの特徴を良く掴んでいます。
まず安倍晋三氏は〈ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、「どうだ」とばかり叩きつけたもの〉と述べましたが、勿論順序が逆です。適菜氏は「これは単なる勘違いではない。終戦の経緯を理解していれば、このような発言が出てくるわけもない」と切って捨てています。
菅義偉氏は官房長官時代に、沖縄の苦難の歴史を語った翁長氏に対し「私は戦後生まれなので、歴史を持ち出されたら困る」と言い放ちました。政権の「要」にいる者がよくもこれほど愚かなことを口に出来たものです。
岸田文雄氏は今年の長崎平和祈念式に贈ったビデオメッセージで、〈焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げられたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です〉と述べました。
通常「試練」とは「超越的な存在」が至らない者に対して与えるものです。米国を神にも比すべきものとでも思ったのでしょうか。人類史に残る原爆投下という暴虐を「試練」と言い換えるとは余りにも知性に欠けています。
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適菜収「それでもバカとは戦え」
自民党支配で完全に底抜け…歴史も国家も消え、米国隷属だけが残った
日刊ゲンダイ 2023/08/18
(記事集約サイト「阿修羅」より転載)
30年くらい前までは、この時期になると、政治家の歴史認識問題が注目を集めていた気がする。右であれ左であれ、政治家は敗戦についてどう考えるか意見を述べ、ときには国民の反発に遭うこともあった。
しかし、今は完全に底が抜けてしまった。国家の一貫性を軽視する勢力が自民党に巣くうようになった結果、ついには原爆投下とポツダム宣言の時系列を理解していない総理大臣まで登場した。安倍晋三は〈ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、「どうだ」とばかり叩きつけたものです〉(「Voice」2005年7月号)と述べていたが、ポツダム宣言は1945年7月26日、原爆投下は8月6日と9日である。
これは単なる勘違いではない。終戦の経緯を理解していれば、このような発言が出てくるわけもない。このレベルの人物が「戦後レジームからの脱却」を唱えていたのも笑止だが、結局安倍がやったのは「戦後レジームの固定化」とアメリカ隷属路線の強化である。
その次に登場したのは、歴史そのものを「なかったこと」にする総理大臣だった。15年、沖縄県の基地移設問題を巡り翁長雄志知事と官房長官の菅義偉は会談。沖縄の苦難の歴史を語った翁長に対し、菅は「私は戦後生まれなので、歴史を持ち出されたら困る」と言い放った。支離滅裂、意味不明。だったら、国会議員の大多数は歴史を無視していいという話になる。
長崎市内の平和公園で行われる予定だった平和祈念式典は台風の影響で屋内開催となり、岸田文雄は出席せずにビデオメッセージを送った。
〈一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げられたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です〉
試練? 受験勉強ではあるまいし、長崎市民はアメリカにより、問答無用で焼き殺されたのである。乗り越えることができず、苦しみながら死んでいったのである。
同胞に対する共感のかけらもない。国家という前提がないからだ。この類いの連中にとって、歴史とは都合が悪くなれば修正、改ざんするものであり、宗主国のアメリカ様のご機嫌を損ねないことだけが重要なのである。
適菜収 作家
近著に「安倍晋三の正体」「ニッポンを蝕む全体主義」「思想の免疫力」(評論家・中野剛志氏との対談)など、著書50冊以上。「適菜収のメールマガジン」も発行。本紙連載を書籍化した「それでもバカとは戦え」も好評発売中
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。