78年前の8月6日、広島に原子爆弾が投下され約14万人の市民が亡くなりました。
米国の世論調査によると、現在もなお原爆投下は戦争を早く終わらせるための「必要悪」であったという意見が多数を占めています。それは終戦後に米政府が原爆投下を正当化した主張がいまも米国民の中で踏襲されているためです。
しんぶん赤旗日曜版8月6日号に、「戦後78年改めて問う 原爆使用 当時も国際法違反 連合軍トップが『投下は不要』」というタイトルの記事が載りました。
原爆の投下は当時の国際法に照らしても犯罪です。米政府は、一つは莫大な費用を投じて開発した原爆の威力を米国民に成果として示したかったことと、もう一つは当時台頭しつつあったソ連に対しての軍事的優位さを示したかったために、不法且つ不必要な原爆投下を行ったのでした。
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戦後78年改めて問う 原爆使用 当時も国際法違反 連合軍トップが「投下は不要」
しんぶん赤旗日曜版 2023年8月6日号
米国による広島、長崎への原爆投下は、国際法に照らして違法ではないのか-。戦後78年の今、原爆投下の原点を問う動きが改めて強まっています。 伊藤佑亮、坂口明記者
韓国南部・星州(ソンジュ)で6月7日、「原爆投下を裁く市民法廷」に向けた第1回国際会議が聞かれました。「米国からの謝罪が欲しい」との韓国人被爆者の願いに応えた取り組みです。(日曜版6月25日号で報道)
国際市民法廷は、核不拡散条約(NPT)次回再検討会議が予定される2026年に米国で開催することをめざしています。原爆投下を問う民間国際法廷の米国開催は史上初となります。その準備のための国際会議を積み重ねる予定で、来年は広島で開催されます。
6月の国際会議で中心的に議論されたのが「1945年当時の国際法からみた広島・長崎への原爆投下の違法性」でした。このテーマについて会議で報告した山田寿則さん(公益財団法人政治経済研究所主任研究員、明治大学兼任講師)に話を聞きました。
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公益財団法人政治経済研究所主任研究員、明治大学兼任講師
山田寿則(としのり)さん
民間人への攻撃禁止
ハーグ陸戦条約(1907)
孤島・長崎への原爆投下は、当時すでに国際慣習法化していた二つの原則に違反しており、違法と言えると思います。
第1は「目標区別原則」です。文民(民間人)と戦闘員を区別して、戦闘員や軍事目標だけを攻撃しなけれぱならないという原則です。
すでに19世紀には害敵方法の規制について条約がつくられていました。代表的なのが1907年のハーグ陸戦条約(注1)です。
戦後の放射線被害も含め、広島、長崎への原爆投下の犠牲者の多くは文民です。原爆投下による無差別な効果は文民と戦闘員を区別しているとは言えません。これは63年の「下田判決」(注2)でも指摘されています。
(注1)ハーグ陸戦条約 外敵財産の破壊の規制や無防守都市への攻撃禁止
を定め、砲撃を制限している
(注2)下田判決 原爆投下が国際法違反だと初めて認めた東京地裁の判決
不必要な苦痛の禁止
サンクトぺテルベルグ宣言(1868年)
第2は、「不必要な苦痛の禁止」の原則です。戦闘員に不必要な苦痛を与えてはならないという原則です。ここで問題になるのは、何が必要で、何が不必要かということです。
サンクトペテルブルク宣言(1868年)では、〝戦争の唯一正当な目的は敵の軍事力を弱めること″であり、〝そのためにはできるだけ多数の戦闘員を戦闘外に置けば足りる″としています。その戦闘外に置かれた戦闘員にさらに苦痛を与えることが「不必要な苦痛」だという考え方です。
ところが戦争の目的を、「敵の軍事力を弱める」ではなく、「戦争に勝つ」という大きな目標にしてしまうと、そのために「必要」な被害が大きくてもいいということになってしまいます。それは望ましくありません。
戦争に勝つために「不必要な苦痛」を与えてよいとなれば、「戦争するためには何をしてもよい」ということに行きつきます。それは「戦争手段を選ぶ権利は無制限ではない」という国際法の根本原則に抵触します。そうなれば戦闘行為を規制する国際法、戦争法が存在すること自体が無意味になります。
戦後も原爆症などの 放射線被害に苦しむ
原爆投下では、原爆症など放射線被害が戦後も残ります。これは明らかに「不必要な苦痛の禁止」という原則に違反します。
つまり広島、長崎への原爆投下は、当時の国際法に照らしても違法なものでした。
表向きは「戦争早期終結」「米の犠牲減」
裏には対ソ戦略で優位に立つ狙い
米国による広島、長崎への原爆投下では、それが日本を降伏させるために軍事的に必要だったかも大きな論点となっています。6月の韓国での国際会議でも議論になりました。
世界で初めて核兵器を使用した理由としてトルーマン米大統領は ▽日本による真珠湾攻撃などへの報復 ▽対日戦争の早期終結による米兵犠牲者の減少―を挙げました。しかし、この主張には早くから疑問が出ています。
日本への原爆投下の狙いとしては、①対日戦争早期終結のほか、②戦後の対ソ連戦略での米国の優位の確保 ③米国内世論への対処-などが指摘されています。
このうち③は、20億ドルもの巨額の国費を投じて原爆開発の極秘事業「マンハッタン計画」を強行してきたのに、その「成果」が何も示されないうちに戦争が終われば、同計画を推進してきた政府の責任が追及されるという懸念でした。
1945年4月、ルーズベルト大統領の死去で急きょ大統領になったトルーマンは、上院議員時代、特別調査委をつくり、重事費の浪費に目を光らせた人でした。
表向きは「戦争早期終結」「米の犠牲減」
裏には対ソ連戦略で優位に立つ狙いが
威力見せつけるため
日本は当時すでに戦争を続ける軍事力を失っていました。昭和天童は45年6月9日、「満州」・中国視察を終えて帰国した梅津美治郎参謀総長から「現地での日本車の兵力は米の8個師団分ぐらいしかなく、弾薬保有量は大会戦I回分しかない」との上奏(報告)を受けます。12日には、国内の基地や兵器廠(しょう)を視察した長谷川清海軍大将が「戦争遂行能力はなくなった」と報告。天皇は15日、病に倒れました。
米陸軍航空軍は44年11月、B29爆撃機による日本本土への大規模空爆を開始。45年3月の東京大空襲以降は低空からの空爆を繰り返しました。日本側に反撃能力はありませんでした。全国237ヵ所が爆撃され、原爆の犠牲者を含め45万8314人が死亡しました。(NHKスペシャル取材班『本土空襲全記録』)
原爆投下作戦に責任を負うスティムソン陸軍長官は45年6月6日、「航空軍が日本を徹底的に爆撃してしまえば、新兵器(原爆)の力を示す公平な背景がなくなってしまう」との〝懸念″をトルーマン大統領に伝えました(スティムソン日記)。空襲で日本中の都市が破壊され、原爆の威力を証明する場がなくなってしまうというのです。
原爆なしで降伏予想
当時、原爆投下がなくても日本は降伏したと考える米軍高官は、アイゼンハワー欧州連合軍遠征車最高司令官をはじめ多数いました。
後の米大統領アイゼンハワー氏が陸軍長官に進言 |
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日本共産党が7月25日に発表した『日本共産党の百年』は、原爆投下について次のように述べています。 |